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正定寺永代納骨処のご案内  ■お墓じまいや種々ご相談をおうけしております。
小林市生涯学習 心なごむ講座様 受講感想文 1月18日、ご法話のご縁いただきました。

正定寺第5代住職 超絶院釋玄章 往生について 2022/06/06

 

■有縁の皆さまへ
正定寺第5代住職(前住職)超絶院釋玄章 尼子 玄章 は、さる令和4年3月12日に往生の素懐を遂げました。

通夜を3月15日、密葬を3月16日に、近親者にておつとめし、
正定寺門徒葬を4月29日に、正定寺門徒一丸となっておつとめさせていただきました。

 

諸事情によりamidanet上でのお知らせが遅くなりましたことをお詫びいたします。
正定寺第6代住職 尼子 江志

 

(追記)
amidanetの管理・更新については、当面の間は十分に行えない状態が続きます。
正定寺の最新情報はインスタグラム「syojoji_yamadamj」でも発信していますので、そちらもご覧ください。

 

話し合いでの解決を望む 2022/02/26

 

■他国を侵略し支配し続ける戦争が、最終的には失敗に終わることは、人類の歴史が証明している。ナポレオンもロシアの広大な大地と冬将軍に敗れた。日本軍(というより暴走した関東軍)も中国と満州の人々と大地に敗れた。戦争で一次的に領土を拡大できても、その領土を支配し続けるには、100万〜200万では足りない兵隊を駐留させ(それでも全く足りない)、もとからその地域に暮らす住民を圧迫・搾取しつづけねばならない。自国から兵士の人命、武器弾薬、兵站物資、資金を投入しつづけねばならない。太平洋戦争では、広がりすぎたアジア・太平洋の戦地への兵站線を断たれた日本軍は自滅していった。ベトナム戦争、湾岸戦争、アフガン戦争もしかり。アフガニスタンに侵攻(1979〜1989)したソ連も、最終的には撤退せざるをえなかった。戦争をつづければ、世界からも見放され、自国の国民感情も権力者から離れ、自国経済も消耗していく。ソ連は、アフガン戦争撤退後、1991年12月25日に崩壊した。

 

■NATO加盟国が全部かかっても、ロシアには侵攻できない。中国とも戦争はできない。核兵器などの最先端の科学技術兵器を使った遠距離空中戦では、決して戦争は決着しない。人と人との地上戦・市街戦・肉弾戦になるしかない。侵略された国民には、国土と家族を守るというゆるがぬ使命感があるが、攻め込んだ兵士には「何のための戦争なのか、誰のための殺し合いなのか」、目的も見えず、出口も見えない。四六時中、背後から、ビルの窓から、もの影から、いつ撃たれるかもしれない弾丸におびえなければならない。ベトナム戦争でも、湾岸戦争でも、アメリカの若い兵士は精神的に病んでいった。

 

■ロシアを侵略しても、中国を侵略しても、結局は泥沼化して、人類の破滅しかない。NATOは攻めてはこない。プーチンさん、習近平さん、強そうだけど被害妄想じゃないですか。戦争で得るものは、人間性の喪失だけである。すさんだ野蛮だけである。ウクライナの大統領がベラルーシでロシアと話し合う用意があると、ロシアに伝えたという。「ウクライナが永世中立国になる」という決着で、戦争を止めるのがいいのではないか。これ以上続けると、ウクライナの人々の魂に火をつけ、ロシアは地上戦で出口を失い、ロシアの兵士がウクライナの大地にとり残されるだろう。ウクライナ国民とロシア国民、どちらにとっても悲劇である。

 

■旅行カバンを引きながら、子どもの手を引いて国境を越え逃れていく女性、お年寄りを見ると胸が痛い。夫は国に残り闘うという。涙がでる。世界の国々の指導者は、地球に住むすべての人々を悲しませてはならない。

 

ソ連のアフガニスタン侵攻(1979〜1989)からソ連崩壊(1991)へ

 

■資料:1 テレ朝ニュース:前編

 

■資料:1 テレ朝ニュース:後編

 

ソ連崩壊後のNATOの東方拡大(国名入り地図)

 

■上記の関連記事があります。gensho

 

ウクライナが可哀想 2022/02/25

 

■ロシア軍によるウクライナ侵攻がとうとう始まってしまった。止める手だてはなかったのか。軍事力による他国への侵略・侵攻が見逃され許されるのならば、この暴挙を認めるのならば、世界中で国境紛争・侵略の火種がくすぶり始めるだろう。ウクライナの問題ではだけでは終わらない。中国による台湾武力併合。尖閣諸島の奪取。沖縄までもともとは中国の領土だったなど、勝手な歴史解釈から、併合するとも言い出しかねない。ロシアは北方領土4島を返す気なんか最初からないのだから、日本も及び腰外交ではなく、もっと外交姿勢をはっきりしてほしい。北方領土返還の打算がはたらくものだから、ロシアのご機嫌伺い外交になってしまう。

 

■力による問題解決は長い歴史的視野にたてば決して成功していない。アフガニスタンにソ連軍が侵攻したときも、結局、疲弊撤退している。アメリカのベトナム戦争、イラク戦争、アフガン駐留。軍事力が圧倒的に優位であっても、結局は失敗に終わっている。少欲知足、欲を捨てれば、智慧がわく。

 

■ウクライナの人々が可哀想。キエフの歴史ある町並み、モスク、教会、森や山の木々が泣いている。昨日から胸が痛みます。

 

なぜウクライナで欧米とロシアが対立? 国際政治学者 六辻彰二氏 寄稿 

 

■上記の記事、欧米側の問題も指摘してあるので、読んでみてください。gensho  

 

やっぱり勝ったロコ・ソラーレ 決勝進出 2022/02/18

 

■16日、予選最終戦でスイスに完敗したカーリング女子日本代表(予選リーグ4位)は、予選リーグ1位のスイスと再び準決勝で対戦。録画予約をして寝ましたが、「勝つだろうね」と予言してぐっすり。朝目覚めてみたら、ほうら、勝ってました。一度は準決勝進出はできなかったと泣きはらしたロコ・ソラーレの4人、しかも相手はダントツ1位のスイス、負けて元々と気が楽なのは日本チーム。金メダル狙いのスイスはかたくなると読んでいましたが、当たったあ。ロコ・ソラーレの4人のお嬢さん、負けても銀メダルは確定、決勝戦も無欲で楽しみなさい。明日、決勝戦ですね。すごい日本チーム。

 

お煮染めの食材は 2022/02/16

 

■昨日作ったお煮染めの食材は、地鶏のぶつ切り、大根、人参、里芋、ゴボウ、椎茸、揚げ豆腐、こんにゃく、、巻昆布、冷凍筍(裏山収穫)の10品でした。中型パックとビニール風呂敷を買ってきて、各品1〜2個を盛り付けて、9パック配ってまわりました。いつもお世話になっている方々ですが、元仏婦会長でお一人暮らしの鈴子さん(90才以上)も気がかりなので、お顏見がてら訪問しました。みな喜んでくださいました。厨房:滴水庵の掃除・メンテナンスも終盤ですが、あとは自動給水スチーマー(蒸し器)と屋外ガス湯沸かし器の点検・修理です。そこまで出来たら、屋外の木製棚作りをしようと思います。

 

お煮染め作った。 2022/02/15

 


■坊守の誕生日に「お煮染め」つくりました。厨房:滴水庵を1月29日から、掃除・点検・修理などしていて、ここでNHK第1のラジオ聴きながら過ごしています。14日に、地鶏ぶつ切りと北海道の昆布でお出汁とり、木綿豆腐2丁を揚げて、コンブも結んで、下準備。15日はことこと煮ました。

 


■直径36cmの鍋でつくったから、家族で食べるには多すぎます。ハピネスという食材屋さんにいって、中型のパック買ってきて盛り付け、あちこち配って回りました。

 

初めて食パン焼きました。 2022/02/08

 


■昨日、厨房:滴水庵で初めて食パン焼きました。アマゾンで食パン焼き型ケースを買ったのが、6日に届いたのです。レシピはネットで調べて、まずは標準的な、日清製粉のカメリア強力粉450g、塩、砂糖、ドライイースト、バター、スキムミルク、水で調理しました。粉練りは復活したクイジナートフードプロセッサーです。本体はそのままに、上蓋をシンプルカバーという部品に変えました。この方があとの洗浄が楽です。1.9Lの容量があり、モーターパワーが強いので、全量を一度に練れました。バーミックス(ハンディブレンダー)だと、2回に分けなければなりません。温度30〜40度で30分間、1次発酵、2次発酵をさせるのですが、電子レンジが動きません。大きなステンレスボールにお湯をいれ、小さなボールにパン生地を入れて浮かべました。待ち時間にガスオーブンを200度に温めます。勘でたぶん10分間の予熱だろうと思っていましたが、フライ用の温度計差し込んでみて上がりきっていないので、10分追加。190度〜200度で30分間、焼いてみました。それがこの写真です。型枠の内側にもバターをぬっていたので、するっと抜けました。焼いている厨房にいい香りがただよいます。何度か失敗するだろうなと思って始めたんですけど、美味しいパンが焼けました。食パンの大きさ、縦11.3cm、横10.2cm、長さ19.2cm。

 

 

■強力粉100%で作ってみたので、焦げ目しっかり、なかも腰のつよい野性的なパンにできあがりました。皮目はさくさくとして、孫のあおい好み。2才のかおる君にはちょっと歯ごたえありすぎか。つぎは薄力粉もすこし混ぜてみます。自家製のパンが焼けると、いろいろアレンジが試せます。今朝の朝食にみなが食べてくれたので、うれしかった。あおいは、メロンパン、チョコレートパンも好きと言いましたが、まだそこまではできません。でもガスオーブンが使えたのでよかった。

 

ガスオーブンと冷蔵庫の掃除 2022/02/05

 

■包丁研ぎはまだ半分残っていますが、今日は、冷蔵庫とガスオーブンの掃除をしました。冷蔵庫の棚板をはずして洗い、食物を選別して、半分は処分して、スッキリになりました。小麦粉・モチ取り粉・片栗粉・きな粉・・・・種別にそれぞれの箱に入れて見やすくしました。ガスオーブンは、門徒さんがお料理するときはまったく使いません。お寺でだすお料理は、煮物・揚げ物・炒め物・ご飯が中心です。棚板の鉄板の錆を電動サンダー落とし、洗剤で洗ったあとでレンジにかけ、弱火で鉄板を焼きながらオリーブオイルを垂らして十分吸わせて仕上げました。錆つき防止でもあり、ピザやパンを焼くときのコンディションの下準備です。

 

■ピザ生地作りはまだですが、昨日市場で買ってきたピザ生地にウインナーソーセイジを薄く輪切りにしベーコンも載せて、缶入りボイルトマトをクイジナートで練りつぶし、ピザにかけて、とろけるチーズをまいて準備OK.。その間、オーブンの中板(先ほどの鉄板)をはずした状態で5分間空焚きして、ピザを入れタイマー10分間で試し焼き、10分焼いてピザ生地に焼き色がないので、あと2分追加。昼食を食べていた家族のところにもって行きました。あおいちゃんが2切れ、娘が1切れ、息子が2切れ、ふんふんいけてると食べてくれました。案の定、あおいちゃんは、ピザ生地のこんがり焼き加減が気に入ったようで、母親のピザのふちの生地ももらって食べてました。あおい姫のお気に入りの食材で、ピザヴァージョンを増やして行きます。

 

■電子レンジもあるにはあるのだけど、マイコン設定の仕方がわからないから、わたしには火加減と時間の調整のガスオーブンが、アナログ式でいいです。電子レンジは「こんがり焼き感」が感じられない。食パンの型を買って焼いてみます。家族は、朝食は食パンが中心です。

 

厨房:滴水庵に新コーナー増設 2022/02/03

 


■門徒厨房:滴水庵に新しいコーナーを作りました。もともとは食器洗浄機と流し台なんですが、近年あまり稼働していません。1月に「バーミックス」というハンドブレンダーをネット通販で買いましたが、家庭の台所には置きっ放しにできる場所がありません。いちいち分解・収納していては気軽に使えません。ここに休業状態の電動調理器をまとめました。わが家ではわたししか使わないのです。娘にはケーキ生地づくりなどに使ってほしいです。右から「バーミックス」(赤)、切る・練る、混ぜる・スライスなどコップやボールに入ったままの食材を調理します。コップに卵(全卵一個)、サラダ油(200cc)・からし・塩・酢等々を入れて、バーミックスを回転させて10秒、マヨネーズができました。右から2番目:IHクッキングヒーター、タイマー設定・温度設定ができます。右から3番目:野菜ジューサー(低速絞り器で野菜の酵素を破壊しません)。右から4番目:クイジナートフードプロセッサー1.9L。回転ブレードを各種取り換えることで、さまざまな調理が可能です。パン粉・うどん粉・ピザ生地も作れます。また一つ遊び場ができました。

 


■NHKラジオ第一を聴きながら厨房片づけ・メンテナンスしていますが、100円市場で白カブ(3個)買ってきて、皮むき、ざくざく切ってIHヒーターでホロホロに柔らかく煮て、クイジナートでポタージュにしました。ガスレンジにかけて(弱火)、味付けは五島列島沖の塩、あごだし少々、にんにく(1かけ)、バター2切れです。冬のかぶの味のふくよかさ、美味しくできました。半分食べて、半分は冷凍です。

 

鬼ユズのピール完成 2022/02/02

 

■1月29日から門徒厨房:滴水庵の掃除・点検・メンテナンスを始めました。木工など頭をよぎるいろんな作業項目はあるのですが、第1番に自然と厨房掃除に身体が向きました。ハンディ調理器具「バーミックス」をネット購入し、届いたこともあって、その使用場所の確保もあったのです。新型コロナ感染症の影響で、2020年の初夏以降、お寺も活動自粛で、門徒厨房もほとんど稼働していません。道具は使わないと不具合・劣化が起こります。大方、室内の清掃は終わったので、昨日から包丁研ぎに作業が移りました。

 


■鬼ユズのピールがほどよく乾燥したので、グラニュー糖を買ってきてまぶしました。写真は鬼ユズ一個分のピールです。タッパーに入れて、冷蔵保存します。

 


■寒い日が続いたので、初めてにしてはいい出来映えになりました。お茶請けとして濃いめの緑茶とあいますね。柑橘の香りが口いっぱいに広がります。

 

あおいが自転車をこげた日 2022/01/31

 

■昨日、娘があおいの自転車にペダルを取り付けました。それまでは一年間、補助車も付けずに、大人が寄りそっての練習もさせず、両足でけってバランス感覚を身につけさせていました。娘が呼びにくるので庭にでてみると、あおいがペダルを2こぎ位こいでは止まっていました。1月31日、今日、娘が呼びに来て、「あおいがじいちゃんに自転車乗れるようになったところ見せたいって」というので、カメラもって庭に出てみると、ひょいひょいこいでいるではありませんか、補助車無しで自在に。後方での手をそえる支援も一回もなしで乗れるようになっちゃった。車庫では、住職が掃除道具置き場を制作中。

 

今日の法話 言葉にはスイッチがない。 2022/01/29

 

■南無阿弥陀仏をとなふれば 十方無量の諸仏は
 百重千重囲繞して よろこびまもりたまふなり(親鸞聖人 浄土和讃)

 

■電気器具にはオン・オフのスイッチがあります。水道には蛇口があって止められます。乗用車にもキーがあって随時に止められます。ところが心にあふれてくる言葉にはスイッチがありません。悩みの言葉、怒りの言葉、不安の言葉、・・・・ 「また同じ事をやっている。もう考えるのに疲れた。考えてもどうしようもない。もう止めよう」と分かっているのに止めようがないのです。高齢のあるご婦人がわたしに言われました。「住職さん、なんまんだぶを称えたら寝れました。わたしは不眠症で、睡眠薬も効かなかったのです。わたしは○○町で一人暮らしです。過疎地でとうとうまわりはみな空き家になりました。うしろは山です。夜あかりがともるのは内だけです。夜寝ようとすると、もし夜中に身体に異変が起きて具合が悪くなったらどうしよう。だれも救急車を呼んでくれる家族がいない。寝たまま死んでしまっても、何日もだれも気づかないかもしれない。毎晩、毎晩、その想いに襲われるのです。先週、親戚の◎◎さんの三七日で、正定寺に親戚としてお参りしたとき、住職さんは、夜中に眼が覚めたときは考え事はしないほうがいいですよ。人間はだいたい悪い方に、不安な方にものを考える癖があるのだから、止められなくなる。お布団の中で、なんまんだぶ、なんまんだぶと何回でも何十回でもいいから称えなさい。なんまんだぶとお念仏が口に出ているときは、阿弥陀さまの出番なんです。お前は頑張りすぎだ。ちょっと休憩しなさい。仏さまがでているときは、わたしは、わたしから避難しているときなんですよ。なんまんだぶと称えていたら寝れますよ、と言われました。わたしはもうこれしかないと思ったんです。その日の晩、布団にはいると、なんまんだぶ、なんまんだぶ、と数も忘れて称えました。そして、ふと気がつくと朝でした。うれしかった、うれしかった。ぐっすり眠れたんです。わたしは山田のお寺が一番すきです。住職さん、今日の四七日が来るのが待ち遠しかったのです。今朝はやく起きて、住職さんに食べてほしくて、これを作りました」とガネ(野菜のかき揚げ)のパックを差し出されました。五七日も、六七日も、七七日も、手作りの品を代わる代わるもって来られました。うれしかったんですね。よかった。よかった。

 

■そうです。心からあふれ出る言葉は、一人で黙っているときも夢の中でも休んでくれません。わたしたち凡夫(人間)は言葉に支配されているのです。言葉がわたしの心を占領しているのです。悩み、悲しさ、孤独、不安、後悔、欲、いかり・ねたみ・うらみ、愚痴 ・・・・ またやっていると分かっているのに止められないのは、わたしよりも言葉が強いからです。この凡夫の心から出続ける言葉をとめる術(すべ)は一つしかありません。阿弥陀さまがでればいいのです。「なんまんだぶ、なんまんだぶ」、「お前をおさめとって捨てないぞ。お前をそのまま救うぞ」と、わたしの内なるいのちの底から仏さまが呼ばれるのです。仏さまの出番です。お念仏がでた瞬間、凡夫の心(凡心)が、如来の心(仏心)に入れ替わったのです。乗っ取られたのです。わたしはわたしを如来に丸投げして、さっさと避難すればよろしい。

 

■わたしはそのご婦人の前に立ち上がって、思わず合掌しました。「ありがとう。あなたは仏さまの心を真受けにしてくださった。あなたは、住職を救ったんですよ。ありがとう」 

 

■どうぞ、今日お参りの皆様も、自分の生活の真っ只中で、お念仏を、いつでも、どこでも、どんな心境でもいいから、普段使いしてください。なんまんだぶは、あなたの普段着です。お一人のとき、自分の身体の腹底を通して、声にだして称名念仏してみてください。自分の人生で実験してみてください。きっと、あっそうだった、本当だったと分かる日がきます。お念仏が出るようになると楽になります。難儀なお荷物はぜんぶ阿弥陀さまが背負われたのだから、わたしは凡夫を楽しむばかり。

 

クレソンのシャブシャブも美味 2022/01/29

 

■昨夜、夕飯に一人土鍋で、湯豆腐にクレソンもいれてみました。ポン酢に豆板醤をいれ食べました。春菊が好きなわたしは、おでんでも鍋物でも春菊は必須です。春菊まではいかないけれど、まあまあ美味しかった。気長に付き合いましょう。

 

■厨房(滴水庵)にクイジナート:フードプロセッサー(据え置きタイプ)がありますが、電源on・offのツメが壊れていて使いにくい。ミキサーにしてもクイジナートにしても、使うのはよいが後片付けが面倒。大量のうどん粉ねり、野菜切りならいいけど、少量しか使わないときは、使う時間よりも後片付け洗浄の時間の方が長い。色々考えていたけれど、「バーミックスM300」(スイス製)というハンディタイプの電動調理器をネット通販(チェリーテラス)で買いました。コップや鍋に回転する棒状の先端に回転ブレードを付けて、コップに中、お鍋の中に入れて回転させると容器を傷つけず、食べ物を切る・ねるなどの作業をこなします。これだと、少量でもできますし、後片付けも簡単です。いろんなポタージュも作れます。今日届きました。ハンバーグとポタージュ作ろうかな。

 

霧島裂罅水クレソンのレシピ 2022/01/28

 


■平成2年(1990年)に正定寺第5代住職に就任。平成4年(1992年)に境内地の一角をボーリング。地下85m(岩盤40m)の底から霧島裂罅水の自噴が始まりました。平成15年(2003年)に自噴水を誘導して、北庭を作庭。ここに沢ガニ、カワニナ、クレソンが自然発生しました。クレソンはものすごい生命力で、岩に貼り付いた細かい白い根が見えなくなるまで退治しても、12月にはまた発芽し増え続けています。この自噴の滝口には砂も泥もありません。自然の五木石の上を水が流れているだけです。どうも自噴水のミネラルと含有酸素を栄養源にしているみたいです。よく道ばたの100円市場にも出品されていますが、どんな環境に育ったかわからないクレソンは食べる気がしません。わが家のクレソンは、岩盤裂罅水のみで育ったものですから。それでも生食はご用心。虫が動き出す前の春彼岸までは安全かも。虫や虫の卵を媒介にして寄生虫を食べてしまうかもしれないので、熱処理が安全ですね。

 


■クレソンは、6月には花が咲き蝶が卵を産み付けますから、天然物は1月から4月が旬です。3月頃までが辛みも強く、香りが高いです。あまり繁殖させると始末に悪いので、ユーチューブで「クレソン料理レシピ」を見て、食べることにしました。まずは「木綿豆腐の白和え」を作ってみました。ネットのレシピにはなかったけど人参千切り少々をさっとゆでてくわえ、色味をよくしました。ごま油も少々。ユーチューブには、クレソンを使ったパスタソースも出ていました。タマネギ、椎茸、人参との野菜かき揚げもいいかも。

 

クレソンの栄養価はベジタブルNo.1  野菜と果物の中で、100点満点

 

野菜&果物 栄養素密度ランキングで1位に(米研究)

 

阿弥陀如来の蓮台 C 2022/01/27

 

■コロナ拡大が止まりません。宮崎県内、26日新規感染者、511人。キ城市80人。ついに今日、孫娘あおいの通う幼稚園でもコロナ感染者がでました。小学校でも広がっているようです。あおいは、1月17日から自主休園しております。母親とおばちゃんが保育士になって、よく遊んでいます。

 

■『大無量寿経 上巻』の法蔵菩薩の48願のあとに「重誓偈」があります。冒頭、三つの大事な誓願で始まるから「三誓偈」とも言われます。「@ われ超世の願を建つ、かならず無上道に至らん。この願満足せずは、誓ひて正覚を成らじ。A われ無量劫において、大施主となりて、あまねくもろもろの貧苦を済はずは、誓ひて正覚を成らじ。B われ仏道を成るに至りて、名声十方に超えん。究竟して聞ゆるところなくは、誓ひて正覚を成らじ」。第一の誓願は法蔵菩薩自身の仏道成就の誓願です。第二の誓願は一切衆生救済の誓願です。第三の誓願は、南無阿弥陀仏の名号成就の誓願です。この三つの大誓願が完成しなかったら、わたしの正覚(さとり)は完成しない。仏である資格がないという誓いです。

 

■第二の誓願で、救済の目当てである一切衆生のことを、「もろもろの貧苦」と呼んでいます。何が貧しく苦しいのでしょうか。衣食住、身体、健康、財産、履歴。身分、家族、友人・・・・、わたしを支え、わたしをわたしとして維持してくれるものは数知れずあります。それは、どれもこれもわたしの外側にあります。これらは皆時間とともに移り変わり、やがて滅びていく、相対的にして有限なるものです。わたしたちは、諸行無常なる相対有限なもので、自己の存在の意味を計り、数え、他者ともくらべ、自己の存在と人生に満足を得ようとしますが、どこまでいっても不安・孤独・空虚な心を解決できるすべはありません。何故ならば、貧しさは、「本当の自己がない」といういのちの最深部の貧困・空洞だからです。自己がゆるぎない絶対の自己になれない、「わたしは、このままのわたしでよい。生きてもよい、死んでもよい。I am good! 」と大肯定の自己になれない貧困なのです。他者とくらべて人生の充実と満足を得ようとする者は、絶えずおびえて暮らしています。

 

■法蔵菩薩の第三の誓願は、仏道を成就し終わって、一切の功徳莊嚴を「なもあみだぶつ」の名号に込めて宇宙に響きわたらせよう。その名は宇宙の諸仏が讃歎し、衆生の声となって、自己を現そうという誓いです。「名声」は、「南無阿弥陀仏」の名号のことですが、一切衆生の「恐懼 くく」(讃仏偈 おそれおびえている凡夫の心 )、「貧苦」(重誓偈 本当の自己がないという凡夫の貧しさ淋しさ)に名号(言葉 称名念仏)となって降りきたって、如来自身の永遠の名を衆生に与えようという誓願です。南無阿弥陀仏は、如来の名告りでありますが、それだけでは完成しません。「南無阿弥陀仏は、汝の永遠の名前である」と衆生と一体となるとき、如来の誓願は完成するのです。「南無阿弥陀仏」は、わたしの永遠の名前なのです。第二の誓願の「大施主となりて」の「ほどこし」の内容は、万徳円備の名号であると決着したのです。「究竟靡所聞・・・・ 究竟して聞こゆるところなくは」の言葉に、何としてでも永遠の親の名を聞かせたい誓願の温かさがあります。名であり、言葉であり、念仏の声であるならば、どこまでも響きとどくのです。法蔵菩薩の48願には、11の願文に「聞我名字」、「我が名字(名前=名号)を聞かせたい」と誓ってあります。となえるままが、如来の音声を聞いている、聞かせられているのです。ただ念仏申さるべし。なんまんだぶ、なんまんだぶ。

 

阿弥陀如来の蓮台 B 2022/01/26

 

■『大無量寿経 上巻 讃仏偈』の結びは、「仮令身止 諸苦毒中 我行精進 忍終不悔」 ・・・・ 「たとひ身をもろもろの苦毒のうちに止くとも、わが行、精進にして、忍びてつひに悔いじ〉」で終わります。法蔵菩薩(阿弥陀如来)は一切衆生を一人ももらさず救うという誓願をおこしました。その修行が完成するまでは、たとえ我が身がもろもろの苦毒に沈むことがあっても、どこまでも精進して悔いることはないと、自らと世自在王仏に誓ったのです。法蔵菩薩は、自らの永遠の修行の場所を、一切衆生すなわち凡夫の三毒の煩悩の泥の中と決心なさったのです。曽我量深師は、「如来、われと成て、われを救いたもう」と味わいました。病人のいない世界に医者はいりません。しかし、病人と医者は、まだ別人格で二つです。凡夫と如来は、別と言えば別、煩悩の凡夫、生死の凡夫と ・・・・ 大慈悲心の阿弥陀、無量寿(永遠の大生命)の阿弥陀は、同じではありません。しかし、「不一不二」の「機法一体」なのです。島根の妙好人は、「わしがほとけになるじゃない。あみだの方からわしになる」といっております。絶対無限の大生命からは、逃れることも、はみ出すことも、こぼれることもできません。この身このままが、いま、ゆるされ、抱きとられているのです。これは頭では理解できません。頭=分別心=知性というものは、自分の寸法=思考=知識=経験を元にして、自分の外にある対象には有効に働きますが、このとき必ず自分の都合のいい寸法=解釈の言葉に置き換えて、相対有限の物や考えに翻訳して、「わかった」と言っているのです。この人間の知的習性をもってしては如何ともしがたいのが、「無量寿如来」であり「不可思議光」です。称名念仏しか道はありません。ただ念仏申さるべし。なんまんだぶ、なんまんだぶ。

 

小林市 心なごむ講座様からのお礼状 2022/01/26

 

■1月18日10時〜11時30分、小林市中央公民館で開かれた小林市生涯学習「心なごむ講座」に講師として招かれましたが、今日、お礼状が届きました。あちこちの町の高齢者クラブ(主催:社会教育課)に招かれますが、お礼状をいただくのは希です。聴講くださった方々の感想文の寄せ書きもあり、とてもうれしいです。どんな風に聴いてくださったか、知りたいし、わたしの学びにもなるからです。谷山課長様、相良先生、ありがとうございます。下に、いただいたお手紙をリンクしました。感動のおすそ分けです。感想文の2箇所(お二人)に「ナミアミダブツ」とありますが、「南無阿弥陀仏 なもあみだぶつ なんまんだぶ」です。訂正。大きく板書してあげればよかった。反省。gensyo

 

小林市生涯学習 心なごむ講座様からのお便りと受講感想文

 

阿弥陀如来の蓮台 A 2022/01/25

 

■阿弥陀如来は、み仏のさとりの高みを捨てて、苦悩の衆生の煩悩の泥田に降りてこられた仏さまです。『大無量寿経 上巻 讃仏偈』に、・・・・ 吾誓得仏 普行此願 一切恐懼 為作大安」=「われ誓ふ、仏を得たらんに、あまねくこの願を行じて、一切の恐懼〔の衆生〕に、ために大安とならん」とあります。われら凡夫は本当の安心がないのです。この世の何物をもってしても、本当の満足心にはならず、決して裏切らない最期の帰依処とならないのです。「恐懼 くく」とは、いつもおそれおびえている凡夫の心です。み仏は、その衆生の心を安心させられるかというと、そうではありません。われらは死ぬまで、「どうなるんだろう。次は何が起きるんだろう」と揺らいで頼りない不確かな不安の心から離れることはできません。

 

■如来は、凡夫がおそれおびえる心のままを包み抱き取る名号(南無阿弥陀仏)の家に成られたのです。名号の家とは、その活動体は称名念仏です。永遠のいのちの親の名を聞かせて、知らせて称えさせて、わたしと一つに成られたのです。わたしの心の底、わたしのいのちの底なき底の泥田に降りられて、「我在り、汝を救う」と音声の仏と成られたのです。つづく。

 

かぼちゃポタージュにチーズ乗せ 2022/01/25

 


■昨夜の夕飯。かぼちゃポタージュに、ピザ用のとろけるチーズを乗せ、レンジで4分。庭のパセリをきざんで乗せて食べました。かぼちゃだけでも美味しいけれど、チーズとパセリがはいって、味にこくとしまりがでてきて、ぐっと美味しくなりました。お料理は楽しいですね。かぼちゃの皮は、パリパリに揚げて試食してます。もう一工夫かな。野菜を食べて、お腹の調子も上々です。

 

阿弥陀如来の蓮台 @ 2022/01/24

 


正定寺お内仏の阿弥陀如来の蓮台

 

■最近、わたしは法話で、「仏さまは何処におられるか知っていますか?」という語りかけから始めることが多いです。ほとんどの反応は、「きょとん、??? 無言」です。私たちが何か捜し物をするときは、外を探します。仏さま(阿弥陀如来)も極楽浄土も、自分が死んでいく向こうか、苦しみ悩みが一切無くなった理想としての向こうです。時間的に向こう、または空間的に向こう、または願望としての向こうです。しかし、この探し方は第1歩目から方向違いです。永遠に捜し物は見つかりません。そこで、お参りの皆さんに、「本堂のお内陣の真ん中にお立ちのご本尊:阿弥陀如来のお姿をよく見てください」と語りかけます。「阿弥陀さまは、何の上にお立ちですかね?」、すると「はな?」、「蓮の花?」というお返事が返ってきます。「そうです、蓮の花の上です。蓮台と言います」、「じゅあ、蓮の花はどんなところに咲きますか?」、「泥田です」、「そうですね」。

 

■親鸞聖人は『教行信証』(証巻)に『維摩経』を引用されて、・・・・〈淤泥華〉とは、『経』(維摩経)にのたまはく、〈高原の陸地には蓮華を生ぜず。卑湿の淤泥にいまし蓮華を生ず〉と。これは凡夫、煩悩の泥のなかにありて、菩薩のために開導せられて、よく仏の正覚の華を生ずるに喩ふ。・・・・と書いておられます。「淤泥華」とは、泥田に咲く華、蓮のことです。阿弥陀如来が蓮台にお立ちであるということは、「わたしは泥田を住処としている」、「わたしは泥田で衆生救済の仕事をしている」と、仏さま御自身の居場所を示しておられるのです。「卑湿の淤泥にいまし蓮華を生ず」とは、いやしくじめじめした泥の中です。

 

■じゃあ、「卑湿の淤泥」とは何かと言いますと、「凡夫の煩悩の泥の中」と言うことです。「仏さまはどこにおられますか?」と探すときに、外を探すのではなく、わたし自身の心の底、わたし自身のいのちの底(底なき底)を見なければなりません。「阿弥陀さまは言われます。これこれ、どこを探しておるのだ。もうすでに、わたしはお前の命のどん底に来ておるぞ。誰にも見せたことのないお前の心の底、お前が自分自身でも知らないお前のいのちの底なき底、そこには欲と怒りと愚痴の三毒の泥が沈んでいる。真っ暗な不安がいつも渦巻いている。わたしは、そのお前の煩悩のまま、無明の不安のままを、純粋無垢な白蓮華に変えて見せるぞ」・・・・「我が名、南無阿弥陀仏を声に称えてみよ。わたしの心、仏心すなわち大慈悲心を与えよう。我が名を称えよ。無量寿・無量光の我自身を与えるぞ」・・・・「はい。わたしは全く見当違いをしておりました。阿弥陀さまは、もうわたしに来ておってくださったのですね。なんまんだぶ。なんまんだぶ」。

 

■日曜日のきのうの10時の内勤(お参り)では、法話のあとに参詣者全員をお内陣あがってもらい、阿弥陀如来と蓮台を横からと正面から間近に拝んでもらいました。横からは、阿弥陀さまが少し前傾姿勢で立っておられるお姿がわかります。親が子を救おうとするお姿です。そして、仏花や灯明のある前机よりも前、須弥壇の正面から一人ずつ拝観してもらいましたら、みな自然と合掌され、「なんまんだぶ、なんまんだぶ」とお念仏されました。感動しました。みなとてもきれいな柔和なお顔になられて帰っていかれました。来週の日曜日の10時の法話は、このつづきを語らせていただきます。gensho

 

カボチャのポタージュ 2022/01/23

 


■今日は一日雨。午前中のお参りがすんで、午後からはカボチャ丸1個を中華包丁で割って、皮をむいて、サイコロ上に果肉を切って、お鍋でことこと煮ました。これをミキサーにかけて、お塩少々(小さじ1杯くらい)で味付けして、カボチャのポタージュができあがりました。最後にバターを2切れ入れようと思いましたが、冷蔵庫になかったので、これで完成。とても甘く美味しいポタージュができました。孫たちが食べてくれたらうれしのだけど。果肉も少し残した皮は、揚げてフライにして、お塩さらっとかけて食べますが、パックにいれて冷蔵保存、明日に回します。お料理の鍋もフライパンも包丁も、ぜんぶ玄章専用があるのです。

 

お気に入り一番のぐい呑み 2022/01/22

 

■20代の中頃、今から43〜44年前、福岡県飯塚市の筑豊ハイツでひらかれたカウンセリング・ワークショップ(3泊4日)の参加して、3日目の午後のフリータイムで、岩下榮次先生、中尾徹昭先生、福沢弘文先生らに連れられて、上野焼き(あがのやき)窯元に初めて行きました。福岡県は、上野焼、高取焼、小石原焼きが有名です。研修会費と往復の旅費をはらうとお金のないわたしには、どれも高いものでした。そこで、こっそり窯元の裏の失敗作捨て場に行きました。「あった、あった」。陶器の破片に埋もれて、呑口に傷の入ったぐい呑みが捨てられていました。ぐい呑みの作りは、小さくても抹茶茶碗と同じ手間ですから、価格も高いのです。ロクロ作りの姿、粉引きに透明釉薬のかかった色艶、ざっくりとした高台の削り、唇にあたるまろやかさ、高度に計算された厚みと重さ、飾りを捨てた素朴さ、なかなかの作品、さすが伝統窯です。拾って帰りました。このぐい呑みが、わたしが今日まで出会ったどんなぐい呑みよりも、手に持った感じもよく、傷物がまた味わいとなり、いいのです。他にも色々持っていますが、わたしとの相性は、これが最高です。お金のない贅沢を、わたしは20代から知っていました。このぐい呑みと鍋物があれば、毎晩ご機嫌です。gensho

 

 

欅風工房のDIY木工から始めよう 2022/01/22

 

■きのう作業着の店「壱虎」にいって、綿入れヤッケと腕カバーを買いました。「お客様、今日は壱虎の日で、全商品1割引きですと、定員さん」。1680円の1割引きでした。夏休み子ども寺子屋の陶芸制作以後、『今日の宗教の可能性』の出版事業に専念していましたので、工房の方はぱったりと休んでいました。まずは工房の片付けと材木の墨打ちです。住まいのリビングの棚作りから始めます。

 

本願寺宮崎別院報恩講 縮小実施へ 2022/01/21

 

■宮崎県内ではオミクロン株コロナ感染者が、1月中旬から急拡大しております。1月27・28日に予定されていた本願寺宮崎別院報恩講は、1月27日13:30の一座だけに縮小、県外講師の招聘も中止、教区内僧侶・門信徒の参拝も中止して、別院職員のみでおつとめするとの連絡がありました。今年は、正定寺・善性寺・善長寺が、僧侶出勤と門徒参拝の当番となっていましたが、すべて中止です。今日も、昨日の感染者数を超えそうです。さて、何して過ごそうか。DIYの木工大工をするか、裏山の雑木伐採をするか、考えています。gensho

 

鬼ユズのピール乾燥もうちょっと 2022/01/20

 


■乾燥ネット(3段)に鬼ユズピールを入れて、寒気で乾燥させています。ファスナー付き密閉ネットだから、虫もたかりません。

 


■水気が切れてきました。あと2日置いてみます。

 

■新型コロナ、オミクロン株でしょうか、宮崎県内も毎日、感染者数の記録を更新しています。キ城・三股でも急拡大しており、1月30日(日)に予定しておりました「1月すっぴん例会」も中止を決定しました。

 

鬼ユズのピールづくり 2022/01/17

 

 

■報恩講のお供えに鬼ユズをいただきました。御正忌もすんだので、おさがりを「鬼ユズのピール」にすることにしました。果肉と種を除いて、適当なサイズにカット。水から下茹でを2回してお湯を捨て苦味を抜きます。鬼ユズの皮の重さと同量のザラメを入れて、弱火で120分煮込みました。火をとめて一晩このまま置きます。そして、三段の網ネットの野菜干しに、キッチンペパーをしき、ここで3日間天日干します。水分が飛んで乾いたらグラニュー糖をからませて完成。お茶うけのお菓子になります。鬼ユズの姿

 

■キ城市・三股町で、コロナが拡大していて、ちょっと危なくなってきました。小林市中央公民館での明日の講話、やっぱり実施だそうです。気をつけて行ってきます。

 

1月16日 宗祖:親鸞聖人ご命日 2022/01/16

 

■京都:西本願寺では、1月9日から16日(御満座)まで、親鸞聖人御正忌報恩講が勤修され、本願寺のHPから動画ライブが配信されました。ご門主の七条袈裟や前机の打ち敷の映像が精密でびっくりしました。

 

きょう、娘:尼子千懐がFMラジオ出演 2022/01/12

 

■1月12日11時25分から、シティFMキ城(76.4MHz)の番組「素敵に764」に、22分40秒スタジオ出演しました。娘(フルート)と有島耀子さん(ピアノ)のユニット「ブレーメン」の活動取材とスタジオ演奏です。山田町からは電波受信がわるいので、放送局に近い志比田町スパシオ(ストア)の駐車場に車をとめて録音しました。少し走行中の車の音がしますが、よく聴きとれます。演奏曲は「ムーンリバー」です。

 

シティFMキ城:番組&スタジオ演奏が聴けます。 クリック

 

■年末は、12月29日の「正定寺 冬休み子ども寺子屋」をMRTラジオが取材に来られて、住職がインタビューに応えました。

 

■きのう、吉尾町のサンパークとハンズマンで、春菊中葉5鉢、春菊大葉7鉢を買い足しました。今日は晴天です。いまから植えます。

 

小林市生涯学習心なごむ講座のご案内 2022/01/11

 

■小林市 生涯学習心なごむ講座(高齢者クラブ) 1月例会

 

講師:尼子 玄章  ※今年はじめての外部講師出講です。
小林市中央公民館 
令和4年1月18日(火)10:00〜11:30  40分法話2席
会員参加者:20名程度
主催:小林市社会教育課 TEL 0984-22-3482

 

聴講は自由ですから、どうぞご参加ください。会員外の方の聴講も受け入れます、と担当者から返事をもらいました。
えびの市、キ城市の皆様もどうぞ。キ城市内からご参加の方は、正定寺集合で、乗り合わせて行きませんか。

 

大葉と中葉の春菊苗 2022/01/11

 


■昨日、吉尾町のハンズマンで「大葉の春菊苗」10鉢(@58円・写真下)、サンパークで「中葉の春菊苗」10鉢(@60円・写真上)、パセリ2鉢を買ってきました。鍋物に欠かせないのが白菜、春菊、人参、椎茸などなど。境内地で日照時間がいちばん長いのが、金柑を植えてある門前広場です。午後になって陽が照ってきたので、いまから植えます。

 

門前広場のキンカンが熟れてます。 2022/01/10

 


■テレビで宮崎名産の大玉金柑「たまたま」の出荷が始まったと報じられました。直径2.8センチ以上の大玉金柑です。門前広場の隣接地との境に去年4月に植えた金柑を見に行きました。春の植木市の質問したら、6本買った苗木もタマタマと同じ品種なんだそうです。実が付いたらすぐに半分を摘果するとか、肥料の与え方とかで、実が大きくなるのだとか。まだ1年目なので、これからが楽しみです。息子がラカンマキとかの垣根の木を植えようかと言うので、「子どもがいる家は、実のなる樹がいいよ。収穫の喜びが味わえるから」とすすめました。いまからサンパークに春菊の苗を買いに行きます。金柑の間に20本植えます。湯豆腐とか鍋物に春菊が美味しいのですが、いま高いです。昨日も5本くらいはいって298円でした。毎晩食べるには高い。

 

■1月8日に、『仏説無量寿経 上下2巻』も、親鸞聖人ご著述の『正信念仏偈』の構造図(PDF)をアップしましたが、今後若干の説明も追加します。浄土教典は、このように主軸がはっきりしていますが、他の経典、原始仏教経典(釈迦の行状録・言行録)や大乗経典(法華経・華厳経・維摩経・涅槃経等々)は、構造図をつくることは困難です。たとえば、1月5日に書いた鎌田茂雄著『法華経を読む』(講談社学術文庫)でも、中村元博士の『華厳経』解説本でも、著者自身が「この経典の全体の内容は何かと問われても、なかなか説明することは困難です」と書いています。別々に流通していた章(品)が、時代と共に追加されたり、合冊されたりして、最終的に現在の姿になっているので、各章のテーマが一貫しないのです。しかし浄土教は、親鸞聖人が『歎異抄』で言われたように、「本願を信じ、念仏申さば、仏になる」の一本です。「本願」と言いましても、「念仏」と言いましても、鈴木大拙師も大峯顯師もはっきり言っておられるように、「名号のいわれ」を聞いたり、信じたりすることではありません。「聞我名字」、「聞其名号」と経典にはありますが、どこにも「名号のいわれ」という表現はでてきません。「いわれ」とは自分の頭で受け取った解釈、自分にわかるように翻訳された言葉です。自分で作った解釈・翻訳・言葉では救われません。わが身の置かれた状況・境遇しだいで、くるくる変わるからです。それは信心ではなく、疑心・疑情・邪見・慢心・自力です。「本願を信じる」ということは、「自分を捨てる、自分の能力を断念する」ことと表裏です。名号そのものが如来です。浅原才市、「わしがほとけになるじゃない。あみだのほうからわしになる」、「わたしゃ あなたにをがまれて たすかってくれとをがまれて ごおんうれしや なむあみだぶつ」

 

浄土教の経典の構造 2022/01/08

 

■今日一日がかりで、構造図を制作しました。『仏説無量寿経 上下2巻』も、親鸞聖人ご著述の『正信念仏偈』も、たとえれば「魚の姿」です。頭のてっぺんからシッポまで背骨が貫通しております。お経も正信偈も、「南無阿弥陀仏」の「6文字の名号」(阿弥陀如来のお名前」が、背骨であり、センターラインです。要所要所に、「わが名をとなえよ。わが名に阿弥陀の無限の功徳も、極楽浄土のご利益も、すべてこめて、あなたに今わたすぞ」と誓っておられるのです。(時間です。竹脇義郎総代さんのお通夜に行ってきます。泣かずにお経が読めるでしょうか?お寺の報恩講のハッピと総代式章をかけてあげます。)

 


上の大経の構造図の拡大PDFへ 
PDF画面上部の「 − + 」の「」をクリックするとさらに文字が拡大します。 

 


上の正信偈の構造図の拡大PDFへ

 

吉冨先生からご返事の一部 2022/01/07

 

吉冨先生から返事が来ました。吉冨先生の見解
日本聖書協会(1976年)の聖書では「この方」のところが「この言」となっていて、

 

言=神=創造   言に命があった、命=人の光   と読んでいます。

 

以下は、玄章 ・・・・ ということは、昨日、わたしが書いた私的解釈とそんなに違わないですね。聖書教育担当の先生は、育児休暇中だそうで、お返事を待っているところです。

 

■カトリック教会の教義では、神(絶対者・創造主・人格神)による「天地創造」は、実態としての「神」、絶対者としての「人格神」が「世界創造の神」=「天地・万物」という「創造主=人・物づくりの生産者」となっているのではないでしょうか。大峯顯先生は、この教義が近代・現代ヨーロッパ人には受け入れられなくなっている、と書いておられます。

 

■ところが、『ヨハネの福音書』によれば、「言葉」が世界をあらしめている、「言葉」のあるところに「ものの名」があり、「ものの命」が認められ、それは「ひかり」となって存在する。ここでいう「ひかり」も、光線の物理的な「ひかり」ではなく、「そのもの」がそのまま「そのものとして認められている」=「存在が許されている」=「ひかり」ではないでしょうか。「悲しみが悲しみとして許されている」、「わたしがわたしとして許されている」、「わたしのもつ闇が、闇のままに許されている」、このこと以外に「ひかり」はないのではないでしょうか。

 

■このことは、阿弥陀如来という絶対無限の如来様が、「南無阿弥陀仏」の名号(言葉・お念仏)となって、わたしにあらわれ、わたしを許し、わたしを救い、わたしと成る(機法一体)に、ヨハネは近い気がします。
読書:『法華経』と、M・ハイデッガーの『言葉への途上』と、『新訳聖書・ヨハネの福音書』を、行ったり来たりしながら読んでいます。わたしの読みのバックボーン(宗教的基盤)には、『仏説無量寿経』上下2巻を成り立たせている根本構造としての「弥陀の名号」があります。

 

『ヨハネの福音書』 第1章 への質問 2022/01/06

 

■長崎市:活水高校(キリスト教ミッション高)に勤務される吉冨先生に次の質問を送りました。

 

■質問1: 日本聖書刊行会(1970/9/1)発行『新改訳 新約聖書 詩編付』
 のP157 『ヨハネの福音書』【1】での質問です。

 

1:初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。
  ことばは神であった。

 

2:この方は初めに神とともにおられた。

 

3:すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは、一つもない。

 

4:この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。

 

■ここまでの4節では、まだ「イエス」の名は出てきません。
 ということは「この方」=「ことば」=「創造」=「いのち」=「人の光」
 と読んでもいいのでしょうか。

 

■質問1へのあなたの見解をお聞かせください。それと活水の聖書の専門の先生の、キリスト教の伝統的な解釈も知りたいのです。

 

■M・ハイデッガーは『言葉への途上』(全集第12巻)において、シュテファン・ゲオルゲの「語」(ことば)という題の14行詩を解釈して、最後の2行に注目しております。

 

そこで、私は悲しくも諦めを学びとった:
語(ことば)の欠けるところ ものあるべくもなし。

 

■この世の一切の「もの」を、「そのもの」として、生成し、あらしめているものは、
 「そのものの名」であり、「ことば」です。

 

■われわれ(人間)は、そのものの「名」を知り、「名」を呼ぶことによって、
 そのものとつながり、そのものと出会い、そのものを所有するのです。
 名なき仏は、「ない」のと同じです。(大峯顯)

 

■言葉なき世界(場所)には、神も仏も、自己を顕現することはできません。

 

■昨日、『妙法蓮華経』へのわたしの感想を色々書きましたが、28章(品)の一章ごとに、もう少しゆっくり丁寧に読み直してみようと思います。gensho

 

今日から平常業務 『妙法蓮華経』を読む 2022/01/05

 

■皆様、2022年、新年あけまして、おめでとうございます。元日は、午前10時元旦会。午後1時法務。2〜4日はお休み。(但し、葬式・通夜はあり)。今日5日から平常に戻りました。今日は、内勤のほかに葬式1件、法事1件、通夜2件、17時と18時の通夜は、わたしが担当します。

 

■正月中は、寝正月で、マルティン・ハイデッガーの『言葉への途上』(全集12巻)と、鎌田茂雄著『法華経を読む』(講談社学術文庫)、行きつ戻りつ読んでいました。インド仏教から中国仏教へ、AC2世紀頃までに多くの経典がもたらされて、中国で初めて経典宗派ができました。インド仏教には経典宗派はできませんでした。華厳宗・法華宗・唯識宗・念仏宗・禅宗・法相宗などなど13宗派だったか、できたんですが、どの経典が釈迦1代の最高の教えなのか、どの経典が一番レベルが高いのか、教相判釈という経典解釈(選別化・序列化)学問は中国で生まれました。天台智という学者は、諸経の王は『法華経』だということで、著書論文を書き、法華宗を始めました。『法華経』は28章(品)の構成で落ち着きます。『華厳経』は『60華厳』(60章:品)または『80華厳』(80章:品)に編纂が落ち着くのは、5〜6世紀頃のようです。『法華経』や『華厳経』など有名な大乗経典は、中国・東アジア・朝鮮・ネパール等々でも親しまれています。それまで華厳は『10地経』とか『入法界品』などは単独で流通して読まれていたんです。今では『妙法蓮華経』に収録されている『第25章 観世音菩薩普門品』も、アジアでは『観音経』(観音菩薩信仰)として単品で流通していました。紙に文字化されるまでは、お経はすべて暗唱でしたから、そんなに膨大に長い文章は、生活に溶け込めず、単品の章の方覚えやすく、テーマもしぼりやすく、親しみやすかったのだと思います。

 

■だから、頭からシッポまで一貫した構成じゃない。どうもわたしはそんな疑問を持っています。但し、仏教がインドから一気に流入してきた時代、仏教の概念が何を言おうとしているのか、解読し思索する上での思想の基盤が、インド人の発想と中国人の頭とではまるで違うわけです。わからないから「四諦」・「八正道」・「12縁起」・「声聞:原始仏教のさとり」・「縁覚:原始仏教のさとり」・「大乗菩薩道仏教」などなど、概念の整理や、言葉の紹介がまだまだ必要でした。そんな中で、経典の章構成をどう加え、どう重複をはぶき、どう章立てするか、模索も続いていたんだろうと思います。そんな眼差しを持ちながら、前を読んだり、後に帰ったりして読んでまして、なにか一貫性に欠けてる感が拭えません。それに、『妙法蓮華経』で、全体を通して一番強調されている論理は、『法華経』を伝える、『法華経』が諸経の王様(と自分で言っている)、『法華経』を広げる・・・・ことであって、「法華経がめざす悟りとは何か」、「一個の人間の生死の解決はどうするのか」・・・・、ぼやけているような気がします。『仏説無量寿経』では、「本願を信じ、念仏申さば、仏に成る」(歎異抄)と、阿弥陀の救済と、念仏者一人の生死の接点は、いつもここを狂いません。宇宙の極限と個の極限の出会いです。宗教の質の違いを感じますね。

 

■それと、『華厳経』にしても『妙法蓮華経』にしても、お釈迦様と弟子達、さまざまな如来・菩薩・登場人物が、入れ替わり立ち替わりして一つのドラマが進行していくのですが、どこも時間が水平時間なんです。水平時間と言いますのは、われわれの過去・現在・未来、昨日・今日・明日という、生活的歴史的延長の時間は経典進行に流れていますが、垂直時間、「永遠性のアトム」、「歴史上にどこにも場所をもたない時間」という哲学的観点がない。これは、何年も前から気になっていることです。まあ、今のところ、『華厳経』や『法華経』で論文でも書こうかとは思っていないのだから、放って眺めていますが、なんか浅い気がしています。『仏説無量寿経』の時間構成は、「歴史的生活的延長時間」と「垂直時間・永遠性のアトム」がクロスしています。そうでないと「世自在王仏」も「法蔵菩薩の永劫の修行」も解読できません。おとぎ話になってしまいます。「法蔵菩薩の五劫思惟の場所」は、地球の歴史上のどこにもないのですから。つまり、それは「永遠の今」・「今の永遠」・「現在の底なき深み」です。それと、仏弟子が大乗菩薩道の仏教に発心修行が始まって、「仏・悟り」にいたるまでに時間がかかりすぎです。自力聖道門・漸教の教えですから仕方がないですね。

 

■マルティン・ハイデッガーの『言葉への途上』(全集12巻)も、一冊拾い読みでした。■年の暮れは、『今日の宗教の可能性』の出版事業で燃え尽きちゃって、年賀状も1枚もださず、だらだらしてました。もうしばらくは、寒い冬とだらだらを楽しみます。gensho

いよいよ大晦日 2021/12/30

 


■門前のAコープ山田店に貼っていただいた「除夜の鐘」ポスター(縦85cm 横75cm)です。お買い物がえりに鐘撞きはいかが。さわやかな新年をお迎えください。

 

門前Aコープに除夜の鐘ポスター 2021/12/25

 

■門前を直進して100mにJAキ城が経営するAコープ山田店があります。昨日夕方、細川店長さんにお願いして、「除夜の鐘ポスター」を店内に掲示させてもらえることになりました。

 


■2018年、総代会・役員会をへて、「除夜の鐘」の時刻を、16:00 おつとめ 16:30〜17:30 鐘つき  に変更しました。寒い深夜(23:00〜0:30)の鐘つき参詣者が年々減ってきました。子どもも、通行人も、ドライバーも、大晦日のお買い物帰りの主婦も、気軽に参加できる形に変えようという方向転換です。まだ明るい夕方ですから、子どもだけでも参加できます。17:30終了とすることで、大人は夕食で安心して飲めます。

 

■今年初めてAコープ店内にポスター掲示を思いつきました。細川店長さんは、「はい、いいですよ」と二つ返事で、店内入り口のガラス窓に貼ってあげますと、言われました。「お買い物帰りに除夜の鐘をつきませんか」、ただ今ポスター制作中。まず、貼らせてもらえるガラス窓のスペースをメジャーで計りました。ロールの障子紙を、縦85cm×横70cmに切って、毛筆で手書きしました。練習用の1枚はお寺の窓に貼り、文字配置のいい方を、いま店長さんに頼んできました。どのポスターもチラシもパソコンプリントだらけだから、障子紙に毛筆は目立ちます。

 

冬休み子ども寺子屋&除夜の鐘 ご案内 2021/12/23

 

■2021冬休み子ども寺子屋 12月29日(水)9:00〜11:30 現在:11名申込み
 夏休み子ども寺子屋は7日間、冬休みと春休みの寺子屋は1日です。

 

■除夜の鐘 12月日)おつとめ:16:00 鐘つき:16:30〜17:30(時間限定)
■門前通行人もドライバーも、お買い物の主婦も、門徒内外だれでも参加できます。
■2018年より、子どもたちも参加できるように、除夜の鐘の開始時刻を夕方16:00に改めました。深夜の鐘つきはおこないません。

 

■くわしくは、TOP上段「2021冬休み子ども寺子屋ご案内」をクリック。 

 

夏休み子ども寺子屋 報告記事アップ 2021/12/22

 

■アミダネットの「2021夏休み子ども寺子屋」のページに、寺報「蓮華座9月号報告記事」をアップしました。おそくなってごめんなさい。

 

中外日報が記事を掲載へ 2021/12/22

 

■今朝、もう一度、渡辺記者さまから電話があり、「本の購入申込み先は、百華苑ですね。値段は、1320円(税込み)ですね」と確認されました。どんな記事になるか楽しみです。

 

■東京:築地本願寺ブックセンター様から10冊のご注文。本願寺鹿児島別院様は、12月27日締めきりで、現在、22の出張所にも希望冊数を調査中とのこと。百華苑、京都:本願寺ブックセンターとあわせて、店舗が4つになりました。いずれも、本願寺宮崎別院:吉川ご輪番のお手回しです。どなた様もありがとうございます。

 

中外日報社の渡辺記者さまから電話取材 2021/12/21 11:30

 

■先ほど、京都市:中外日報社の渡辺記者さまから、大峯顯著『今日の宗教の可能性』百華苑刊の改訂版出版の経緯について、電話での取材を受けました。ありがたいことです。大峯顯先生のファンは、本願寺派だけでなく宗派を超えています。先生を慕い、先生の語られる仏法に救われた方々が日本中におられます。その方々に「大峯顯先生著作出版委員会」の活動を知っていただくことは、仏法の未来を明るくします。渡辺さんに、第2弾、第3弾も出しますと語りました。

 

■渡辺さんに、本願寺(龍谷大学:中央仏教学園・宗門関係大学を含む)の伝統教学だけでは、現代人に仏法は伝わらなくなっている。宗教哲学の視座から「言葉とは何か」、「なぜ名号(言葉と成った仏)が人間を救えるのか」の言語論的解明が必要なんです。人類は、何もかも記号と数字(つまりコンピューターによる情報処理)による経済優先・能率優先の軌道に乗せられて、言葉のいらない社会へと猛突進している。人間がロボット化する方向、人間が深さを失う方向へとつきすすんでいる危機的状況だと思います、と正直に話しました。

 

■現代は、言葉に呼び止められたり、言葉が深まったり、言葉が成熟したりしない、記号社会になってきています。恐ろしいことです。ここでは、当然の帰結として、宗教はただの儀礼に堕ちてしまいます。大峯顯先生の問題意識を継承していきたいです。gensho

 

正定寺報恩講御満座の記念撮影 2021/12/14 13:00

 

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■毎年恒例、御満座の記念撮影 ご講師・住職・前住職・坊守・若坊守・孫・総代・地区世話人(組長)、仏壮。この日、先代第4代住職(父)から贈られた正定寺で一番おもい(重量も責任も歴史も)七条袈裟と修陀羅を第6代後継住職に渡しました。正定寺住職になって初めての報恩講御満座の御導師をりっぱにつとめました。

 

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■毎年恒例、御満座の記念撮影 ご講師・住職・前住職・坊守・若坊守・孫・仏婦幹事、地区婦人部長。男性役員も女性役員ももっとおおい(総勢85名)のですが、御満座はなるべく総出で後片づけまでして、お供えのもち・菓子・果物・昆布など片付けの後で分け合って解散するのが伝統です。本来ならば精進落としの煮染め盛・鶏唐揚げ・刺身盛のミニ反省会もあるのですが、去年・今年は自粛しています。1月の新春役員会は、小1時間の会議のあと「寄せ鍋新年会」であったまるのが伝統です。「寄せ鍋新年会」にしたのは、ゆっくり楽しく語らってほしいからです。8人テーブルが6つ位できて、どのテーブルも食材全部なくなります。早く日常に帰りたいです。

 

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■報恩講2日目。本願寺宮崎別院ご輪番より、「該寺住職を解く」、「宗派よりの感謝状」(住職在任31年間)の伝達がありました。

 

■12月12日報恩講初日 第1回:門前軽トラ野菜市 仏教壮年会が企画

■仏教壮年会の発案で試みました。ご講師もお買い物されました。カボチャ・里芋・白菜・ごぼう・ジャガイモ・ユズ・おもち・人参・紅はるか・もち米・みかん・・・・色とりどりに並びました。今回は初めての試みでしたが、品揃えも野菜だけでなく、もっと発展していくと思います。次は、5月の親鸞聖人降誕会での朝市でしょうか。

 

■ご講師:片岡雅子師  御伝鈔拝読:第6代住職  祖師前に献華もしました。
■熱心にお聴聞される正定寺総代・組長・仏教婦人会・門信徒

 

すっぴん12月例会 2021/12/19

 


■19日(日)13:30〜15:30、「すっぴん12月例会」でした。わたし、淳子さん、はる代さん、はじめさん、良子さん、信隆さん、仙之介さん、喬信さんの8人。喬信さんは仙之介さんの弟、京都の本願寺中央仏教学園在学中の冬休み。「正信念仏偈」のおつとめ。法話。座談会。お茶菓子は、かるかん饅頭、桜島小みかん、アップルパイ(はる代さん手作り、とても美味しい)。玄関前のコナラの紅葉した葉をきれいにあらい、菓子皿にしました。

 

■法話は、『蓮如上人御一代記聞書』より、「 (242)一、思案の頂上と申すべきは、弥陀如来の五劫思惟の本願にすぎたることはなし。この御思案の道理に同心せば、仏に成るべし。同心とて別になし。機法一体の道理なりと[云々]。」をいっしょに拝読したあとで、語らせていただきました。「神さまは天におられます。修行仏教の仏さまは山上におられて、人間に自分の高さまで登ることを求め、待っておられます。ただ阿弥陀如来ばかりは、人間から悪業煩悩を除くことはできないと内省されました。絶対無限(アミダ)がみずからを内省して、凡夫の人間存在の底に降りようと決心されました。そして凡夫に修行を求めず、みずからの無量寿・無量光を、一切の仏の功徳を名号(南無阿弥陀仏の名)に込めて、衆生を喚び、衆生にとなえさせ、如来と衆生がすきまなく一つになろうと決着されました。これを阿弥陀如来の本願といいます。この御思案の道理に同心せば、仏に成るべし。つまり、はい、ありがとうございます、ナンマンダブ、ナンマンダブとお念仏申す身になることは、仏心をいただくことなのです。明るいおだやかな永遠への扉が開くのです。大丈夫、向こうもいのちじゃ。むこうも光じゃ」。永遠の如来の呼びかけに「はい。ありがとうございます」と言えたことを「正信=信心」と言います。わたしの口から「南無阿弥陀仏」と仏さまのお名前が声になったことを「念仏」と言います。「信心」と「念仏」は一つです。阿弥陀と凡夫も一つです。

 

■14:15からは、自由なお茶のみ法談会。「わからんことを、わからんと言える場」、「極楽ってほんとに在るんですか」、「仏さまってなんですか」と言える、語れる「すっぴん問答」が生まれています。ありがとう。

 

キ城組9ヶ寺の報恩講の大御満座。11月21日のアソカ寺報恩講に始まった報恩講参り合いは、1ヶ月つづき、今日12月20日の広済寺報恩講で大御満座を迎えます。キ城組の住職様方、法中様、坊守様、門徒様、今年も立派に法要がつとめられましたね。よかった。よかった。親鸞さま、ありがとうございます。gensho

 

『科学思想史』 近藤洋逸著 1971年  2021/12/16

 

■報恩講でちょっと疲れた。手元に『科学思想史』があったので読んでいる。BC7世紀のギリシャ哲学から19世紀のダーウィンの『種の起源』(進化論)までの思想通史である。ここで、ヨーロッパ哲学の自然観の変遷が書かれている。これが中世をへて、コペルニクスの「地動説」、ケプラー、ガリレイの動力学。デカルトの機械論的生命観。ニュートン物理学。それぞれの科学的発見が成されるたびに、キリスト教の「神」の存在が揺らいでいく。科学・技術の発展、自然観の変遷は、西洋哲学をも揺るがし、人間生命観を揺るがし、「神の存在」と「その意味」を揺るがし続けた、ヨーロッパ全員参加型の思想史なのである。

 

■現代では、地球上の全人類は、「現代西ヨーロッパ人」という存在類型であるから、日本人の宗教観にも、当然、影響をあたえる。時々はこんな本も、面白い読み物である。

 

しぶとく耐えきった正定寺報恩講 2021/12/15

 

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■正定寺報恩講が終わりました。総代さんによる前日の準備、3日間の運営。3日間の地区組長・婦人部長による日替わり当番運営。あさの法座だけでなく、ごごの法座にもきちんと残ってお参りしてくださいました。最終日は、午後からは全地区の役員が出てくださって、お荘厳の片づけ、仏旗・報恩講のぼりの撤去まで、見事に運営されました。あとは、仏教婦人会によるおとき(会食)の復活です。来年は、きっとできると思います。総代・地区組長・仏婦幹事・地区婦人部長には、かんたんな弁当も用意しました。コロナ禍の後遺症で、せっかく30年間で築き上げてきた、3日間の午前・午後を地区毎に割り当てて、役員会全体で日替わり当番で運営するという方式を壊したくなかったのです。

 

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■庫裡玄関のまえのコナラ(小楢)の紅葉です。美しく深い紅です。

 

正定寺 親鸞聖人報恩講 2021/12/10

 

■12月12日(日) あさ座:10時開式  ひる座13時開式

 

■12月13日(月) あさ座:10時開式  ひる座13時開式

 

■12月14日(火) あさ座:10時開式  ひる座13時30分開式

 

■出勤法中: キ城組9ヶ寺ご住職・副住職

 

■法話:   片岡 雅子 師 (本願寺布教使 兵庫教区)

 

■おとき:  今年までおとき会食は自粛します。

 

■門徒内外、どなたもどうぞお参りください。仏法聴聞でこころのお洗濯させていただき、さわやかな新年をお迎えしましょう。

 

書籍販路拡大のきざし

 

■昨日、高崎町善長寺様の報恩講で、本願寺宮崎別院:吉川輪番とお会いしました。2018年12月6日、このお寺の法中室で、わたしが大峯顯先生の『今日の宗教の可能性』を再版したいといい、当時本願寺修行長であられた攝護寺ご住職とご輪番が応援してくださったことから、この事業は始まったのです。あれからどうなったのか輪番も気になっておられたのです。「お陰さまで11月10日、百華苑より出版できました」と報告しましたら、大変よろこんでくださいました。そして今日早速、本願寺鹿児島別院の輪番との話をつけてくださり、鹿児島別院ブックセンターにも置いていただけるよう内定になりました。来週は、東京に出張されるとのことで、築地本願寺ブックセンターの担当者とも会ってくださるのです。百華苑に直接の個人のご注文もぼちぼち来始めております。販路ネットワークが広がるきざしです。2021/12/08 gensho

 

キ城組報恩講 中盤へ

 

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■11月21日アソカ寺報恩講に始まったキ城組9ヶ寺報恩講(全ヶ寺参り合い)は、一日も日程の重なりがなく、12月20日広済寺報恩講まで一ヶ月間つづきます。アソカ寺・願心寺・善性寺・攝護寺・善長寺・安楽寺・正定寺・慶正寺・広済寺の順番も、各寺の日程も毎年変わりません。攝護寺だけが5日間、他のお寺が3日間です。コロナ禍に足をひっぱられてどのお寺も、去年と今年は、門徒おときも法中おときも自粛しました。しかし、なんとか以前の盛大な法要にもどそうと、どのお寺も必死です。今日から高崎町善長寺の報恩講が始まりました。善長寺報恩講が中間折り返し点になります。 2021/12/06

 

■正定寺報恩講は、1日目、12月12日(日)午前10時・午後1時にはじまり、12月14日(火)午前10時・午後1時30分の法要まで3日間6法座です。勤行は組内法中と親戚寺院法中、講師は兵庫県から片岡雅子師(おなじ大峯先生のお弟子)です。正定寺では、毎年11月24日に門徒会報恩講会議(この日だけ組内報恩講がない日)、12月1日に境内清掃と仏旗・報恩講(組内で制作)のぼり立て、12月4日に本堂・館内清掃、12月8日に「もち飾り制作」(おもちつき)、12月11日に総代も仏婦幹事も前日点検をして、本番にのぞみます。みなさま、門徒内外を問わず、どうぞお参りください。

 

大峯顯先生の『今日の宗教の可能性』を11月10日に京都市・百華苑から発刊できまして、しばらく休養かなあと思っていましたが、なんだか精神も身体もだらだらになって、どうもいけません。来年秋の第2弾発刊に向かって準備を始めました。第2弾は、「浄土真宗名号論」、「言語哲学論」の講演集になります。2021/12/06 gensho

 

■本堂障子貼り替え完了

 

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■築93年で木痩せして木目が浮いているので、障子の枠木・桟木を電動サンダーで擦りなおして平らにしました。そして。25日の午後、トシエさん、アキミさん、ヒロコさんの加勢をもらって、障子貼りしました。家庭用とちがって、障子が大きいので、4人で紙の四隅をもって貼りました。2021/12/05

 

■何十年ぶりに障子貼りしたので、やりながらだんだん思い出しました。@塗装用のブタ毛の刷毛を水でぬらして、障子の桟木をなでる。A1分位待って、障子紙をはずす。きれいに剥げました。B屋外に障子を持ち出し、桟木を水で濡らして、古い糊や汚れをタワシで洗いおとす。C桟木をタオルでふいて乾かす。D15mロール(幅0.9m)の障子紙を障子枠に当てて、大きめに裁断する。E桟木に糊を塗る。とんとんと障子刷毛で置いていく感じ。F障子を貼る。G屋内に入れて、一日乾かす。H乾いた紙にアルミ物差しを当てて、15mmくらいの幅を残してカミソリで切る。カッターナイフよりもカミソリがいい。I切り口を水で濡れたブタ毛刷毛でなぞる。J余分な紙をはがす。K障子をもとの場所にもどして立てて、霧吹きで水をかける。L乾いてピンと紙が張ったら完成。・・・・・・・・・ 次はもっとうまくできそう。

 

■業者に貼ってもらった障子は、破れにくいようにナイロン繊維がはいっています。水をはじいてなかなか剥げません。水や破れには弱いけれど、紙の障子の方が貼り替えやすいですね。

 

報恩講運営会議 2021/11/24

 

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■正定寺門徒会では、毎年11月24日、親鸞聖人報恩講(12/12〜14)をお迎えするための運営会議をします。父の代から、いやもっと前からかもしれません。今日は、総代・組長・仏教婦人会幹事・地区婦人部長、計63名が参加されました。全役員の80%です。今年の報恩講は、全参詣者への「おとき会食」(仏婦手作り)だけは去年同様に中止しますが、法要はコロナ以前の姿にもどします。(写真は全体会の様子)

 

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■会議終了後、総代・仏婦幹事・住職・坊守・前住が残って、細部の打合せ。わたしの住職時代から、報恩講は門徒一人ひとりが主催者なんだという考え方でやってきました。

 

■わが宗門では、門信徒会運動→→基幹運動→→実践運動・・・・など運動という言葉づかいで組織活動を自称してきました。しかし、いったい本山や別院・教区で、配下の全教化組織をあげて「報恩講運営会議」をするところがいくつあるのでしょうか。浄土真宗で一番大切な法要を迎えるにあたって、末端の組織はバラバラのままで血流が流れない、・・・・ お坊さんが自分たちだけで運営しようとする、慣例に従って何もかも例年どおり。これで「運動」なんて言っているのだからおかしいです。全組織をあげて報恩講をおつとめするとなると「仕事がふえる」。自分たちだけでやった方が手っ取り早い。何か根本の考え方を自己点検しないと、未来は先細るのではないでしょうか。今年は、門前駐車場が拡張し整地も終わったことから、仏教壮年会主催の門前野菜市を、報恩講第1日目に実験的にすることになりました。ご門徒さんが自主的に動いています。

 

ひとりの読者として 2021/11/21

 

■今朝は、再版された大峯顯著『今日の宗教の可能性』を、ひとりの新しい読者として読み始めた。8月1日から第13回校正原稿までは、何十回、編集責任者として読んだだろう。緊張の糸が3ヶ月間、日夜いっぱいに張ったままだった。11月10日、ぶじ発刊できて、少し時間がたち、楽な感じで本をながめ、手にしている。文字が11ポイントと大きく、ゆったりとしたいい本だなあと思う。表紙もいい。それに、やっぱり「資料集」を加えたのがよかった。きっと読者の読みが深まるはずだ。

 

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■追い焚きをした朝湯にひたりながら読んでいると、「第1回宗教哲学講座(2006/6/27〜6/29)の録音データ『宗教と言葉』をCD出版したらどうか」と、言葉が降臨した。お浄土からか、そうなんだろう。来秋の「百華苑からの大峯顯著『浄土真宗名号論・現代言語論』の出版とかさねて、ダブルパンチでいこうか!」と声が聞こえた。「面白いね」と先生の声がした。「まかせてください」と応えた。湯上がりにパソコンを開くと、ちゃんと第1講から第12講まで整理はできている。文字原稿として起こすのもいいが、スマホや車内オーディオやPCなど、現代はデジタル音響環境は格段に整っている。それに先生の声をもう一度聞きたい弟子たちがワンサといるはずだ。「やろう、やろう」と胸が高鳴った。gensho

 

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■あの時もそうだった。2005年12月14日正定寺報恩講御満座、講師室にご講師:大峯顯師を迎えにいった。12月11日から先生と肝胆相照らして語り合ったわたしの最後の言葉は、先生をお招きする前から、初めからあった。廊下を歩きながら、「先生、先生の宗教哲学はどこにいけば聴講できますか。京都ですか、奈良ですか。何処へでもいきます」と言うと、「京都や奈良の坊さんは、哲学はいらんのよ」と言われた。エレベーターが降りきってドアが開いた。「先生、霧島温泉で宗教哲学講座2泊3日を、わたしとやりませんか。人はわたしが全国から集めます。先生は温泉に入りながら、その合間に哲学を存分に語ってください。テーマは『宗教と言葉』。どうですか」。瞬間、先生の足が止まった。じっとわたしの眼を見た。その眼はあの温顔の慈愛の眼ではなかった。妥協を許さぬプロの眼だった。そして一言、「面白いね」と言われた。その後はもう無言で、二人の足は御満座の本堂へと向かっていた。あの時、わたしは心中で両手両足を放下して、「やったあ」とおどっていた。

 

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■わたしの父は、京都大学哲学専攻で、指導教授はフィヒテ研究で知られる木村素衛教授であった。大峯顯先生の京都大学博士論文も『フィヒテ研究』である。夕食をごいっしょしながら、「父が先生とのご縁を結んでくれたんですね」と言うと、先生はうなづいて微笑まれた。

 

専徳寺様大銀杏 2021/11/18

 

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■11月16日〜18日、鹿児島県曽於市末吉町専徳寺様の報恩講にお参りしました。本堂正面の大銀杏の紅葉があまりにもきれいだったので、ひとり撮影会を楽しみました。樹形も美しいです。3日目は午前の法要で終わりましたので、開通したキ城〜志布志道路で、志布志町金剛寺の前住さんをたずね、『今日の宗教の可能性』出版の報告をしました。圧迫骨折で入院しておられたとのことでしたが、今はとてもお元気でした。清澤満之、暁烏敏の話でおおいに盛り上がりました。

 

大学図書館への寄贈の準備 2021/11/16

 

■昨日、月曜日、大峯顯著『今日の宗教の可能性』の大学図書館寄贈の準備をしました。リストアップして、電話しました。大阪大学付属総合図書館・京都大学文学研究科図書館・龍谷大学深草学舎図書館・龍谷大学大宮学舎図書館・龍谷大学瀬田学舎図書館・九州龍谷短期大学図書館・京都女子大学図書館・大谷大学図書館・同朋大学・名古屋音楽大学図書館・佛教大学図書館、本願寺出版社・浄土真宗本願寺派総合研究所・中外日報社・本願寺宮崎別院です。多くの図書館では、蔵書に第1版と第3版があるとのことでしたが、経典の引用の文字間違いを校正した改訂版ですと言いましたら、それなら受け入れますとのご返事でした。大学図書館には「選書委員会」という組織があって、寄贈された書籍が建学の精神に沿ったものであるかどうかを判断のうえ、蔵書と認定されます。同じ書籍は1冊のみ受け入れです。いきなり送りつけずに、語ってみてよかったです。添付する手紙に何を書いたらいいのかがわかりました。

 

■昨日は、14時から16時すぎまで、仏教壮年会の方々14名で、裏山の竹・雑木刈り、境内の草払い、隣接地に伸びた木々の枝打ちでした。お陰さまで、日頃手に負えない作業がきれいにできました。作業終わってからBBQしながら、報恩講・野菜朝市の打合せがありました。

 

大峯顯著『今日の宗教の可能性』百華苑刊 2021/11/13

 

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■ 百華苑  〒600−8333 京都市下京区油小路通六条上ル
                 TEL 075−371−5760
                 FAX 075−344−0556

 

■11月10日、ついに念願かなって発刊できました。46判・151頁・@1,320円(税込み)です。カバー表紙は、つや消しの金箔が押してあり、さすが京都の出版社です。今日は、龍谷大学・九州龍谷短期大学・京都大学・大阪大学・大谷大学などの図書館への寄贈先をリストしました。大学図書館は。図書選定委員会というのがあって、ここでの審査をへて、蔵書として受け取ってもらえます。月曜日から手紙を書きます。春頃までには結論がでることでしょう。ここから先は急ぐ必要はありません。

 

■全国各地から、「本が届きました。立派な出来映えですね」と、メールや電話いただいております。2018年1月30日、先生は書斎で急性心臓死のため87才でご逝去されました。お通夜・お葬儀にも参列しましたが、一年間ずーっと何か大切な仕事を私たちに残して逝かれたような渦巻き雲のような重さが胸にありました。12月6日、『今日の宗教の可能性』の再版を思い立ちました。本願寺出版社と著作権者のご長男に許可をいただき、2019年1月5日から原稿のデータ化を始めました。2月16日、ほぼデータ化が終わったので、さあ京都へ行って百華苑の社長さんと会おうと思っていた矢先に、全国コロナ蔓延です。ぷっつりと足が止まり中断してしまいました。

 

■2021年6月を迎え、やっぱり諦めきれません。それは、大峯先生のお仕事を後世に残したいという想いもですが、わたしには本願寺教団から「なんまんだぶつ」のお念仏の声が消えかかっているように見えるのです。さまざまな教義解釈や法話、実践運動の添え物のように「お念仏」が語られることはあっても、直球で「なぜ南無阿弥陀仏の名号が仏そのものなのか」、「なぜ南無阿弥陀仏を称えて救われていくのか」、「そもそも宗教的救いとは何なのか」が語られることはほとんどありません。宗派があって本質的宗教がない。宗派の都合があっても、称名念仏でしか救われない現代人独り独りのそのままがない。たった独りになって問いを立てるという宗教心の苦悩がありません。宗派の殻(幻想の砦)に立て籠もって、従来の教義の説明の仕方をはみ出さないように戦々恐々としているのは宗派セクト主義です。宗教が現代人の生命の水として現代人の生命と一つになって生きて行くには、宗派教学だけではもうだめでしょう。わたしはそう思います。関連記事は、TOP上段の「法話のゆくえは」にも書きました。

 

■6月中旬に、奈良県・專立寺住職・大峯朝記様にお手紙を送り、重ねて出版の許可をいただきたく、お願いしました。7月4日に大峯朝記住職様から、「前にもお伝えしましたように、大変ありがたいお申し出だと思っております。この件は、尼子様にお任せ致します」とのご返事をいただき、再出発の条件が整いました。6月からは、「大峯顯先生著作出版委員会」の結成を呼びかけ、購入予約も続々といただきました。

 

■出版準備・校正スタッフもわたしを含む13名となり、10回の編集・校正作業を重ね、9月16日に京都市・百華苑様に原稿を持ち込みました。そして、本文・資料集など3回の校正往復、カバー表紙デザインの3回の校正往復を経て印刷・製本し、11月10日、タイムスケジュール通りの発刊となりました。今はとても安堵しております。

 

■このように、3年がかりで目標を達成できましたのも、ずっと支えてくださった方々、編集スタッフの皆様、購入予約をして応援してくださった94名の皆様、協賛金をくださって勇気づけてくださった皆様、本願寺出版社様、百華苑様、富山房印刷様、專立寺住職様、皆々様のお支えがあったればこそです。深く深く御礼申し上げます。

 

■約1000冊は出版と同時に予約者様に売れました。のこり1000冊は、百華苑様に販売を委託してあります。今月中または12月初旬までに2000冊分のお支払いは完了します。そのお約束で出版事業をスタートさせました。のこり1000冊がどう動くのか、注視していきます。gensho

 

百華苑から本が届いたご報告 2021/11/11

 

■高知県室戸市のヒロコさんからお電話あり。「大峯先生の本が届きました」、の声を聞いて、どんなにうれしく、安心したことか。カバー表紙のデザインに「さすが京都ですね、つや消しの金箔押しですか。大峯先生にぴったし」と喜んで下さいました。続々と発送作業がすすんでいる模様です。皆様、出来上がった本を手にして、どうぞご感想をお聞かせください。「大峯顯先生著作出版委員会」からメール投稿ができます。

 

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■今日は、本堂向拝(表玄関)に障子を持ち出して、電動サンダーで障子の枠木・桟木を研磨しました。築93年たって木痩せして木目が筋立ちして、紙との接着面がとがり、貼り直してもすぐ剥がれます。1枚1枚ていねいに磨きました。

 

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■孫に大根盗られたの写真をアップしました。わたしは、昨日、一本128円で別な大根買ってきて、孫に見られぬように門徒ホールの台所で皮剥き・切りました。昨日は、大根・椎茸・人参・冷凍タケノコ・冷凍獅子肉でおでんにしました。今日は、そのスープで赤芽里芋とゆで卵を煮ました。おでんのスープでモヤシ・春菊をシャキシャキ感を残しながら煮るのも美味しいです。今晩は、昆布巻きもいれます。写真は、わたし専用独り土鍋。湯豆腐・牡蠣鍋・おでんなど。(おでん全体は、大きなアルミ鍋・キャンプ用で下ごしらえです。)

 

孫に大根盗られた! 2021/11/10

 

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■娘のSNSから引用。(俺=孫kaoru)
 キッチンのじいちゃんの大根をやたら気に入った俺。
 どうしても幼稚園に連れていきたいというので抱きかかえて車へ(笑)。
駐車場から幼稚園まで、いつもの倍以上かけて自分でもって歩いた俺。
色んなお友達や先生から、「かおるくん大根もってるー」と笑ってもらいご満悦。
 お姉ちゃんまで、「なんか大根可愛く見えてきた。食べたら私も泣くから」とか言い出す始末。
交流館にいって、帰ってきたら、今度は三輪車に乗せて一緒に散歩するんだと言い張る俺。
野菜史上、始まって以来幸せな大根だとおもう。
幼稚園にいき、ドライブして、三輪車で散歩。 おままごと遊びにも参加。
誰か、この大根にもマイナンバーカードを!! もう家族なんです。
尼子大根 次男です。よろしくお願い致します。

 

■おでん作っています。一本100円の見事な大根買ってきて台所においてたら、昨日から孫が抱きしめて遊んでる。なでたり、だいたり、持ち歩いたり。わたしが持ったら、取り上げられたと、はげしく泣き叫ぶ。この大根包丁で輪切りにしたら、殺人罪に問われそう。幼稚園年長組のaoiを娘が送っていくと、kaoruも大根抱いて幼稚園へ。幼稚園中の人気者、みんなが笑ったり見にくるもんだから、ますます可愛がっています。はて、わたしのおでんはどうなったのか? じいちゃんgensho

 

紅葉 ドウダンツツジ 2021/11/10

 

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■秋を飛び越して冬がきたようなはげしい気候の変化で、今年は紅葉は見られないのかなあと心配しておりましたが、鐘楼のまえのドウダンツツジが見事に色づいてきました。それにしても、去年よりも紅葉がはやいような気がします。

 

■大峯顯著『今日の宗教の可能性』は、今日から発送作業が始まります。カラーのカバー表紙もとても素敵な仕上がりです。お楽しみに、もうすこしお待ちください。

 

予定どおり、11月10日発刊 2021/11/08

 

■先ほどクロネコキ城店から京都へ発送。百華苑社長:福田裕子様に電話しました。「明日の14時〜16時の時間指定で配達します」と申しましたら、社長からも、「本も明日おなじ時間頃、全部届きます」とのこと。もう少しでお届けできます。肩の荷が降りました。gensho

 

発刊のことば 2021/11/08

 

■大峯顯著『今日の宗教の可能性』(百華苑刊 2021/11/10)の「発刊のことば原稿を書きました。A5サイズ(2つ折り)に2030枚印刷して、今からクロネコさんで京都へ送ります。11/10発刊と同時に、本にはさんでもらいます。2022年秋には「第2弾」がでますという予告でもあります。

 

発刊のことば
 大峯顯著『今日の宗教の可能性』は、本書「あとがき」にあるように、1988年の5月と6月の2回、浄土真宗本願寺派教学本部主催の住職課程でおこなわれた講義です。本願寺出版社から第3版(1998年)まで刊行されましたが、今日では絶版になっておりました。宗教の本質を語られた内容は少しも時代劣化していませんので、大峯先生は生前中に再版を望んでおられました。このたび本願寺出版社様と大峯先生のご遺族様のお許しをいただき、百華苑様より再版することができました。心より御礼申し上げます。
 「大峯顯先生著作出版委員会」は、2006年〜2015年まで毎年、鹿児島県霧島温泉「旅行人山荘」での、「大峯顯先生宗教哲学講座」(2泊3日)に全国からつどった学友有志で組織しております。
 第2回出版は2022年の秋頃、「宗教と言葉」、「浄土真宗名号論」を中心に刊行したいと計画しております。大峯顯先生みずから、「わたしの名号論・言語論は、60代から始まった」と語っておられましたが、『花月の思想』(晃洋書房 1989年)に書かれた「言葉と超越」・「宗教と言葉〜なぜ名が救いか」の論文を指しているものと思います。これらの重要な文献は絶版となっており、古書価格も高騰していて入手が困難です。各地での貴重な講演筆録も一般公開されないままですので、ぜひ出版して有縁の皆様のお手元にお届けしたいのです。
 「なぜ南無阿弥陀仏の名号が仏そのものなのか」、「なぜ言葉となられた仏に人間の生死を救う力があるのか」を解明することは、浄土教の根幹を会得することだといっても過言ではありません。また、現代人の生活が数値や記号に埋め尽くされ、言葉の大切さが見失われようとしている時代状況の中で、先生が常々「言葉の復権」を問い続けてこられた問題意識を継承していくことは、人間存在の根源の故郷に還っていく営みでもあると思います。
 今後の出版計画は、本サイトで発信してまいります。この出版事業に多くの賛同者が参加していただくことを願っております。2021年11月10日
大峯顯先生著作出版委員会 代表 尼子玄章

 

親鸞聖人報恩講への冬支度 2021/11/05

 

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■「報恩講がくるのに、本堂の障子が破れていて、みっともない。業者に頼んで」と坊守がうるさく言うので、「お金がもったいない。障子の貼り替えくらい自分でできる」と、今朝、痛んだところの障子紙をはがしました。まずアルミ製の物差しを桟に当て、よく切れるカッターナイフで、桟木の下ギリギリを切っていきます。次に、やわらかな刷毛を水で濡らして、障子の桟をなでる。紙に水がしみこんだ頃合いに、痛んだ紙をはがします。次は、障子を表参道の石畳の上に出して、桟木の糊をタワシで洗い落とします。この障子は本堂創建当時、つまり昭和4年(92年前)に作ったものですから、障子の木枠が木痩せして、木目が浮いています。現代では、障子の枠木も桟木も、木目のつまった柾目の杉材を使いますが、予算がなかったのでしょう。板目の材料で作ってあります。このままだと、接着部分が木目だけになって、すぐはがれてしまうわけです。2mmくらいカンナかけして、平面に直してから、障子紙の貼り替えです。カンナの刃をカミソリ刃みたいに研いでからの仕事です。小学校の子供時代、祖母になんでもやらされたので、身体が覚えています。なんでもやってこそ、坊さんです。
■昼から、障子1枚だけ木枠の一番下の枠木にカンナをかけてみました。筋立った木目をけずりおとして、平面に仕立て直しました。うまくいきました。gensho

 

機法一体の南無阿弥陀仏 2021/11/04

 

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晩秋の風情 2021/11/03
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■本堂正面の庭にツワブキが咲きました。秋陽に映えてきれいです。今日は、午後2時からオンラインで、キ城組仏教壮年会の研修会。玄章が法話します。

 

時間: 2021年11月3日 01:30 PM  法話は14:30頃からの予定。
https://us06web.zoom.us/j/84270335973
ミーティングID: 842 7033 5973
パスコード: 516789

 

朝露とヤマゴボウ 2021/10/29

 

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■出版原稿をぜんぶ京都に送ったので、すっかりのどかな秋。ヤマゴボウが色づくのが楽しみです。週1回で通っている歯科、昨日が4回目でした。歯のお掃除がすんだら詰め物のとれた虫歯の治療だそうです。

 

■明日は、鹿児島県曽於市末吉町の専徳寺南之郷出張所の永代経法要に出講します。「機法一体の南無阿弥陀仏」を語らせてもらいます。久しぶりに録音もします。

 

ポルトガル製 銅製ケトル届きました。 2021/10/25

 

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■午後に待っていたポルトガル製アンティークケトルが届きました。早速、門徒ホールの湯沸処でコンロにかけ、古くなった紅茶葉をいれて弱火で煮沸しました。一晩このまま置いて、金気を抜きます。作りがとっても良くて、蓋の形状も、注ぎ口の形も良くて、ヤフーオークションで3,100円で落札したなんて、驚きの品物です。底にメイドイン:ポルトガルと刻印があります。2Lは入りますから、門徒会館の湯沸かし用に普段使いもできますし、自分ひとりのお茶煎れにもいいです。下の腰がたっぷり張っていてガスの炎を逃がさず水に伝えます。いちいちが考え抜かれた一生物ですね。姿がよくって、いかにもティータイムのなごやかさを演出します。

 

■今日は午前中、京都市・百華苑に送る書籍発送準備の書類の原稿を書きました。明日からは書籍2000冊にはさみこむ「出版委員会の原稿」を書き始めます。なぜ、いま、そして未来も、大峯顯の「宗教哲学」と「言語論」なのかを、ストレートに書こうと思います。いわゆる「感じのいいごあいさつ」ではなく、このままでは「浄土真宗」は、教団は弱体化しながらも延命するでしょうが、宗教的生命、宗教が現代人を救う救済力はもう死にかかっていると思うという警鐘を誤魔化しなく書こうと、今日思い至りました。この私の視点を隠したまま、出版事業を継続することは、わたし自身への自己欺瞞であり、出版物を買ってくださる方々への「媚びへつらい」でしかないと思います。考え事しながら、10号線の末吉の道の駅に蜂蜜を買いにドライブしました。「りんごの花の蜜600g」を買って帰りました。明日はエスプレッソに垂らすのです。

 

すっぴん10月例会、にぎやかに! 2021/10/24

 

■今日の「すっぴん」は、子島さんご夫妻、悟さん、淳子さん、はる代さん、わたしの6人でした。「正信念仏偈」のおつとめのあと、「稱名念仏」の「稱の字のこころ」を語らしてもらい、ティータイムへ。あたたかい緑茶、高知から届いた梨(一個で十分)、はる代さんの手作りアップルパイ。シナモンの香もよくつややかな焼き上がり。淳子さんのミカン。秋の味覚満載の茶話会で盛り上がりました。来月も楽しみです。来れなかった方は、下にご法話書きました。しばらくは、「機法一体の南無阿弥陀仏」の連続法話でいこうと思っています。

 

仏教サロン すっぴん10月再開! 2021/10/24

 

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■コロナのため、8月・9月と自粛休会していました「仏教サロン すっぴん」を、今日、再開します。あたたかい緑茶をのみながら、ほっこりと語らいましょう。今日の法話は、「稱名念仏」の「稱」の字の話。諸橋轍次の『大漢字辞典』によりますと、「稱=称=秤」とあります。「禾 ノギヘン」は、秋の稲穂の実り。「爪 ツメ」は、実りを手でつかんで秤(はかり)に乗せる行為。「爪」の下の文字は、はかりの台です。農夫がはかりの一方に山の幸、漁師がはかりの一方に海の幸、お互いが乗せて、つりあって、交換してよろこぶ姿と言ってもいいでしょう。「稱」の意味は、「はかり。たたえる。ほめる。となえる。あげる。かなう。ほどあい。そろう。したがう・物のよろしきにかなう」です。

 

■法然上人は、人間が分別・知識・味つけをしないお念仏を、「すけをささぬ念仏、白木の念仏」とおおせられました。「すけ」とは、「意味づけ」、称名念仏の声のほかに、何か別の観念や雑行・雑修・学問・知識を持ち込む「念仏」のことだと思います。法然上人はおなくなりになる二日前、建暦二年正月二十三日、お弟子に請われて、『一枚起請文』をしるされました。

 

■「もろこし(中国)・わが朝に、もろもろの智者達の沙汰しまうさるる観念の念にもあらず。また、学文をして念の心を悟りて申す念仏にもあらず。ただ往生極楽のためには南無阿弥陀仏と申して、疑なく往生するぞと思ひとりて申すほかには別の子細候はず。ただし三心・四修と申すことの候ふは、みな決定して南無阿弥陀仏にて往生するぞと思ふうちに籠り候ふなり。このほかにおくふかきことを存ぜば、二尊のあはれみにはづれ、本願にもれ候ふべし。念仏を信ぜん人は、たとひ一代の法をよくよく学すとも、一文不知の愚鈍の身になして、尼入道の無智のともがらにおなじくして、智者のふるまひをせずして、ただ一向に念仏すべし」。

 

■わたしたちが、いつでも、どこでも、どんなご縁でとなえるお念仏も、わたしたち人間の側から味をつけなくても、阿弥陀さまの方から、「おまえの煩悩は、わたしの大慈悲とちょうどそろっているぞ、かなっているぞ」と、いま救われている姿なのです。阿弥陀如来のお慈悲の天秤に乗せられて、つりあい、かない、したがい、そろっている、弥陀の本願のよろしきにかなっている私の姿が「なんまんだぶつ」です。お念仏申しましょう。gensho

 

お庭に咲いたヨウシュヤマゴボウ 2021/10/22

 

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■南の庭の花壇にヤマゴボウが毎年自生します。子供の頃は濃い紫の実を摘んで、紙に押しつけて色遊びをしたものです。この草は毒性がつよく食べれません。今日で、『今日の宗教の可能性』の購入予約者の顧客リスト(973冊分)が完成しました。週明けに百華苑に送ります。本の発送準備にかかってもらいます。何か秋草の花粉が飛んでいるらしく、鼻がむずがゆくクシャミがでます。明日から、木工DIYを始めます。リビングに自分専用のフライパンやパスタ鍋の食器棚を置きたいのです。出版関係の仕事の整理がついたので、頭が軽いです。

 

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■ヤフーのオークションで、ポルトガル製のアンティークケトル(銅製・容量2L)がでてて面白そうだったので、上限5千円までのお付き合いと決めて参加したら、3,100円で落札してました。まだ届きませんが、いいお買い物じゃないかなと思います。茶葉でなんどか煮沸してアク抜きしたら、お茶を飲む湯沸かしに使います。クラシックレコード同様に、なにか冬遊びの感じです。美味しい煎茶・お抹茶が飲みたいです。コーヒーはイタリア製のエスプレッソメーカー・ビアレッティ(1人用と2人用の2台)を使っています。鋳物の鉄瓶や南部鉄の茶釜は、ガスコンロで焚いたら絶対いけません。ガス火力が強すぎて破裂するのです。箱火鉢の炭火(または茶釜用電熱炉)でおだやかに湯沸かしします。気軽にガスコンロ用としてはこのケトル、いい味出しそうです。緑茶・抹茶・紅茶にいいと思う。はやくこないかなあ。

 

『今日の宗教の可能性』 校正終了! 2021/10/18

 

■京都市:百華苑から送ってきた「第3回校正原稿」を確認し、出版委員会としての編集・校正の段階が終了したことを、今日つたえました。8月1日から始まった編集作業が、委員会内で10回の校正をかさね、百華苑との間で、ルビ追加など3回の校正をへて、いよいよ印刷・製本です。あと一つ、カバー表紙の校正がのこりました。第1刷発行日は10日のびて、2021年11月10日と決定しました。もう少しお待ちください。

 

 

 

 

 

孫娘 あおいの運動会 2021/10/16

 

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■10月16日(土)、庄内町清涼幼稚園となりの市民広場で、孫娘あおい(6才)の運動会がありました。コロナ対策ということで、土・日と園児を半分ずつにわけ2日間の開催でした。先生方、ご苦労様でした。幼稚園最後の秋に運動会もできないのかなと母親が心配しておりましたが、無事たのしく開催できてよかったです。私は、10時のお参りをすませて、あとから一人かけつけました。

 

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■年長さんの組み体操のフィナーレ。明日への架け橋。ぜんぶの子がそろうまで、腕立てのまま、よくがんばりました。

 

ヴィバルディ 冬が鳴った 2021/10/13

 

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■前出、河出書房の全集第1巻「ヴィバルディ 四季」、第2巻「弦楽四重奏」。高校時代、ヤマハの2万円台のプレーヤーでよく聴きました。針傷やダメージはないかと、おそるおそる開けてみると、油膜のよごれあり。A面・B面、ていねいに歯ブラシと洗剤で洗い、仕上げの歯ブラシ水洗い数回。乾かしてよく溝を点検すると、思っていたよりもダメージはない。鳴らしてみると、ところどころ少しノイズが入りますけど、まあまあの状態。当時も大事にしてたんでしょうね。B面後半「冬」、ヴァイオリンソロ、きれいに鳴りました。「四季」は、CBSソニー全集にもありますので、聴き比べが楽しみ。CDだと、勝手に鳴ってなさいという態度ができるけど、アナログはそばに付いていないと心配。だからなお可愛い。イムジチ合奏団の「四季」CDもあったのだけど。

 

音楽コレクション 2021/10/13

 

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■わたしが持っているレコードコレクションはさほど多くない。一番はじめは、高校生の頃、高校教師をしていた父が買ってくれた『世界大音楽全集』河出書房・30巻(1969年1月〜1972年12月 写真上段の右30巻)、月一巻だされたもので、音楽家の風貌とレコード2枚組み、当時1巻2800円だから、今なら5〜6000円でしょうか。父は、本は惜しみなく買ってくれました。高校2年で初めてお小遣いで買った全集が『カフカ全集』だから、田舎の少年にしては贅沢な育ち方をしたものです。河出の30巻のうち、特にヴィヴァルディの「四季」やベートーベンはすり切れるほど聴いていましたが、まったく針を落とさなかったレコードもあります。「四季」では、「冬」が今でも一番好きで、「春・夏・秋」は「冬」を鳴らすための序奏にさえ聞こえます。これは、私の『大無量寿経』の読みにも通底していて、大経発起序からの一文一語は、「第18願」を鳴らすための布石なのです。でも、布石の読みが浅かったら、「第18願」も浅くなります。昨日から、毎朝スクーターでキ城西高等学校に通勤した父の姿を想いながら、1枚1枚、レコード掃除を始めました。一回も鳴らしていなくても、カビや油膜みたいな汚れがあります。片面ずつ極細歯ブラシで洗って、拭いて、ノイズがないかどうか、鳴らして確認しています。50年以上前のレコードがちゃんと鳴るのです。今朝は、モーツアルトの歌曲集を洗って鳴らしました。大丈夫、ノイズなし、美しいソプラノ(アリア 独唱曲)です。私の父の思い出であり、青春の宝物です。結局、このシリーズをしつこく聴いたのは、姉・弟の3兄弟の中で、わたしだけでした。弟は泉ヶ丘高等学校で美術部にはいり、大阪芸術大学へと進学しました。姉はもっぱら文学畑でした。あの頃を想像してみると、すごい個性派ぞろいの家だったんでしょうね。喧嘩ばっかりしていたような記憶。(笑)

 

■もう一つは、わたしが幼稚園園長時代に買った、CBSソニーの『ザ・グレート・コレクション・クラシカル・ミュージック』全100巻(写真上段中央から左)です。全巻セット販売だったと思います。このシリーズは放送局仕様と同じで、レコード盤も厚く、溝も深いのです。この全集は、あの頃園長業務が忙しくて、あまり聴いていなので、ほぼ無傷です。特に、ヴィヴァルディの「四季」が無傷だったこと、ほっとしました。

 

■もう一つの宝物が、名人・五代目寶井馬琴の講談集:全15枚(1982年発売)。名人:馬琴70代の集大成録音。品格があって、寒風が和室を吹き抜けていくような、鮮やか爽やかな語り口には、おおいに学びました。今もです。それに、講談に現れる日本人のなんと美しいことか、語りのなかに姿が立ち上がります。

 

■最後に、親鸞聖人700回忌を記念して、エルダン社からだされた『親鸞聖人浪曲御伝記』全8巻。こちらは聖人の御生涯を8人の浪曲師が語る、味わい深いものです。

 

■他にジャズのレコードもいくらかありますが、その後CDの時代へと移行したので、コレクションというほどにはありません。これからレコード収集をするかといいますと、そういう気分はありません。今在るものを大切に、感謝です。

 

秋のいただきもの 2021/10/12

 

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■10月10日、広島県福山市の弟(正善寺住職)から、松茸をいただきました。今年は品薄という報道でしたので、「まさか、こんな立派な松茸が贈られるとは!」と、感動しました。ありがとうございます。一番おおきい松茸が、長さ173mm、軸の太さ42mm、食べるのもったいない。すみません。味や香りを届けられなくて。gensho

 

レコードのお掃除 2021/10/12

 

■今日午前中に、京都市:百華苑に、第2回校正原稿が届きます。わたしとしては、この第2回の校正指示が正しく反映されたら、本文(目次〜資料集も含む)の校正は完了と思っています。あとはページ組みの落丁(ページ脱落)・乱丁(ページ順の入れ違い)がないかの最終確認のみですが、百華苑と冨山房にまかせようと思っています。ただし、落丁・乱丁の本は、商品価値ゼロです。買い取れません。プロの印刷工房が、どのようなプログラムソフトを用いているかわからないので、下手な意見はいいたくありません。むこうの仕事です。そこで、すっかり、頭も身体も楽になってきました。

 

■35年くらい前、幼稚園園長時代に買った、クラシック全集(レコード100枚)が無傷のまま残っています。チャイコフスキィーの「ピアノ協奏曲第1番」をかけたら、パチパチいうので、極細目の歯ブラシを買ってきて、レコードプレーヤーで回しながら、中性洗剤を薄めてなんども洗いました。そっと歯ブラシをレコードの溝にそって当てるのです。最後は水歯ブラシで溝をさらえながら、キッチンタオル(紙)で水分を吸いとらせます。「パチッ」とも鳴らない静寂になりました。B面は、バッハの「プレリュード第10番変ロ単調BWV.855」、こっちもお掃除。ピアニッシモ(寂音)でも、針が滑る音さえもしません。まあ、気長に、1枚1枚、気が向いたらお掃除演奏会ですね。アンプもスピーカーも、ときどき鳴らさないと本調子がでません。

 

■訂正記事:レコード溝掃除は、プレーヤーにレコードを乗せて回転させながらではなく、調理台にやわらかい布巾(清潔)をしき、溝にそって極細やわらか毛の歯ブラシで洗った方がよかったです。プレーヤーのモーターを痛める危険性がああります。今朝は、バッハ「ブランデンブルク協奏曲」を洗いました。10/13

 

深夜のめざめ  大峯顯がやってきた! 2021/10/11

 

■深夜、目が覚めて、ふと窓辺をみると、探していても見つからなかった大峯先生の講演筆録(抜刷)が4冊見つかった。なあんだ、ここに置いていたのか。新潟親鸞学会で話された「往生浄土とは何か」(2006)。九州龍谷短期大学に招かれて話された「現代における宗教の可能性〜私にとって往生浄土とは何か?〜」(2006)。龍谷大学大学院博士課程に招かれて語られた「言葉の不思議」(2009)。大谷派の東京の研究会での講演「末法の時代における真理とは」(2012)・・・・・・ いずれも各研究会の会報に掲載され、一般公開はされていない。先生はわたしに、主催者から講演者本人に贈られる研究紀要抜刷を、いつも「尼子玄章様 恵存」と記して送ってくださった。昨日ごごクロネコキ城店から京都に校正原稿を送り、ほぼ校正段階はおわって、なんだか身軽になっていたら、次の仕事がやってきた。わたしの構想にもすでに入っていた。「先生、わかっていますよ。10月中印刷開始を見届けたら、やりましょうね」と読み始めたら、夜明けがきておりました。この4冊の原稿と『花月の思想』の中から、「言葉と超越」・「宗教と言葉」を第2弾の候補にあげております。

 

■次回からは、OCR変換ソフトに依らず、全文手打ちにします。だれか、「わたしにさせてください」と手をあげませんか。確実に、その方の仏教的視野はひろがり、おおくの啓発を受けます。実力アップです。若いうちに裾野、宗教哲学・仏教・真宗・現代言語論・科学思想・雑学をひろげてほしい。みずからの学びの方法論を絶えず点検し解体すること。臆病な伝統形式保身の真宗学だけにしがみついていても、浄土真宗の真理は体得できません。往生浄土を、時間・空間の次元の「場所」に置いて固まってしまった三人称の説明教学という方法論の殻を破りきらない龍谷真宗教学(宗門全般)には、もう未来はない。方法論の「場所」を解体すること。「言葉は、いっさいの存在の根本地平である」という内在的超越の「場所」(一人称の深まり)に大転換すること。ここを破れない学問も法話も、現代人への直球にはなれない。「わかった」という人間ほど、成長への未来を失っているのです。捨ててこそ。

 

■先生の著作再版もだけど、わたしの『大無量寿経の根本問題』の執筆にもかからなきゃ。それと、『浄土真宗 法話の行方は』の執筆も。今日も、頭も身体も軽いです。さわやか。きのうハンズマンに行って、5.3m×5.3mのシルバーシート(3380円)買いました。欅風工房の一室の壁張り・本棚づくりの木工作業のための床板養生です。ここにスライド丸ノコ持ち込んで、切っては貼っていきます。今日から、養生工事を始めます。

 

奄美大島と沖永良部島、どちらも行きたいなあ! 2021/10/09

 

■大峯顯著『今日の宗教の可能性』が、印刷・製本の段階に入ったら、私の手を離れます。いま頭をよぎっている次の仕事は、@欅風工房の板の間フォロアの壁を本棚にして、玄章蔵書図書館にすること。頭の中で図面描いています。一箇所に蔵書がないと、仕事がしにくい。あの本のあそこ当たりにあったなあ、と文献を思うのですが、本探しが大変。それに置き場が定まらないと、本も買い足しにくいです。A奄美大島と沖永良部島を訪問して、薩摩藩の黒糖政策と島民支配を取材すること・・・・・・ です。ついでに、紺碧の海の青に見惚れたい。ああ、海が呼んでいる。心が南の島に飛んでいます。

 

奄美の島よりお便り 2021/10/08

 

尼子玄章さま

 

連絡ありがとうございます。私の方、鹿児島の大学院で民俗学を学んでいた学生時代、
同じ院生の友人が「かくれ念仏」を研究テーマとしていたことで、藩政期島津氏の宗教政策の厳しさを知りました。このたび尼子さまよりメールをいただき、こちら奄美ではこれまで、島津の黒糖政策のみを島の歴史として語っていたことから、逆に、島の人々にも浄土真宗の弾圧の話も含めて語る必要があると思った次第です。

 

このような気付きを与えてくださったお礼に、気持ち的にはビデオ収録の協力といきたいところですが、こちらは職員が一人体制ということもあり、特に年内は時間をさくことが厳しい状況にあります。また、私は民俗学が専門ということもあり、この分野を語るにふさわしい方にお願いした方がよいかと存じます。

 

そこで私が推薦したいのは、****先生です。****先生は、私が日頃から歴史について指導をいただいている方で、実際に史料を読みこんだうえで分かりやすく語れる方です。現在、沖永良部島の和泊町歴史民俗資料館におられますので、一度連絡をとってみてはいかがでしょうか。うまくつながっていくことを願っております。

 

 奄美大島:瀬戸内町立郷土館
 学芸員 ******

 

本堂瓦工事はじまる 2021/10/08

 

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■今日から、本堂右余間(奥の土壁)の雨漏り防止工事が始まりました。後堂(北東側)の降り棟あたりから雨水が浸入していたようです。8月10日、お盆のお荘厳の準備をしていたら、天井からポツリポツリと音がしました。梯子をかけて天井裏にあがってみましたら、2箇所の雨漏りを発見しました。垂木、野地板もくさっている部分もありました。まずは、降り棟周辺の瓦をはぐって、下地から修理です。

 

■2011年1月26日、新燃岳が噴火して、霧島降ろしの季節風に乗って、大量の火山レキが降り注ぎました。火山灰というよりも、アズキ大から極小のの石粒でした。復旧工事で、瓦表面の火山レキはすべて除去したのですが、瓦の裏側まで侵入していたのです。瓦と瓦の間は、隙間がないと、ここに詰まっている石粒が雨水を毛細管現象で、裏側まで吸い上げ、雨漏りの原因になるのです。2011年の復旧工事のあと、今度で3回目の工事です。自然災害の爪痕というのは、目に見えないところにまで及んでいます。とにかく、発見したら、すぐ工事、これしかありません。瓦職人さんの手が空くのを待って、今日からの工事になりました。

 

新しい一歩 奄美大島へ 2021/10/07

 

■今日午後、京都からの原稿はまだこないので、奄美大島の瀬戸内町郷土館(博物館)に電話しました。3年くらい前でしょうか、HNKで放送された「ぶらタモリ」を視聴して知った事実をもっと、しかも直接、学び取材したいのです。電話でメールアドを教えていただき、下記のお手紙を書きました。

 

■ 鹿児島県瀬戸内町郷土館 学芸員様

 

■今日は、突然お電話いたしました。以前、NHKの「ぶらタモリ」を拝見して、島津藩の離島支配のお話を見聞し、大変おどろきました。奄美の島民に耕作地での稲作をいっさい禁止し、すべての耕作地にサトウキビを植えさせた。そして収穫したサトウキビで黒砂糖を製造し、藩外の外貨稼ぎにあてました。島民たちは強制労働ともいえる仕事に従事させられ、作業中に指でもなめるものならなぐり倒されたというのです。島民(自給自足の農民や漁師)から稲作を取り上げる藩主がいるのが、そこまでするかという怒りと驚きでした。藩主や武士階級にとって領民は、自分たち非生産者を支えてくれる、共に生きる人々という認識よりも、徹底的に搾取の対象。農民というよりも、農奴支配だったのです。そこには人間らしい温かみが感じられません。島民たちは、飢えをしのいで生きていくために、蘇鉄を食べたのだと言います。蘇鉄が食べられる植物だったとは知りませんでした。

 

■島津藩は、藩内全域で、戦国時代から明治9年まで、親鸞聖人の浄土真宗の教え(一向宗)を、領民が信じたり、集会をもったり、念仏を称えたりすることを、約300年もの間、一切禁止し、弾圧してきました。明治9年9月5日が解禁です。これを定めた島津家法度18ヶ条に背けば、きびしい拷問・宗替え(信仰をすてることの強要)、武士身分の剥奪、入牢、死罪が待っていました。奄美の島民に、稲作を禁じ、すべての耕作地をサトウキビ畑に変えさせ、黒砂糖で外貨を稼ごうとした歴史を知り、何か底に流れる共通の悲劇を感じました。また、薩摩による琉球支配・搾取も同様です。

 

■一度、奄美をお訪ねして、お話しを聞かせていただきたいと念願しながら、新型コロナが発生して、県境を越えることさえままならず、のびのびになり、今日を迎えております。どうぞ、お話をお聞かせください。私は浄土真宗の正定寺の前住職ですが、地域の方々と歴史の勉強会をしております。できれば、インタビューをビデオ収録させていただき、浄土真宗のキ城市内の住職・門徒にも報告したいと考えております。

 

■日程を調整して、訪問したいのです。よろしく、お願いします。合掌

 

889-4601
宮崎県キ城市山田町山田3887 正定寺
090-8622-8924
尼子 玄章 あまこ げんしょう

 

10月 ちょっと一息 2021/10/07

 

■今年6月から、大峯顯著『今日の宗教の可能性』京都市:百華苑刊(再版)の出版委員会の仕事をしてきました。9月16日、出版委員会で10回本文校正(150ページ)を重ねた原稿を、京都市:冨山房印刷に送信。9月27日、第1回印刷製版(初稿)が帰ってきました。これを検討し、ふりがな(ルビ)等を追加し、10月2日に冨山房に送信、現在は、校正済み第2稿の返信を待っているところです。

 

■肩こりからなのか、偏頭痛が数日つづくので、野口脳神経外科に行き、MRIを撮ってもらいました。脳や頸椎がきれいに写っていました。ポリープもなし。血流も良好ということで安心しました。前回の受診は、2017年7月で、そのときのMRI映像とも比較してくださいました。血圧が、高血圧に属するほど上がっているのが気になります。お薬飲みます。

 

■10月6日は、山崎歯科に通院しました。前回の受診は13年前でした。詰め物がとれたりしてても、痛みはなく日々の生活はできるので、ほおっていたのです。出版の見通しが見えてきて、気持ちにゆとりができてきたのか、いろいろ身体のケアをすることにしたんです。週一で通院することになりました。歯垢などお口の掃除やレントゲン撮影などして、順次治療になるようです。病院も改装され、すっかりきれいになっていました。

 

出版日の遅延。冨山房印刷への入稿日は、当方の予定どおり9月16日だったのですが、京都での作業が遅れています。京都との本文校正の時間をかけないために、出版委員会では8月から9月上旬にかけて、10回往復の徹底的な本文校正をおこないました。百華苑(出版社)とも冨山房(印刷所)とも初めての仕事です。そうしないとミスを起こしかねないと思ったからです。10月5日、印刷スタート。10月31日完成。11月1日刊行、というスケジュールで進めてきましたが、あとは、百華苑と冨山房しだいです。体調をととのえながら待つことにします。

 

■10月5日から、百華苑に送付する、書籍注文者リストを作っています。京都市:百華苑は仏教書出版の老舗ですが、電話とファックスしかありません。印刷が完成しても、百件ちかくの宛名は手書きで、発送作業も遅れるだろうなと思うので、住所印刷タックシールも郵送して、完成日までに書籍送付の準備をさせておきたいのです。この出版事業にご協賛くださった購入予約者(お客様)あっての、この事業なのです。1日でもはやくお手元にお届けしたいのです。

 

■出版が完成したら、宗門大学図書館への寄贈も考えております。次の段階を構想しているのです。gensho

 

第一回校正作業終了へ 2021/10/01

 

9月16日に、京都市冨山房印刷に、大峯顯著『今日の宗教の可能性』153頁(編集チームで10回校正済み)を送りました。9月27日に、印刷製版組みPDF原稿が届きましたので、再びチームで校正おこない、今度は全ページプリントして、ファイルに綴じて、赤文字で校正をおこない、速達で送ります。いよいよ終盤にさしかかってきました。9月の連休をはさんだので少おくれ気味ですが、ほぼ計画どおりにすすんでいます。

 

やっと出会えたヘチマ  あすから彼岸法座 2021/09/20

 

■9月16日、京都市・富山房印刷所に、大峯顯先生の『今日の宗教の可能性 第10回校正原稿』を入稿しました。8月1日、スキャナー読み込みから始めて、13名の編集スタッフで、10回の校正作業をおこないました。現在、富山房で、印刷製版の作業が始まっています。1週間ほどで「第1製版」が出来るそうです。何回か、データを往復して、10月5日をめどに、印刷を開始したいと思っています。キャッチボールのボールは京都にあるので、こちらは現在休憩中です。現在、978冊の購入予約がきております。本願寺版の本文は、本願寺住職課程での大峯先生の講演筆録ですから、聖典の引用は、高僧和讃なども、部分的であったりしておりますが、聖典注釈版から全文を載せました。本願寺版にはなかった、「資料集」も追加しました。現在では、絶版で古書でしか入手できない書籍もあり、価格も高騰しております。読者が、まなびやすように配慮しました。2000冊の限定出版ですが、ページ数も増えたので、再見積もりの結果、ほとんど利益はでないことになりました。出版協賛金を応援していただいたので、出版と同時に全額支払いは、なんとかできそうです。 

 

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■南九州の夏の味の一つがヘチマです。ヘチマとゴーヤ、5月に苗を買って植えていたのですが、役員奉仕作業で、刈り払い機で切られてしまいました。30数人のご奉仕だったので、眼が届きません。時々お店にでてくるヘチマは育ちすぎていて、種が大きくなっています。今日、やっとキュウリ大のヘチマ4本:100円で、100円市場から買ってきました。ヘチマとゴーヤの味噌炒めです。お味噌はあらかじめ50mlのお湯で溶いておきます。これに豚の三枚肉を入れることもあります。ほのかに甘いとろーんとした食感が好きです。手作りです。昼食は、きつねうどん(坊守)とヘチマとゴーヤの味噌炒め(gensho)でした。

 

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■秋ミョウガも売っていたので、3袋:300円で買って、水洗い→半割→中洗い(砂粒を流す)→沸騰したお湯で1分(湯がきすぎない)して、甘酢漬け。半分食べて、甘酢が残っているので、今日、ゴーヤ(湯がきすぎない)を一緒に漬けました。夕食頃が食べ頃です。シャキシャキ感を残す調理法がいいです。

 

秋彼岸法要

 

■9月21・22・23日 正定寺秋彼岸法要 13:30 おつとめ  14:00 法話  21日と22日が私の担当です。

 

■9月23〜24日   明光寺秋彼岸法要 朝10時(10:30 より法話2席)、昼2時(2:30より法話2席)。正定寺の講師室からオンラインで法話します。

 

大峯顯先生著作出版委員会 第2ラウンドへ 2021/09/01

 

■2021年7月〜8月、大峯顯著『今日の宗教の可能性』の京都市・百華苑からの再版に向けて、原稿を起こし、12名の編集スタッフで8回の校正作業をおこなってきました。9月からは、百華苑46判に本のサイズも変えて、「第9日校正原稿」を作成しました。京都市の印刷所とも連絡を取り合って、印刷判組みと委員会のフォーマットを一致させたうえで、今後の仕上げをしていきます。この作業を9月15日に開始すると予定していたのですが、9月6日からに前倒しします。本の購入予約も、962冊になりました。

 

言葉の不思議 寺報9月号 2021/09/03

 

 魚は、「海って不思議だなあ」とは思っていないでしょうね。それどころか、自分が海の中にいることも、自分が海水で濡れていることも知らないでしょうね。海に生まれて、海で死んでいく魚は、生きても死んでも海の中です。
 人間と言葉の関係も、「魚と海」の関係に似ています。人間は、「言葉って不思議だなあ」とは思わない。「自分は言葉の中にいる。自分の心よりも、言葉の方が広く深い」とは考えたこともないまま、言葉がはたらく世界の真っ只中におかれているのが我々の心です。自己です。
 話すこと、聞くこと、覚えること、考えること、思い出すこと、人間のあらゆる活動は言葉によって支えられています。言葉がなかったら、我々は、喜ぶことも、悲しむことも、悩むこともできません。
 現代人は、言葉は人間が生活する上での意思伝達の手段(道具)だと思っています。確かに一番あさい日常生活の言葉は、我々のその時その時の意思を伝え、聞く役割をしています。パン屋さんに行って、「アンパン一個、いくらですか」という時の言葉は、アンパンを買うという目的のための手段(道具)になっています。
 しかし、まず人間があって、人間の目的があって、そのための手段(道具)として言葉がある、・・・・という考え方では、言葉の全体を知ったことにはなりません。
 我々が、「自分がここに在る」ということは、言葉なしに在り得るでしょうか。「話すこと、聞くこと、覚えること、考えること、思い出すこと」、これらの言葉の活動をすべてうばわれてしまったら、もはや我々は自分であることも、人間であることもできません。もし言葉が意思伝達(目的)のための手段(道具)であるというなら、その意思(目的)は言葉以外の何によって明らかなのでしょうか。「○○をしたい」、「○○がほしい」という人間の意思も、言葉がなしには生まれないのです。
 ドイツの哲学者ハイデッガーは、「人類はまだ言葉とは何かという問題がわかっていない」、といっています。
 「人間は語る。我々は、覚めていても、夢をみていても語っている。我々は常に語るものである。たとえ、一語も声に出して発することなく、ひたすら耳をすませて聴いていたり、何か読みふけっているときでさえもそうであるし、さらには、聴いたり読んだりする代わりに、仕事に打ち込んでいたり、余暇を楽しんで我を忘れている場合でも、語り続けているものである。つまり、我々人間は、何らかの仕方で常に語っている」と。『言葉への途上』

 

 もし言葉が人間にとっての道具であるならば、車(道具)で目的地に行って駐車場に止めるように、水道の蛇口(道具)を開いて水を汲み、蛇口を閉めて止めるように、言葉(道具)を止めることができるはずです。しかし、言葉は、我々の意志や頭脳よりも深く強力です。我々が真夜中にひとり悩むとき、「これ以上生きていて何かいいことがあるんだろうか。苦しいことばっかりじゃないか」と言葉があばれだすとき、我々は止めることができません。  
 『歎異抄』の有名な一節です。「煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろづのこと、みなもてそらごとたはごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておはします」。人間は言葉の海を出ることができない魚です。よくの言葉、いかり・ねたみの言葉、ぐちの言葉、どこまでいっても煩悩だらけの言葉の中で苦しんで、安らかになれないのが人間です。その苦悩のただ中で、「ただ念仏のみぞまことにておはします」と、親鸞聖人はいわれました。
 「なもあみだぶつ」の仏のみ名(名号)は、人間の言葉ではありません。我ら人間を呼んでくださる永遠の仏さまの言葉です。
 「わが子よ、おまえを決して捨てません。おまえの喜びも悲しみも、誰にも見せられない心さえも、そのままを許し、そのままを受けとめます。わが名をとなえなさい。わが心(仏心)を与えよう。わが永遠の命を与えよう。向こうも命じゃ。向こうも光じゃ。今日から、わが名を住処としなさい」。
 仏法を自分のものにするとは、簡単なことです。朝も昼も真夜中も、「なんまんだぶ、なんまんだぶ」とお念仏する身になればよいのです。

 

 

 

疾風怒濤の8月でした。 2021/09/01

 

■昨日8月31日と、今日9月1日、高原町皇子原温泉にいって、仰向けに寝たまま足も伸ばせる温泉に入って来ました。コロナが始まってから行っていないので、1年半ぶりじゃないかなあ。『今日の宗教の可能性』の出版事業の第2段階(9月)をどう動かすか、ぼんやーり、お湯の中で考えました。右肩が痛くて、腕がスムーズに真上に伸ばせないので、お湯のなかで体操しました。

 

■9月1日現在 購入予約冊数  941冊  (部数限定 先着順の予約です。売り切れた場合の再版はありません。第2弾「名号と言葉」の出版に向かうからです。資金はそちらに回します。)

 

■「第9回校正原稿」からは、本願寺第3版(新書サイズ)ではなく、百華苑刊(46判)のフォーマットでおこないます。今日は、京都市・冨山房印刷に、「確認事項」、「見本請求」のメールを送りました。9月中旬には、「すべての決定稿」を入稿して、何往復かの校正をおこないます。冨山房とこちらの原稿のフォーマットが同じでないと、最後の最後で、見落としや校正ミスを起こす可能性があります。さあ、第2ラウンドです。gensho

 

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去りゆく夏: この積乱雲は、29才の夏、鹿児島から与論島にむけての船旅の甲板から撮影しました。ニコンF2フォトミックAS、リバーサルフィルムです。僧侶としても、幼稚園園長としても、もやもやとした行き詰まりを感じていました。親ともうまくいっていませんでした。10日間ほどの与論島〜沖縄の独り旅。窯元めぐり、書店めぐり、夜は居酒屋の毎日。沖縄戦の跡も訪ねました。那覇市の本屋めぐりで驚いたのは、東京発の出版物はすみっこにあり、沖縄の出版社の本が中央をしめていたことです。

 

■「東京なにするものぞ」という、独立独歩の気概に胸を打たれました。「沖縄の悲しさを忘れない」、「沖縄人のほこりを忘れない」、声なき叫びが身体中に聞こえてきた旅でした。沖縄は今も、日本国の47都道府県の中の横並びの一県ではありません。独立国としての強靱な精神を持っています。『沖縄のおばあちゃんが伝える故郷の味』など、本と焼き物をリュックにいっぱい背負って帰って来ました。今でも大切にしております。吹っ切れたというのか、あの沖縄の旅のあとから、わたしの快進撃は始まりました。「わが道をゆく。我は我を信ず。これでよし」。幼稚園園長としては、陶芸教育だけでなく、「笛を吹かない、並びなさいと園児に言わない、幼児教育はどうしたら可能か」、先生たちに提案し、いっしょに考え、さまざまな工夫が生まれました。40年経った今も、この積乱雲の写真は宝物です。2021/08/27

 

脚注を書いています。 2021/08/27

 

■13名の校正スタッフさんに「第8回校正原稿」を手渡して、いまはお返事待ち。本願寺第3版では全ページの下段に脚注があったのですが、空欄のページの方が9割で、誌面がもったいないので、本文末へぜんぶ移動させました。本願寺版では「CI・カント(1724〜1804)年」とすべて生存年代しかありません。なんだかつまらないので、何人かにしぼって、その方の、わたしの好きな言葉(ほんとワガママ)を載せて紹介することにしました。これらの本を手に取って読んでくださったら、大峯先生の本の読みがもっと深まると思ったからです。当初は、136ページと案内しておりましたが、「註」と「先生の著書」、「プロフィール」、「奥付」を入れて、46判で156ページくらいになりそうです。どっちにしても、「決定稿」ができた時点で、印刷部数も再度検討して見積もり直しです。9月10日号の本願寺新報で、そのことをお知らせします。gensho

 

8月「すっぴん」は、休会 2021/08/25

 

■県内のコロナ感染拡大をうけて、8月29日(日)に予定していた「仏教サロン すっぴん」は、会場オーナーの子島さんと相談して、休会にしました。

 

■8月24日朝9時、「夏休み子ども寺子屋」の子ども達が本堂にお参りして、完成したマグカップを手渡しました。明日26日が始業日です。間に合った。

 

「欅風舎書房」 は 我が社の名前です。 2021/08/22

 

■「欅風舎書房」、日本の出版業界に名称登録してあるわが社の名前です。拙著 『自己とは何か −清澤満之の言葉より』は自社から出版しました。大峯先生シリーズも、自社から出版して、キ城市内で印刷・製本すれば、おそらく書籍単価は「半額」に出来るでしょう。でも、その道は選びませんでした。「大峯顯」というビッグネームは、やはり京都の出版社から全国発信したかったのです。「欅風舎書房」って、全国に聞き慣れない出版社から、しかも日本列島の南端から出すと、「海賊版」とか「お金儲け」と見られるのは嫌です。教義・教学を学ぶことが信心を得ることだと、頑なに思い込んでいる方々、このことを「思議」といい、「分別心」といいます。「頭の信心」です。曽我量深師は「観念の偶像崇拝」と看破しております。その本家の牙城の膝元から、大峯顯の「名号論」を出してあげましょう。欅風工房は、出版社であり、陶芸窯元であり、木工製作所であり、将来は「仏教書・哲学書の蔵書図書館にもするつもり。内装工事が未完成なのは、わたしが、「内装工事は自分でやるから」と大工さんの仕事にストップをかけたからです。お金を出して、面白い処を持っていかれてはたまりません。だから、mailアドレスは「kohuusya」なのです。

 

朝寝とぼんやり 2021/08/22

 

■大峯顯先生の『今日の宗教の可能性』の「第8回校正原稿:183ページ」をまとめあげ、「校正指摘箇所一覧表」(A4版11ページ)と一緒に、13名の校正スタッフに昨日メール送信しました。この仕事始めると時間を忘れ、夕方まで座りっきりです。昨日は16時からトヨタRAV4の10000q点検・オイル交換を予約していたのに、トヨタの山川さんから電話があって、はじめて忘れてたことに気づきました。ごめんなさい。でも、校正原稿送って、「第8回校正原稿」をもとにしてのチーム作業が始まったので、少し気持ちが楽になりました。この原稿と一覧表の照合と、さらなる誤植の発見をしてもらって、スタッフから返信メールを受けます。それを「第9回校正原稿」に反映します。「第8回校正原稿」での作業は8月31日までとしました。いまは、校正箇所はすべて赤文字にしておりますが、9月からは黒文字に戻します。一山越えて、朝寝坊して、ぼんやーりしています。しばらく休養します。

 

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■今回の焼き物の最高傑作をアップしました。孫娘・葵(年長組6才)が描いた猫ちゃんとお花畑とハートのマグカップです。この子の絵はなんとなく物語があります。ほっこりします。食卓の上に置いていたこのカップとメダルが見当たらないので、「あおいちゃん、カップはどこにやったの?」って聞いたら、「かおる(1才9ヶ月:男)が触るから食器棚にいれたの。おじいちゃん、あれはワレモノなのよ!」とお説教されました。

 

そうそう、人間も動物もお花もカップもみんなワレモノです。それを日常的に身体で知ってほしくて、16年間の栄松幼稚園園長時代に陶芸を毎学期教えて来たのでした。この子の瞬間的な反応・言葉にはいつも驚かされます。 

 

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■鉛筆や筆をわたすと、すーっと迷いなく絵描きがはじまる葵ちゃん。手回しロクロの上で、鉛筆で下書きして色塗りしました。猫ちゃんがひょうきんです。お花もかわいい。このカップだけ唯一、透明釉薬をスプレー掛けを試みました。ガラス質の膜がズブ漬けよりも薄くなりました。この子は、なにか内側に不思議な才能を秘めてるように思います。小学生の子らの絵付けにくらべて、絵がこまやかで表情豊かです。

 

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■最後に「盛り上げ用絵具」を見せると、母親といっしょに取っ手やあちこちに、ぽつぽつと仕上げ塗りをしました。ハートも厚塗りで盛り上げました。取っ手も可愛いでしょ。

 

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■孫娘あおい(6才)を工房にさそい、わたしの作った予備のカップに絵を描いてごらんと渡しました。鉛筆で下絵を描くあおいちゃん。すぐ、迷いなくお絵描きモードに入れる不思議な子。

 

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■母親も乗り出してきて、厚塗り絵具で仕上げています。母娘の姿って美しいですね。    以上、欅風工房からのお知らせでした。2021/08/22 gensho

 

子ども寺子屋 2回目窯焚き成功! 2021/08/21

 

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■今朝、窯を開けました。2回の窯焚きで24個のマグカップと3個の陶板メダルを焼成したのですが、全部うまくいきました。下絵具もはじめて使う素材ですから、やってみるしかないのです。写真の皿3枚(大きい方)は、去年焼いたものです。透明釉薬はズブ漬けしました。小さい方は、今年の陶板メダルの予備を、私が絵付けをして、透明釉薬はスプレー掛けを試みました。スプレー掛けだと、新聞紙の上に作品を並べて5〜10個をいっぺんにかけられます。仏教婦人会などに呼びかけて陶板壁掛けなどにも応用できます。メダルの絵具が盛り上がっているのは、盛り上げ絵具を使っています。

 

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■1班、9名のマグカップ。釉薬掛けのリハビリでした。あまり厚く掛けると炉内で流れたり、ムラが出来たりします。

 

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■2班11名のマグカップ。これに孫娘の4個で全部です。あおい(孫6才)が描いた(アミダネットTOP 8月17日の記事)猫の絵が傑作です。いま孫が夕食で使っているので、明日お見せします。gensho

 

子ども寺子屋 2回目窯焚き開始 2021/08/19

 

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■8月17日14:00〜8月19日8:00、第一回窯焚きでした。夏休み子ども寺子屋の子ども9名分と私が作った予備3個。左から、孫娘あおい(6才)が絵を描きました。中央、母親(娘)の絵。右、いさなちゃん(参加者・中3)に描いてもらいました。全部無事に焼けました。8月18日〜19日は、朝9時から第2班の10名の子どもたちの下絵描きでした。これで全員おわったので、午後から窯詰めの準備をしました。子どもたちには始業式(26日)に間に合うよう、8月24日朝9時に本堂で作品を渡します。そして、「仏参・おつとめ」をして解散しますと伝えました。【出版委員会の本の校正作業は、昨日・今日は中断でした。気分転換にもなりました。】

 

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■下絵を描きおわった第2班、10名の作品です。これから透明釉薬(石灰釉薬)を掛けます。

 

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■透明釉薬かけの準備。中央の黄色い道具は、釉薬をかけるスプレーです。ズブ漬けの方法とスプレー掛けの2つの方法を試します。左手の手回しロクロに乗っている3個は、陶板メダルです。このような平たく小さな作品はスプレー掛けがいいようです。あまり厚く掛けたくないときにも使います。

 

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■ひしゃく掛け(内側)した後、逆さまに指3本で底を持ってズブ漬け(外側)します。3個すんだら、1分くらい待って、1個1個全体をながめて、手直しします。指で持っていたところは釉薬は掛かっていませんから、ロクロに逆さまに置いて、筆で塗り足します。底に着いた釉薬は、スポンジを塗らして、しぼって、拭き取ります。窯の棚板にくっ付いて取れなくなるからです。

 

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■14:30、窯詰め完了、電気陶芸窯スイッチオン。焼成温度設定は、1230度。後は、マイコン付きの電気陶芸窯にお任せです。21日の朝には窯開きできるでしょう。昨年夏買った、日本電産シンポDMT−01(酸化焼成用)、マイコン付横扉式電気窯(小型)は、炉内寸法が縦*横*高さが、300mm×300mm×300mmと小型ですが、100Vの家庭用電源で動きますから、3相200V電源の電気工事費がいりません。3相200Vを電力会社に契約すると、毎月基本料金(月額6000円位)もとられます。陶芸家や、一年中、窯が稼働している施設ならばいいのですが、私はDMTで十分です。今度は、総代・仏壮・仏婦の方々とも遊びたいです。晩酌のぐい呑み作りとか。お刺身の醤油小皿(夫婦)とかだと、気楽な入門コースになります。

 

『今日の宗教の可能性』 購入予約873冊に!2021/08/19 ■今日、「本願寺新報」8月20日号が届きました。広告載ってました。

 

■窯焚きが始まり、始業式まえに子どもたちに作品をわたせる目処が立ったので、明日からは校正デスクワークに集中できます。我ながら、うまくいった。

 

子ども寺子屋 マグカップ絵描きに集う子ら。 2021/08/16〜17

 

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■7月22日〜30日(土日は休み)の7日間開かれた「第4回夏休み子ども寺子屋」では、陶芸教室をプログラムにくわえ、陶板メダルとマグカップを制作しました。7月16日〜19日の4日間の朝9時から、4班に人数を分けて、素焼きのすんだ自分のマグカップに下絵付けをしています。今日で半分すんだので、透明釉薬をかけて、14時から窯焚きが始まりました。明日の夕方には窯開きして出せると思います。

 

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■孫娘あおい(6才)を工房にさそい、わたしの作った予備のカップに絵を描いてごらんと渡しました。鉛筆で下絵を描くあおいちゃん。

 

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■母親も乗り出してきて、厚塗り絵具で仕上げています。母娘の姿って美しいですね。

 

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■絵付けがすんだら、透明釉薬をかけます。そして窯詰め。今回は、1230度の本焼き焼成です。マニュアルには、所用時間11時間30分とありますが、断熱性能がとても高く、24時間は見た方がいいようです。明日・明後日も、子どもたちが来ます。絵を描く時間は、集中するみたいで私語もありません。真剣そのもの。gensho

 

オンライン初盆法要でした。 2021/08/14

 

■今日ごご1時より、正定寺本堂に児玉家の奥さんと近隣の親戚がお参りして、東京の長男家族、大阪の二男家族、福岡の三男家族をZOOMで結んで、ご主人(父親)の初盆法要をおつとめしました。USBマイク2台、ビデオカメラ1台、WEBカメラ2台を切り換えながらでした。約60分で法要がおわって、お母さんと3人の息子が代わる代わる話をしました。お母さんは、息子の名前、奥さんの名前、孫たちの名前を一人一人呼んで、話しておられました。最後は、どちらも画面の家族に手をふって、「元気でね、元気でね」と別れました。いい法事ができたと喜んでいます。gensho

 

窯開き、素焼きはみな無事でした。 2021/08/12

 

■今朝、電気陶芸窯を開けました。マグカップ19個+予備4個、みな割れずに無事でした。粘土で制作してて、気泡を閉じ込めると、窯の温度が上がった際に、気泡が膨張して作品が粉々に割れるのです。7月27日と28日、子どもが帰ったあと夕方まで、一個一個、点検して、補正したのですが、焼いてみて、やっと安心しました。

 

出版委員会からのご報告 2021/08/10

 

■8月1日より、大峯顯著『今日の宗教の可能性』の編集作業を再スタートしました。2019年2月16日までに文字データ化した原稿は、本願寺出版社が平成元年3月に刊行した第1版だったことに今頃気づいたのです。第1版に相当数の間違い、誤字脱字が見つかりました。平成10年3月刊行の第3版では、先生による文章そのものの書き直しも見られました。そこで、全くスタートラインに帰って、第3版を原本とし直しました。出版する前に気づいてよかったです。

 

■全183ページのスキャニング→→→PDFデータをOCRソフトに読ませて→→→文字データに変換→→→一太郎で原本と同じに編集→→→1ページ 13行 縦34文字に合わせて→→→校正用原稿が出来上がりました。

 

■現在、わたし、長崎市あつ子さん、室戸市の俊男さん・博子さん、曽於市の仙之介さん、出水市の淳信さん、鹿児島市の幸子さん、大分市の顕乗さん、福山市の教証さん、相模原市のゆかりさん、えびの市の淳子さん・みほ子さん ・・・・・・ の12名が校正作業チームです。ただし、これに備えて古書で買い足していた4冊がすべて第1版で、使い物にならないことが判明しました。ですから、本願寺本(平成10年第3版)との照合をするチームと、一太郎編集のPDFでの「文字化け、誤字脱字」発見チームに分けました。えびの市の二人には、紙印刷(ファイル綴じ)を今日届けました。

 

■暁烏敏の「烏 カラス」が「鳥 トリ」になっていたり、「ギリシャ」が「ギリシア」になっていたり、「・・すれば」が「・・すれぱ」になっていたりして、相当数を訂正しました。今日までに、スタッフからメールで送られてくる「校正データ」と、私が修正・訂正したものを合流させて、「校正原稿 第6版」まで来ました。スタッフには、第6版原稿を送信して、ここからさらに校正していきます。本願寺本(第3版)でも、明らかな間違い箇所がいくつもありました。脚注:暁烏敏(1877〜1896)となっており、19才で死んだことになります。11人のスタッフが機能し始めたので、私は脚注をぜんぶ調べ直します。それと、本願寺本では、脚注となっているものを、本文末にぜんぶ持っていき、カント、ハイデッガー、ゲーテ、善導大師、西田幾多郎、清沢満之、暁烏敏、など、大峯先生の講義や法話でよく引用された言葉と書名を紹介しようと思います。全体にエンジンがかかってきたので、私の仕事は9月までそれに半分移ります。

 

■最後になりますが、次の出版事業では、「OCRソフト」を使うか、分担して手作業で文字打ちするか、今日、えびの市から帰る車中で考えました。OCRはあまり信用出来ません。霧島ロードの風景がさわやかで、いい気分転換のドライブでした。2021/08/10

 

子ども寺子屋マグカップ素焼きを始める。 2021/08/10

 

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■今日、15:30 子ども寺子屋につどった子どもたち19名のマグカップとわたしが作った予備4個を窯詰めして、700度の素焼きを始めました。素焼きの場合は、作品同士がくっつかないので、重ねて詰めます。12時間くらいで焼成できるでしょう。8/17・18・19・20日あさ9時〜10時、子どもたちが班ごとにお寺にやって来て、欅風工房で自分のマグカップに下絵描きします。その上に透明釉薬をかけて、1230度で焼成します。本焼きは重ねられないので、2回焼くことになります。出版委員会の校正チームが動き出したので、楽な気持ちで窯焚きを始められました。gensho

 

子ども寺子屋4日目 マグカップ作り 2021/07/27

 

■昨日夕刻から今朝にかけて、陶板メダル(絵付け済み)を、電気陶芸窯の炉内にいれ、200度で熱しました。絵具を塗る際に吸い込んだ水分を飛ばすためです。そうしないと、透明釉薬を吸いこんでくれない。自然乾燥だと日数がかかって、閉校式に間に合わない。

 

■今日は、2班に分かれて、一班はマグカップ作り。2班は木工で、丸太の輪切りに絵を描いてニスを塗って壁飾りを制作します。

 

■幼児や児童の制作活動では、前準備と終わったあとの点検が肝要です。手回しロクロ10個、新聞紙、歯ブラシ、糸切り、粘土、粘土板など、すぐに制作にかかれるよう、集中できるようにしなければなりません。そうすることで、「指示」、「注意」、「ダメだし」などする場面をなくせるのです。「指示」、「注意」、「ダメだし」の場面が生まれてしまうということは、子どもの能力の問題ではなく、教師(といっておきましょう)側の準備不足、今日の活動がどう展開するかの分析不足なのです。つまりは自分の無能・怠慢なのです。

 

■陶芸制作は、子どもが帰ったあとの作品点検も大切です。どの子にも失望を与えないために、丁寧に一つ一つの作品を点検して、必要ならば補修します。マグカップならば水漏れがあったら使えません。また、最初の2日位は、並べた作品に新聞紙などかけて、急激な乾燥を防ぎます。乾燥が速すぎると「ひび割れ」が起こります。気候との相談です。

 

■2班の木工の材料提供・前準備は、参加児童の父親で大工さんの北山さんが受け持ってくださいました。毎年、ありがとうございます。陶芸製作は欅風工房、木工制作は門徒厨房「滴水庵」の前の屋根付き土間です。(ここは仏壮のBBQ会場にもなります。)

 

■昨日の「朝のつどい」では、お仏参のあと、ちょっと時間をもらい、「土:常温」と「素焼き:700〜800度」と「本焼き:1200〜1250度」、のちがいを短く語りました。陶器(粘土)と磁器(天草陶石:1300度)の違いも。土は温度が上がるほど、ガラス質に近づきます。今朝は、陶芸粘土の「ひも作り」の話をします。そろそろ時間です。

 

19人の子ども、陶板メダルに絵付け完了 2021/07/26

 

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■23日と26日の2回、「夏休み子ども寺子屋」では、19人の子どもたちが、一人2枚陶板メダルに下絵を描きました。今日から参加の6年生にも絵描きを指導。一番左の上から2枚は、孫娘あおい(6才)の作品。ジンベエザメとかなんとか言ってました。鹿児島の水族館で見たのでしょう。その下2枚は、「おじいちゃん、もっと描きたい」というので、午後から2人で描きました。線の連続模様と草花のデザインは、あおいが決めました。明日、透明釉薬をかけたら、本焼き焼成(1230度・15時間位かかるか?)に入ります。7月30日の閉校式に間に合えばいいのだけれど。

 

■明日は、マグカップづくりです。こちらは2週間ほど自然乾燥させて素焼きします。せっかく下絵付けの経験したので、夏休み中に下絵付けの日をもうけて、そのあと透明釉薬をかけて、本焼き焼成(1250度)しようと思っています。夏休みの宿題といっしょに始業式に学校に持っていけるよう、完成させたいです。

 

仏教サロン 「すっぴん」 第2章へ 2021/07/25

 

■7月25日(日) 仏教サロン「すっぴん」の日でした。13:25 会場のギャラリィ212に到着して荷物を降ろしていると、、何やら雰囲気がちがいます。いつものように、もうおあずけしているご本尊(阿弥陀如来ご絵像)が中央の机に飾られ、前にはリン(読経用の鐘)が置かれ、すっかり会場の準備はできています。オーナー子島ご夫妻のご配慮です。集まってくる人が多く感じられます。「何か今日は多いなあ。イスが足りるかなあ」と子島さん。今日の参加者は、会場のオーナー子島夫妻、肇さん、悟さん、はる代さん、玄章(以上、キ城市)、淳子さん、みほ子さん(えびの市)、優子さん(新人・小林市)、仙之介さん、(新人・鹿児島県曽於市)、幸子さん(新人・鹿児島市)で、過去最高の11名のご参加。定刻になって、いつもは使わない赤松の素敵な長椅子にも座ってもらって、「正信念仏偈」をおつとめしました。

 

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すっぴん会場 ギャラリィ212  いつも軽トラック(愛車)で会場に行きます。「濃茶2L・2本」と紙コップも運んで。

 

■はじめに玄章の近況ということで、大峯顯著『今日の宗教の可能性』の出版委員会の報告。それからお茶の時間。淳子さんが「豊楽饅頭:回転焼き」(白あん・小豆あん)、みほ子さんが洋菓子と山芋の酢の物、なんという豊かな茶話会。実は、ここでお抹茶を点てたいのですけど。(コロナが過ぎたらね)

 

■さあ、新人が期待を込めて参加されたとなれば、30分しっかり法話をせねば、お土産がない。今日は、人間の負の可能性としての六道、六つの迷いの在り方「地獄・餓鬼・畜生・修羅・天人・人間」のお話をしました。大峯顯先生いわく、「あのね、犬は犬という存在形式を一生はみ出すことはないんだよ。犬や猫は銀行強盗はしない。オレオレ詐欺もしない。犬のまま生まれて、犬のまま生きてる」、「しかし、人間は仏の悟りの方向にも、地獄の迷いの方向にも境界がない。人間という存在形式は、無限の闇を抱えている。いま生きている状態のままが、仏にも地獄にもつながっている。だから、犬や猫には教育はいらないが、人間だけはどうしても教育がいるね。仏にも悪魔にもなれる未知数の可能性を秘めているからね」、そうです、それが六道輪廻です。死んだあとのだけの問題ではないのです。

 

■「地獄・餓鬼・畜生・修羅」を一通り話したあとの「天人・天女」のところに来ると、話は最高潮に。「天女が湖のほとりに舞い降りてくる。大きな平たい岩に降りてくる。地面には降りない。天人は、きつい・汚い・危険の3Kが嫌いなんです。いつも求めるのは快楽だけ。シースルーの羽衣を脱ぐ。さあ、何の樹の枝に羽衣を掛けるでしょう?」、悟さんが「松の樹の枝」、「そうです、ドングリの樹や柿の樹じゃない、日本昔話では、必ず松の樹の枝なんです」、「天女が裸になって湖に入りました。クロールで泳ぐでしょうか? スイミングキャップかぶってるでしょうか?」、「それはないでしょ」(みんな笑い)、「水しぶきを上げて泳ぐ天女の絵なんて見たことない」、「水浴びが終わって、岩の上に上がりました。バスタオルで身体を拭くでしょうか」(一同笑い)。「そうです。天女の寿命は500年、ずっと18才のまま、お肌つるつるだから拭かなくったって、水はさらっと水晶玉のようにひとりでに落ちてるんです」、「皆さんはどうですか。拭いても拭いてもフェーックションって風邪ひいてませんか?」。(笑い)ここから天女の五衰の話へ。(盛り上がったなあ!)・・・・・・ また、お茶の時間へ。15:30まで、煩悩の話題で談話して、語って笑って解散しました。どうやら、ご参加人数も「新人」を迎え、運営体制も整い、すっぴん会話もはずんで、2018年6月開店した「仏教サロン すっぴん」は、4年目を迎え、「第2章」にはいったようです。子島様ご夫妻、皆様のお陰様です。合掌 2021/07/25 gensho

 

今日は休憩 子ども寺子屋も土・日はお休み 2021/07/24

 

■ちょっと肩こり。朝からお風呂を追い焚きして、昭和52年発行の第14代沈寿官さん(薩摩焼窯元)執筆・監修の『韓国のやきもの』3巻を何回も長湯して読んでました。「1:新羅」、「2:高麗」、「3:李朝」。なかでも「高麗青磁」にひかれます。高麗青磁の復興に一生をかけた韓国の人間国宝、柳海剛さんのことも書いてあり、名前は知っていましたが、初めてお顔(写真)を見ました。実は、30才の時、韓国の窯元めぐりを旅して(3回目)、旅の想い出にと柳海剛作の「香盒」と「ぐい呑み」買って帰ったのです。このときすでに人間国宝でした。このことは、また後で。今日の本の申込みは4件、予約総数778冊になりました。

 

陶板メダル下絵描き 子ども寺子屋2日目 2021/07/23

 

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■陶板メダル(素焼き)に下絵を描きました。みんな初めての経験。真剣そのもので、私語は一切聞こえません。絵具で描くというよりも素焼きに吸い込ませて厚盛りする感じなんですが、やってみて体感しないと分かりません。説明よりも、やってみることです。 

 

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■第1班が思ったより時間がかかったので、となりの木工室にシートを敷いて、第2班も始めました。まだ描ききれなかった子もいたので、「大丈夫だよ。月曜日にまたやろうね」とお片付けにかかりました。下絵厚塗りがすんだら、スプレーで透明釉薬をかけて、焼成(1230度)に入ります。今日の見守りスタッフは、仏教婦人会の愛子さん、みつ子さん、憲子さん。制作小道具を配る、制作を見守る、すんだ道具を水洗いして片づけるなど、スムーズに連携して動いてくださいました。本当に助かります。

 

■参加人数19名なんですが、4連休はスポーツ少年団に行ってる子もいて、連休明けからの参加です。今年は例年の半数で募集しました。

 

第4回 夏休み子ども寺子屋はじまる。 2021/07/22

 

■夏休み子ども寺子屋2021が今日はじまりました。7/22〜7/30(土日を除く)7日間です。8時30分〜12時まで、朝のつどい、仏参、宿題自習、本堂でゲーム、仏典童話の朗読、終わりのつどい、解散・・・・が今日の流れでした。

 

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■今年は陶芸にも挑戦します。今朝、電気陶芸窯の炉内温度が冷めて、窯開きしてみると、48個の素焼きのオリンピックメダルが焼き上がっていました。陶板メダルです。

 

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■子どもたちが帰って、午後から欅風工房(木工・陶芸)を片づけ、明日の準備をしました。陶芸教室は、わたしの担当です。素焼きした陶板メダルに下絵を描きます。子どもの自分のが一個、お母さんにあげる「いつもありがとう、ご褒美メダル」が一個です。

 

■もう一つは、子どもの自分用マグカップ作りを指導します。京都からお寺に帰ってきて、24才から40才まで16年間(幼児数の減少で閉園)、父が創立した個人立栄松幼稚園の副園長〜園長を務めました。学校法人立だと園児60名規模の幼稚園で、国から1200万円以上の補助金がくるのですが、個人立にはまったくありませんでした。保護者からもらう入園料・月謝・教材費がすべてです。教職員にはちゃんと他の法人立並の給与を出しましたので、わたしは16年間、給与も賞与も無給で働きました。他の園がまねのできない色々な工夫で幼児教育を豊かな楽しいものにしていきました。この経験が、わたしの宝です。今日の準備もさらさらと身体がひとりでに動きます。さて、今から百均にステンレスボールをあと2個買いに行きます。絵具を溶いていれる安物小皿(できれば白)も追加します。

 

■陶芸も、土練機、電動ロクロ、ポットミル、灯油燃焼式陶芸窯、プロ並に一揃いあります。灯油窯だけは永年の使用でだめになり、去年、「:日本電産シンポDMT−01 マイコン付横扉式電気窯」を買いました。炉内寸法 縦30cm 横30cm 高さ30cm の小型窯です。100V電源で動きますから、電気工事が不要です。上手に使えば、20名位の陶芸教室でも使えます。仏教婦人会、仏教壮年会にも、陶芸の輪を広げます。福森門徒会長の基本方針は、「お寺を大人の遊び場に!」です。まったく同感です。みんなでBBQできる日が待ち遠しいです。gensho

 

電気陶芸窯の温度が下がりはじめました。 2021/07/21

 

■700度で設定した陶芸メダル(48個)の素焼き、700度に達してゆっくり温度が下がりはじめました。電気窯はマイコンプログラムがついているので、付ききりでいなくて良いから助かります。

 

■今日の出版委員会の仕事は、申込者への返信メール送り。協賛金ご出資の方に、ゆうちょ口座への振り込み御礼メール送信でした。全員の方に、出版委員会サイトのQRコードも添付しました。今はまだこなせていますが、本願寺新報に広告を載せたら、予約注文が殺到して、お一人お一人へのメール返信はできないと思います。申込みフォームの完了画面で、自動で対応するように切り換えます。協賛金お申し出の方には、ゆうちょ銀行の「名義・記号・番号」の送信が必要です。これはメール対応します。事務的ですけど、何パターンかの「返信メール文言」作りました。コピーして、相手名を書いて、送信とう単純作業です。現在、申込み総数は48名ですが、7月末で申込み名簿を百華苑に送ろうと思います。8月から、宅配便の宛名書き、請求書書きなど、ひまひまでやった方が楽くでしょうから。

 

■今日現在、738冊。パソコン、インターネット、わたしのホームページ(受け皿)、相互のメール送信がフル回転しています。もしこれらがなくて、手仕事、電話や郵便だったら、今度の企画はできなかったと思います。7月7日に「大峯顯先生著作出版委員会」を公開してから、このスピードです。すごい時代にいるんですね。

 

朝、目が覚めてみたら ご購入予約 735冊 2021/07/21

 

■朝起きてみたら、夜中もご注文きてました。ああ、なんてこと始めたんだろう。これで、「本願寺新報」に載せちゃったら、ぶったおれちゃうよ。大峯先生ってすごい。はじめからそう想ってたんだけどね。昨日1日で14名、67冊のご予約でした。うれしいですね。全国に情報が飛び回り始めました。なんまんだぶ。なんまんだぶ。今日も2名、2冊。

 

■夏休み子ども寺子屋の陶芸制作、粘土のメダルの素焼き(700度)、電気陶芸窯で焼き始めました。23日に子どもたちが絵付けするので、今日やらないと間に合わない。焼成時間8時間(9:00〜17:00)、冷ましの方が時間がかかります。13時、いま電気窯の炉内325度です。乾燥にもっと日数かけたかったけど、大丈夫かなあ。乾燥が不十分だと水蒸気爆発で作品が壊れるのです。 

 

本願寺新報への広告 A  2021/07/19

 

■「本願寺新報」への広告掲載は、8月1日号と8月10日号は、もう広告欄が埋まっているとのことで、8月20日号、9月1日号、9月10日号の3回を予約できました。これにともなって「購入予約〆切日」を9月25日まで延ばして、10月1日に「最終発注」・「印刷開始」にすることにしました。これで、校正作業にもゆとりができました。宣伝期間も十分とれます。今日は百華苑社長様とも電話連絡をとり、発注から完成までにかかる日数をFAXくださいと相談しました。今日も、購入予約が入り、予約冊数は668冊になりました。それから、「大峯顯先生遺稿出版委員会」と称してきましたが、「遺稿」というときは生前未発表の原稿を指しますので、厳密にはそうでないものも含まれますので、呼称を「大峯顯先生著作出版委員会」に改めました。

 

本願寺新報への広告 2021/07/18

 

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■「本願寺新報」8月1日号に掲載希望の広告をつくってみました。縦98mm・横90mm一番よくでるサイズだそうです。あまり出ないサイズだと希望日に掲載されないおそれがあります。幅は1ページの1/4。税込み46,200円。1回目だから何者がやっている出版事業なのかの情報も読者にとっては必要と思います。8月10日号、8月20日号も出すつもりです。本願寺出版社の広告掲載キャンペーンで、初めて広告を出す業者は1回分の料金で2回掲載だそうです。お盆号(8月1日号)は料金2割増し。ですから、46,200円+55,440円=101,640円の出費で3回広告になります。これも協賛金のお陰様です。明日、本願寺出版社に電話して、8月1日号に間に合うかどうか聞きます。通常の発行部数は3万2千部。お盆号は17万部です。全然、効果がちがいます。どのくらいの印刷部数で発注すればいいのか、全国の反応がみたいのです。『今日の宗教の可能性』の重版はできないだろうと思っています。第2弾に行きたいからです。百華苑がさせてほしいというなら別ですが。購入予約者の予約冊数は出版と同時に完売します。それ以外にいくらの在庫を残せばいいのか。資金のない委員会としては、できるならば、全国の多くの方々に予約購入に回ってほしいのです。gensho

 

本願寺新報への広告掲載 2021/07/17

 

■大峯顯先生著作出版委員会では、7月末〜8月に、本願寺新報への広告を掲載します。来週、準備にかかります。『今日の宗教の可能性』書籍の購入予約数は、今日、655冊になりました。7月7日に27名にメール発信して、購入予約を受け付け開始して、まだ10日間です。「大峯 顯 は死んでいない。多くの方々の中で、熱く生き続けている」、その証拠ですね。

 

第1回 編集会議 2021/07/16

 

■今日は午後から、鹿児島県末吉町専徳寺の浄之住職と仙之介さんが来てくれました。仙之介さんには、WORDのプリント原稿と『今日の宗教の可能性』の原本を渡して、校正の仕事を依頼しました。夕方3通のお手紙をいただき、今日現在で予約冊数は630冊になりました。全国あちこちの皆様から勇気をいただいております。3人に息子も加わって、シリーズ第2弾は「言葉の不思議・真宗と言葉」を考えているんだ。第1弾から半年後、おそくても1年以内に刊行したいと語りました。

 

本願寺長崎教堂 教務所様から30冊の購入予約 2021/07/15

 

■今日16時まえ、メールをのぞいて感動しました。14:39、本願寺長崎教堂様より30冊のご購入予約メールが入っていたのです。うれしくて、有り難くて、涙がでそうでした。7月13日に、全国の浄土真宗本願寺派の別院様・教堂様・教務所様(64拠点)にご案内FAXをしまして、1ヶ所から応答いただいたということは、何か未来がひろがった感じです。「大峯顯先生著作出版委員会」には資金がありません。本来ならば、『大峯顯全集』、または『大峯顯著作集』を遺弟たちがだしてもいいほどのお仕事(ご功績)を残されたのですが、今その力はありません。先生の学業こそは、浄土真宗を「宗派仏教」から解き放ち、現代人の生きる道標ともなり、世界の浄土真宗への可能性を開くものだと、わたしは思っています。本願寺長崎教堂様、誠にありがとうございます。合掌 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏。

 

7月15日現在、ご予約4件 598冊になりました。8月中には、1000冊に近づくかも知れません。でも、1000冊出版して、購入予約者にお渡ししたら、「完売」=「品切れ」となってしまったら、再版の情報を後から知って喜んで買おうとした途端、「在庫なし」では、あまりにも短命です。百華苑にどれだけ在庫を残すかも、これからの課題になります。

 

■「本願寺新報」への広告掲載の問合せをしました。まあまあ出せる料金設定でした。資料を送ってくださるので、ゆっくり検討します。出版してからの広告掲載は百華苑がしますが、印刷まえに7月〜8月に広告を打って、確実な予約数をつかみたいのです。この予約数と予約メールは、第2弾を出すときの目標設定にも活用できます。今日は、今日も、本当にうれしい。gensho

 

子ども寺子屋 陶芸メダルづくり 2021/07/14

 

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■今夏、第4回夏休み子ども寺子屋を開校します。7月22日(木)〜30日(金)8時45分〜12時 (7日間・土日は休み)です。夏休みの子どもたちの安全な見守り、宿題自習、仏参、仏典童話朗読、工作活動など盛りだくさんの内容です。今夏は、農園見学(収穫体験)と庭での調理実習は断念しました。子どもたちに夏休みの記念に、陶芸製作で「ご褒美メダル 絵付け」とマグカップ作りをします。陶芸メダルは素焼きまですませておきたいので、今日、みつ子さん、律子さんと3人で48個の陶芸メダルを作りました。欅風工房にて。

 

■大峯顯著 『今日の宗教の可能性』 (京都市・百華苑より再版)の予約注文は、今日で552冊になりました。ありがとうございます。本願寺新報への広告も実現しそうです。

 

出版委員会 FAX作戦スタート 2021/07/13

 

■浄土真宗本願寺派の全国の別院様・教堂様・教務所様に、大峯顯著『今日の宗教の可能性』の再版をお知らせする案内文書(A41枚)をFAX送信しています。北海道・東北・中部・関東・甲信越・近畿・中国・四国エリアまで送信が終わりました。委員会の資金が少なく郵送料節約させてください。ネット上での古書『今日の宗教の可能性』は、最近2,500円〜2,850円です。(定価700円でした。)校正スタッフで本を持っていない人のために3冊買いました。2003年、本願寺派教学研究所からでたブックレット『真宗と言葉』定価600円は、今日アマゾンで見たら30,080円ですって。ちょっとひどい。出版委員会では、第2弾として、『言葉の不思議』(龍谷大学博士課程での講義)と『真宗と言葉』を収録したいと考えています。仏法を求めている人に応えてあげたいのです。本のご注文がポツポツ来ています。今日現在537冊です。

 

■いま(16:22)、九州・沖縄エリアまでFAX送信が終わりました。浄土真宗本願寺派の全国の別院様・教堂様・教務所様(64拠点)に送信しました。あとは宗派の新聞「本願寺新報」の最下段の広告料を問合せ中です。ここまですれば、広報活動は終わりです。いよいよ出版スタッフ委員会での校正作業を開始します。第3校正までは済んでいます。

 

夏休み子ども寺子屋スタッフ会議 2021/07/11

 

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■7月22日〜30日まで、第4回夏休みこども寺子屋開校しますので、スタッフ会議を行いました。総代3名、仏壮2名、仏婦3名、住職、前住で10名でした。今夏は、野外活動や調理実習はおこなわず、室内での宿題自習と工作と陶芸をします。陶芸製作はわたしの担当です。コロナで全人類が苦しんだ2021を心に刻んで、陶器でのメダル作り、茶碗も落とせば割れる生き物を生活の中で知るマグカップ作りをしようと思います。いま15名の子どもが申し込んでいます。乾燥粘土作品にいきなり釉薬をかけて焼成する生掛け、800度で素焼きして絵付けして本焼きする本焼成、どちらもやってみようかなあ、と思案中。gensho

 

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■蓮田に行ってみると、ベトナム人の若い女性が8人、見学に来ていました。コロナ禍で帰国できなくて、蓮をみて故郷を懐かしんでいるのだそうです。やっぱり花は人間を救うのですね。

 

アマゾン 仮面ライターさんのレビュー

 

■仏教の本質とその現代的可能性を見事に解説  (5つ星のうち5.0)
 大峯顯著『今日の宗教の可能性』読後感想文   2007年5月4日

 

 「…煩悩具足の凡夫、火宅無情の世界は、よろづのことみなもつてそらごとたはごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておはします」  『歎異抄』

 

先ず、私自身はとても熱心とは言えない浄土真宗(本願寺派,いわゆる「お西」)の「門徒」である。さらに付け加えると、私は、帰依すれば「お金持ちになれる」とか「病気が治る」とか、あるいは寄進が多ければ「御利益が増す」とかの類の「現世利益」を説く宗教は「邪」、そして、「哲学なき宗教」は「妄」といった宗教認識を持っている。こうした宗教観は、おそらく例外的なものではなく、むしろ世間一般の「常識」の部類に属するであろう。
さて、「宗教」と「哲学」、別言すれば「信」と「知」は決してアンチノミーの関係ではなく、両者はコインの裏表の関係にある、と私は常々考えていた。この存念をまさに立証してくれたのが大峯顯(おおみねあきら)先生の著した『今日の宗教の可能性』である。本書の由来は、浄土真宗(本願寺派)教学本部主催の住職課程における講義(昭和63年5月27日と6月3日)の録音テープを起稿、編集したもので、同宗「教学シリーズ」の5冊目に当たるようだ。
冒頭述べたように、私はあまり模範的ではない一介の門徒であり、もとより、住職などを目指してはいない。しかしながら、僅かなりとも宗教や哲学に関心を持つ身として、この大峯先生の講義録は、語り言葉ながら「宗教(仏教)の本質」をK.ヤスパースやM.ハイデッガーなどの哲学者の思索をも参勘しつつ解説した素晴らしい内容である。浄土真宗、否、宗教というものに多少とも関心のある方は、是非、本書を精読され、宗教(仏教)の本質とその現代的可能性を感じ取っていただきたいと思う。(仮面ライターさん、ありがとう。gensho)

 

山桜の挿し芽 10本が発根しました。 2021/07/09 

 

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■山桜(赤芽)の挿し芽(3月25日)、75日目で発根した苗木です。53本中10本の18.8%の生存率でした。途中ちょっと油断したこともあって、枯らした穂木もあります。あまり充分に水やりすぎると、挿し芽に内在する生命力が喚起されず、発根しません。このへんの見極めが難しい。挿し芽ができることを確認できただけでも上出来です。植木市でもなかなか山桜の苗木は出品されません。まして美しい木肌の赤芽の実生苗は、1%位の確率です。挿し芽だとDNAが確実に再現できます。やったあ。

 

■大峯顯先生著作出版委員会にポツポツ返信が帰って来ております。購入ご予約も協賛金もありがとうございます。今日から第2段階に入ります。次は、@全国の別院・教堂・教務所にダメモトで発信します。通信費をおさえるために、北海道教区からファックス作戦で南下します。月曜日、作戦開始です。A編集スタッフ会議を組織して、万全の校正作業を行います。B脚注を整えます。

 

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■上の写真3枚は、今年3月25日「季節の花2021」で紹介しました。「小さな鉢に植えてあった山桜を、大きな鉢に植え替えました。トップページの赤芽の山桜です。活着するように、すこし枝を落としました。落とした枝も愛おしくて、もったいなくて、挿し木にしてみました。ルートンという発根促進剤(粉末)を塗って、鹿沼土(小粒)に挿しました。2ヶ月くらいすると根が出るそうですが、1割でも根付いてくれないかなあと、期待しております。毎日、水やりと観察ですね。」  この記事ですが2ヶ月半が過ぎて、日陰の軒下で見守ってきましたが、53本中10本(生存率18.8%)に根が出ておりました。今日、黒土のプランターに植え替えました。明日、根の写真をお見せします。

 

夏の永代経法要 2021/07/09

 

■7月 9日(金)13:30
■7月10日(土)13:30

 

■昨年3月からコロナ感染防止のため、永代経法要(毎月)を休んでおりました。今年度から、「夏・秋・冬・春」の四季に法要をおつとめする形にきりかえました。受付、あいさつ、おつとめ「正信念仏偈」、法話で、15時閉式の予定です。今日の法話の当番は、わたし(前住)です。この夏から、少しずつ日常に帰していきたいと思っています。

 

大峯顯著作出版委員会からのご案内 2021/07/08

 

■7月7日、「大峯顯著作出版委員会からの呼びかけメール」を27名の方々に送信しました。7月8日、同じ文面を印刷して、54名の方々に郵送しました。あとの作業は、全国の浄土真宗本願寺派の別院などに、「ご購入のご依頼文書」を発信します。印刷段階にはいる前に、できるだけまとまったご注文をいただきたいからです。今日8日現在の購入予約数は410冊です。お手紙には、8月15日までに予約いただきたいと書きました。秋彼岸の頃には出版したいのです。

 

蓮田応援カンパ 2021/07/06

 

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■今日、午前中はお葬式2件。もう一件は息子住職。「大峯顯先生著作出版委員会」の発足のための文書作成。午後3時から蓮田に行ってきました。「蓮田応援カンパ 一、金二千円也」、ほんの気持ちですが、ご主人の才田さんにお届けしました。才田さんはユンボに乗って駐車場整地。いいお姿。さわさわと風が吹きわたっていました。

 

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■白花が咲き始めています。幸せな毎日。白蓮華は煩悩の泥田に咲いた清浄の華。お釈迦様は、信心決定のその人を、白蓮華、妙好人、最勝人と呼んでくださいました。7月12日をめどに「出版委員会結成」の文書を発送・発信します。8月15日までに「購入予約冊数」を取りまとめ、お盆明けには「印刷部数」の決定、印刷開始します。印刷・製本・宣伝期間をへて、秋彼岸には、日本列島に「大峯顯」が復活します。激震が走ります。「死んでないんだぞ!」

 

■大峯顯先生とわたしは、会うたびに話しました。宗教は、宗教そのものの本質的自己蘇生以外のあり方では復活しないのです、慈善事業、ボランティア、福祉、社会貢献、その他のどんな延命措置をおこなっても、誤魔化しでしかない。もっと言うならば、自分たちが宗教とか信心と言っているものが、もはや時代に通用しないことを「自己証明」してるのです。直球勝負で行きましょう。gensho

 

大峯顯著 『今日の宗教の可能性』再版へ始動!

 

■昨日、大峯顯先生のご子息:奈良県專立寺ご住職:大峯朝記様よりメールをいただき、「前略・・・・ 基本的には、1年前に尼子さまから、この件について、お申し出頂き、有難く思っており、尼子さまにお任せしたいと思います。 ・・・・後略」のお言葉をいただきました。これで安心して前進できます。今月、「大峯顯先生著作出版委員会」を組織し、発足します。出版委員会は、1) 出版実務をになうスタッフ  2) 賛助会員  3) 書籍購入予約会員  で構成します。出版業務だけでなく、ZOOMオンラインによる読書会開催も行っていきたいと考えております。どうぞご参加ください。2021/07/05

 

蓮田 7月へ 2021/07/02

 

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■となりの蓮田が咲き始めました。今日の午後、蓮田に行ってみると、農道は駐車禁止の立て札。農繁期で、トラックやトラクターの往来がはげしく農家さんのお仕事を邪魔するからです。用意されている「蓮田見学者駐車場」に駐めさせてもらい撮影しました。三股町勝岡小学校前の蓮田。

 

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■駐車場に帰って来ると、この蓮田の所有者と初めて出会いました。才田工務店の社長さん(75才 温和なお顔)の蓮田でした。一部は休耕田の借地だそうです。立ち話をしばらくしました。このあたりの田んぼは水が豊富で、トラクターが沈み込んでしまうのだそうです。泥田に沈み込んだトラクターは自力で脱出できず、とても耕作がしにくいとか。70才を超えた4年前、なにか地域の方に喜んでもらえる活動をと思って6種類の蓮を植えたのだそうです。この土地は蓮には合っていたのです。才田さん曰く、「駐車料金なんかとりたくないんですけど、ベンチを作ったり、草払いをしたり、見学される方に喜んでほしいんです」と。まだまだ咲き続けます。「わたしは、山田町のお寺の前住職です。この蓮田のこと毎週お参りの方々に紹介しています」。「行ってごらん。気持ちがすーっと楽になるよと紹介してます」と言いましたら、「次回からは駐車料金は入れないでください」と言われる。帰りの車中で、「蓮田御礼カンパ」をする決意をしました。「人生、意気に感ず」です。いい一日でした。2021/07/02 gensho

 

雨の月曜日 2021/06/28

 

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■ 昨日、「6月すっぴん」だったけど、体調不良で休んでしまいました。皆さん、すみませんでした。今日、ギャラリィ212に行って、子島ご夫妻にお詫びしてきました。それから2時間くらい、アレコレ話して楽しい時間でした。2018年6月から始まった「すっぴん」は、7月から4年目になります。今回は、鹿児島市からユッコさんも来てくださり、とてもうれしかったです。リンゴジュースもありがとうございました。

 

『今日の宗教の可能性』 2021/06/25

 

■今日は、奈良教区專立寺ご住職に手紙をFAXしました。百華苑からの見積書も添付しました。大峯顯著『今日の宗教の可能性』の出版了解のお返事をもう一度確認した上で、出版委員会発足に向かいます。印刷にかかる前に、500冊くらいは購入予約をもらいたいです。gensho

 

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■三股町勝岡の蓮田では、品種のちがう蓮が開花のときを迎えています。蕾の紅が濃いでしょう。大峯顯著『今日の宗教の可能性』を京都市百華苑から再版したくて、百華苑:福田社長と連絡をとっています。実現に少し近づきました。

 

あおいと蓮 2021/06/21

 

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■母親の携帯で撮った写真です。おすまし顏の葵ちゃん。「法話のゆくえは」第3章、書き終えました。gensho

 

孫娘あおいと蓮田へ 2021/06/20

 

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■今日は日曜日。「きれいな蓮の花を見に行かない」と孫娘あおい(7月で6才)を誘うと、「おじいちゃん、行きたい」のお返事。昼食後、かおる君がお昼寝したので、娘ちひろと孫あおいを乗せて蓮田に行きました。今日は、見学のお客さんもちらほら。あおいは蓮の美しさに感動していました。うしろに写っている建物は、三股町立勝岡小学校です。

 

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■蓮は開花と同時に黄金のうてながあります。阿弥陀さまはこの蓮台にお立ちなのです。親鸞聖人は、『教行信証』の中で、「・・・・〈淤泥華〉とは、『経』(維摩経)にのたまはく、〈高原の陸地には蓮華を生ぜず。卑湿の淤泥にいまし蓮華を生ず〉と。これは凡夫、煩悩の泥のなかにありて、菩薩のために開導せられて、よく仏の正覚の華を生ずるに喩ふ。・・・・」とおおせられています。

 

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■ピンクの濃い花ですね。

 

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■少しずつちがう色合い。可憐ですね。

 

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■最初、蓮の花に感動していたあおいは、たんぼの中に動く物に気づきました。「おじいちゃん、あれは何?」、「ジャンボタニシだよ」。オタマジャクシ、カエル、ミズスマシ、ヒル、次々と見つけてよろこぶあおい。草の茎を折ってきて、あおいにわたすと、ジャンボタニシを突っついてキャアキャアよろこびます。「ジャンボタニシには角があるね」というと、「触覚でしょ」と言う。この人の言葉の語彙力は小学校4年生くらいです。すぐに飽きて「帰りたい」というかと思いきや、親子で盛り上がっていました。たんぼの区切りごとに、蓮の種類がちがうみたいです。咲く時期もずれていくみたいなので、楽しみがつづきます。

 

「法話のゆくえは」第3章、書き始めました。 2021/06/19

 

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■平和で静かな蓮田です。となりの田んぼでは種類のちがう、おそらく赤色が濃い華の蕾がふくらみはじめました。

 

■わたしの考えつづけ、求めている「法話」と「法話に対する考え方」、それは「言語論」(言葉に対する考え方でもあるのですが)、宗門や宗門学校で教えられているものとは違うので、「第3章」は、一つ一つを命題としてかかげ、今後の思考の深まりへの基礎としたいと思います。原稿、書き終わったので、今から蓮田に行きます。大谷翔平選手、今日は一試合、20号、21号の2ホームランです。アナハイム球場(エンゼルスのホーム)は、ロックコンサートのような大歓声、観客総立ちの盛り上がりです。すごいね。

 

ハッセルブラッド500cm ゾナー180mmレンズ 2021/06/18

 

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■ハッセルブラッド500cmで撮影していると、若い女性カメラマンが近づいてきて、「それは何ですか?」と珍しそう。「フィルムカメラで、ピント合わせも、シャッタースピードも、絞りも全部自分で決めるんだよ」というと、初めてみるカメラ、初めてきく言葉、「面白そう」と喜んでいました。ペンタックスの露出計も興味津々でした。今のデジカメは何もしなくても、カメラがやってくれますもんね。

 

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■蕾たちの群れ。これからどんどん開花します。豪華だと思いませんか。

 

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■今日も清楚に咲いていました。美しいですね。今日で連続10日間の蓮田通い、楽しい。モノクロフィルムでも撮影します。

 

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■つぎつぎと開花します。マミヤRB67でも撮影しました。ハッセルブラッドもマミヤRB67も、ウェストレベルファインダーといって、カメラを腰のあたりに構えて、レンズを通ってくる風景をカメラの上部から覗いて構図を決め、ピントを合わせるのです。風景は左右が逆に見えます。今回は、2台ともペンタプリズムファインダーといってカメラの後から画像を覗き込む方式を採用しています。左右は正像です。カメラを低く構えるとレンズの向きがやや上向きになり、蓮田の向こうの道路や工事現場が写り込んでしまうのです。がっしり3脚にカメラを固定して、やや下向きに蓮を捉えると、他のものの写り込みがありません。写真は引き算です。主題以外のものは写さない。法話も同じ。gensho

 

今日もう一度蓮田へ行きました。 2021/06/17

 

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■マミヤRB67(中判カメラ 日本製 フィルムサイズ 6cm×7cm レンズ250mm)をもっていきました。2枚シャッターを切りました。今年になって、フィルムカメラ5台をオーバーホールに出したんです。ニコンF1=2台、ニコンF2=2台、コンタックスRTSV=1台、マミヤRB67=1台です。ニコン(東京)、コンタックス(長野)、マミヤ(東京)のそれぞれのメンテナンス会社です。修理・送料込みで14万円ぐらいかかった。でも、オーバーホール済みで、あと20年以上いやもっと使えます。14〜5万円出しても惜しくなかった。ニコンF1は、1959年4月から製造が始まり、1973年10月で製造終了となった伝説の名機です。わたしが持っているF1は2代とも後期型です。NIKON−F1(シリアルナンバー717 製造1970年10月〜12月)、NIKON−F1(シリアルナンバー737 製造1972年10月〜1973年1月)。50年以上も前の製造ですが、今も点検修理ができるんです。それにフィルムカメラだと、落ち着いて撮れる感じです。フィルムは門徒厨房の冷凍庫(−18度)に入っています。マミヤRB67は、フィルムバックを回転できて、縦長構図と横長構図に切り換えられるのです。フィルムカメラ全盛の頃は、女優さんのポートレート写真と言えば、ほとんどのプロカメラマンが使っていたのが、マミヤRB67とハッセルブラッド66でした。日本中の写真屋さんでのスタジオ写真もマミヤRB67が主流でした。レンズも優れものです。構図を決めて、露出計でシャッター速度とレンズ絞りを決めて、風が弱まるのをまって、「バッサッツ」とシャッターを切ります。胸がすーっとします。ああ、いい一日だった。

 

本願寺宮崎別院輪番からのお電話 2021/06/17

 

■昨日、本願寺宮崎別院・吉川輪番様に「大峯顯先生遺稿出版委員会」の発足と、『今日の宗教の可能性』の百華苑からの再版についての構想について電話で相談しました。販路として、東京築地本願寺、大阪津村別院、鹿児島別院なども書籍を置いていただけるかどうか、という質問です。今朝、お電話をいただき、それぞれの別院に吉川輪番様が電話してくださり、「大峯先生の本なら置けるでしょう、というお返事をもらいました」とのことでした。細かい条件は、また後日になります。でも、さっそく動いてくださり、有り難いです。力がでます。『今日の宗教の可能性』の再出版については、もう一度、本願寺とご遺族(後継住職)に出版了承の確認をとります。

 

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■6月17日 今日の開花です。三股町勝岡小学校まえの蓮田。帰りに友人のランチ喫茶「とんこう」に昼食に立ち寄ると、五十嵐木材の社長さんとばったり会いました。わたしの法話CD「第1法話集:24話」を何周も聴いてくださっています。「第2集」も差し上げました。カウンターで仏法の華が咲きます。

 

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■午前11時30分頃、畦道に3脚立てて撮影していると、小学生と担任の先生も蓮田の見学に来ました。毎日、蓮田が見れていいなあ。ニコンD3Sで撮影。ハッセルブラッド(スウェーデン製フイルム6×6カメラ オリンピアゾナー180mm)で2枚シャッターを切りました。シャター音が好き。マミヤ6×7でも撮影するつもり。華は逃げずにじっとしていてくれるから、構図やピント合わせなど落ち着いて、静かな気持ちで撮影できます。ありがとう。

 

amidanet を リフォームしました。 2021/06/16

 

■「仏教への招待」、「報恩講ライブ」、「大無量寿経の根本問題」、『大無量寿経』の時間論、「宗教とは何か」、「ダウンロード」のページを見やすくリフォームしました。雨がやんだので、今日もいまから蓮田に行ってみます。13:30です。

 

■蓮田に行きましたが、昨日まで咲いていた華が首を垂れて散り始め、蕾たちはまだ開花していませんでした。シャッター一回も切らず帰りました。撮らないことも撮影です。言わないことも法話です。私は法話の中で、自己紹介は1分以内と決めております。家族の話もしません。こういう言葉を使っていると離陸できなくなることを知っているからです。緊張感のない言葉が絡まってしまうと、音が濁るのです。「言葉」は人間よりもはるかに強いのです。語らない言葉も法話です。語らない言葉とは「差別用語」ということではありません。鋭角に本題に入ることを妨げる言葉は、なるべく声にしないよう気をつけます。日々訓練。このあたりは「法話のゆくえは」で深掘りします。gensho

 

蓮の開花はじまる。 2021/06/15

 

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■今日も蓮田に行ってきました。次つぎと開花がはじまりました。

 

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■花の種類も何通りかちがいます。

 

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■かおる君はお母さんと三輪車あそび。愛らしい光景です。

 

大峯顯先生遺稿出版に向かって 2021/06/15

 

■大峯顯先生の遺稿『今日の宗教の可能性』を、京都の百華苑から再版いたしたく、今は水面下の準備をしております。2020年2月16日までに、長崎市のY様、室戸氏のYご夫婦様のご協力をいただいて、全文文字データ(ワード)で打ち込み、第3校正まですすめました。コロナ禍で作業がストップしておりましたが、今年6月7日、1)「出版企画構想」、2)「文字データ原稿CD」、3)「プリント原稿」を百華苑に郵送しました。昨日、福田社長様から御礼状と「現在見積もり中」というハガキをいただきました。

 

■まだ正式な「大峯顯先生遺稿出版委員会」は発足していないのですが、一冊単価が提示された段階で、有志を呼びかけようと思っています。

 

■さっそく鹿児島県出水市のF様から「協賛に協力します」のメール。京都のN様からは10冊購入予約協賛のメールをいただきました。アミダネットTOP画面、「大峯先生遺稿出版委員会」の「購入予約フォーム」からの第1号予約です。ありがとうございます。

 

しずかな月曜日 2021/06/14

 

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■お庭を散歩するかおる君。1才6ヶ月。手にはパラソル、背中には転んで後頭部を打たないように後光マットを背負っています。定番かおる君スタイル。

 

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■今日は法友の肇さんとRAV4でドライブして、宮崎市神宮町の「江戸っ子」という天麩羅専門店で昼食して帰って来ました。先日は、仏法の話しながら走っていたら鹿児島県鹿屋市まで行ってしまい、鹿児島ラーメンの昼ご飯でした。次は妻ヶ丘町のインド料理に行こうと言って別れました。肇さんをおろして、蓮田にいくと、2輪の蓮が咲いていました。明日からは、もうどんどん開花しそうです。早朝の朝日で撮影することも考えています。

 

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■アミダネットTOPページに昨日、「法話のゆくえは」というメニューを設けました。本願寺教団の僧侶の法話はどこへ行こうとしているのでしょうか。迷走、長期低落、皮相から深まらない「オハナシ」に転落している原因はどこにあるのか、「法話をさせていただく」という「言葉の仕組み」、「言語論」にまで立ち帰って、書けるだけ書いてみようと思っています。2021/06/14 gensho

 

日曜日の礼拝 2021/06/13

 

■9時と10時のお参りの方に「阿弥陀如来の蓮台」の話をしました。親鸞聖人は、『教行信証』の中で、「・・・・〈淤泥華〉とは、『経』(維摩経)にのたまはく、〈高原の陸地には蓮華を生ぜず。卑湿の淤泥にいまし蓮華を生ず〉と。これは凡夫、煩悩の泥のなかにありて、菩薩のために開導せられて、よく仏の正覚の華を生ずるに喩ふ。・・・・」とおおせられています。皆様にも三股町の蓮田を見に行ってごらんと、気晴らしのドライブをおすすめしました。今日も蓮田に撮影に行きます。

 

Windows 今朝の法話 Mac
高原の陸地には蓮華を生ぜず。卑湿の淤泥にいまし蓮華を生ず。 21

※録音状態が悪かった。配信停止、やり直し。ICレコーダーのマイクが音楽録音設定になっていたのです。胸にピンマイク、講演設定で録音し直します。

 

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■6月13日 小雨の中、今日も行ってきました。NIKOND3S 望遠70〜200mm

 

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■明日が開花でしょうか。一輪がふくらんでいました。

 

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■じーっと静寂のなか、水滴と対話しました。1月に蓮の絵(日本絵具)で何枚か描いてみて、まだまだ観察が足りないと思い知ったのが良かったです。カメラのアングルも、上から、下から、いろんな角度から、いろんな花・葉・芽吹き・幼い葉・幼い蕾をしっかり記録したいです。絵が、もっと良くなるはずです。

 

雨の日の蓮田 2021/06/12

 

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■あなたに宝石をさしあげましょう。この宝石はあなたの指輪です。あなたのペンダントです。あなたのティアラです。夏の精があなたに宿ったのです。

 

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■法華経に「大地湧出の菩薩」という言葉があります。菩薩は天から降りてくるのではなく、大地から湧き出てくるというのです。阿弥陀如来も人間の苦悩・煩悩まみれの大地の泥田から「南無阿弥陀仏」の音声(おんじょう)となって現れてくださったのです。菩薩は知識人ではなく、泥まみれの肉体労働者です。

 

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■今日は一日中雨でした。4日連続の蓮田かよい。まだ一輪も開花はありませんでしたが、雨粒を抱いた蓮葉もいいものです。泥田から蓮の葉芽がちじれて顔をだしているのも愛らしい。

 

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■水玉のハーモニィ。宝石のさざめき。雨粒の語らい。

 

蓮の開花まじか! 2021/06/11

 

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■今日も午後から3日連続で蓮田を訪ねました。小雨のなか、蕾は昨日よりもふくらんでいましたが、まだ一輪も開花していません。今日は、70mm〜200mmのズームレンズで撮りました。

 

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■蓮葉の真ん中に宝石のように水玉が光っています。20代からの親友(彼もお坊さん)が「尼子玄章第2法話集」を車運転しながら聞いてる。声聴いてたら会いたくなった、と遊びに来てくれました。ありがとう。うれしかった。

 

『今日の宗教の可能性』出版事業始動! 2021/06/10

 

■今日、京都市百華苑:社長・福田裕子様と電話で話しました。郵送しました「出版原稿・CD・ほか」が届き、見積もり作業にとりかかったとのこと。アミダネットに、『今日の宗教の可能性』の購入予約サイトをもうけました。どうぞ、ご覧ください。そして、いまは私一人ですが、「大峯顯先生遺稿出版委員会」を発起します。実務作業スタッフ、賛助会員、購入予約者の輪がふくらんでいきますよう、応援よろしくお願い致します。gensho

 

本堂ねっころがりコンサート 2021/06/10

 

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■今日、ユニット「ぶれーめん」(フルート:尼子千懐 ピアノ:有島瑛子)による正定寺本堂ねっころがりコンサートがありました。11:00〜11:50 と13:00〜13:50の2公演。5家族限定(完全予約制)。本堂の外陣のすきな場所で、座ってもいい、寝っ転がってもいい、お庭をながめてもいい、癒やしコンサートです。

 

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■1日目午前中は、発売と同時に即5組完売。若いお母さんと赤ちゃんたちが、本堂を歩き回ったりハイハイしたり、のんびりくつろいでいました。

 

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■孫かおる君はパラソルがお気に入り。家のなかも、お庭の散歩もパラソルが手から離れません。わたしは彼をパラソル君と呼んでいます。

 

蓮田に夏が! 2021/06/09

 

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■三股町勝岡小学校前の蓮田に行ってきました。行って良かった。この間行った時は、蓮葉もまばらで田んぼの土が見えていましたが、今日は美しい蓮葉と蕾を確認しました。蓮田に近づくと、蓮の全身からなんとも言えぬかぐわしい香りが漂います。デジタル一眼とハッセルブラッド(スウェーデン製フィルムカメラ6×6)で何枚か撮影してきました。

 

梅肉エキスづくり 4日目 2021/06/09

 

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■6月6日、直径30cmの深土鍋一杯の南紅梅を弱火で煮ることから始まった「梅肉エキスづくり」が、4日目の今日、完成しました。この瓶詰めとあとぐい飲み一杯くらいできました。毎日小さじ半分なめて、元気に夏を乗り切ります。

 

わが師 大峯顯師の遺稿出版に向けて再始動!

 

■6月6日、京都の仏教書出版社:百華苑の社長・福田裕子氏と電話で相談。わが師・大峯顯師の遺稿を出版する方向で動き始めました。2019年12月から始めていたのですが、2020年2月、コロナ感染の全国的拡大で京都へも行けず、動きが停滞していたのです。6月7日、福田社長に、1) 出版企画構想遺稿、2) 第1回出版原稿、3)原稿ワードデータ、4)未発表の講演録を郵送しました。とくに「名号論」、「宗教と言葉」、「浄土教と言葉」の講演筆録や論文をシリーズ物で出版できないものか、まずは百華苑との相談です。もちろんご遺族(ご子息・住職)の許可もいただいています。もう少し筋道が見えてきたら、「大峯顯遺稿出版委員会」をたちあげます。2021/06/09 gensho

 

南紅梅の収穫と梅肉エキスづくり 2021/06/07

 

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■自然と枝から落ちる完熟南高梅の収穫を考えていましたが、同じ木でも果実の個体差があり、もう黄色くなって落ちている実もあれば、まだ成っている実もあります。枝付きのまま皮が裂けている実もあるので、昨日、全部の果実を収穫しました。まだ固い青梅もあるので、ジップ袋にいれて滴水庵(門徒厨房)の冷蔵庫にいれて追熟することにしました。果肉の柔らかい梅干しをつくります。お庭の南紅梅は過去最高の収穫量でした。大きい実は直径4.5センチもあります。

 

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■同量くらいの実が皮が裂けて少々の傷があります。ここからカビが発生することもあるようなので、水洗いして、大きな土鍋にひたひたの水を入れ弱火でゆっくり加熱しました。果肉がフニャフニャになってきたところで、お玉で実をつぶし、一個一個種を拾い出し、果肉と種を分けました。(ここまでが昨日の作業)

 

■6月7日、一晩たって冷えた果肉のドロドロをミキサーにかけ、均等なペースト状にして、再び土鍋にいれ、最弱火にかけています。火を強くすると鍋底に焦げ付きます。湯煎よりちょっと上くらいの熱で時間をかけて、梅肉エキスにしていきます。土鍋一杯8リットルが180CC位になるまで、ゆっくり丁寧に仕上げたいと思っています。子供の頃、お腹を壊すと祖母が梅肉エキスを舐めさせました。万能薬です。

 

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■「尼子玄章第2法話集」21話を、車の運転しながら聴聞しています。17話まで聞きました。一年以上前の収録もあるので、自分で聴いても新鮮です。大阪に「みんなのコピー屋さん」という業者があることをネットで知りました。100枚以上で単価39円、500枚以上で単価32円です。これにレーベル印刷、CDケース等を追加すると、一枚約100円(500枚以上の時)になるようです。コロナで法座が開けないのだから、作って配ろうかなと思い始めています。玄章法話は、仏教用語をなるべく少なくして、「宗教と現代人の心の接点」をねらって語っています。私に会ったこともない人も、今までお寺で法話を聴いたことのない人も、「面白いですね」と言って下さいます。24話をもう3周しました」という木材製造業の社長さんもいます。キ城では、あちこちの乗用車の中で、玄章法話が鳴っているのです。2021/06/07

 

尼子玄章第2法話集CDの発送! 2021/06/02

 

■姉と弟に「尼子玄章第2法話集CD」を発送しました。つい長い手紙になりました。

 

■梅雨の候、お庭の南紅梅が完熟のときを迎えました。皆様、お元気ですか。どうぞ、日々御身お大切にお過ごしください。こちらは孫二人に囲まれ、幸せな、にぎやかな毎日です。ひまにまかせて玄章HP「アミダネット」の大掃除をしておりましたら、「第2法話集」が出来ましたので、お送りします。

 

■現代人に「宗教」を伝えるには、どんな心の接点から入っていけばいいのか、考え試みています。法話をバスケットボールの試合に譬えるならば、いま眼の前におられる聴聞者の心の空隙(デフェンスゾーン)に、どうやったらドリブル・カットインができるのか、フッとその方の心に触れることができるか、日々試みています。法話は、わたし自身が第一聴聞者です。

 

■浄土教という仏教は、「この世からあの世へ」という時間軸、阿弥陀様という人格神(わたしから向こうの阿弥陀様への二元的対象的信仰)で語られることが多いです。浄土真宗が「いちばん分かりやすい仏教だ」と言われるのは、説明型の仏教だからです。
しかし、それは高校の地理の授業のように、地図や映像や黒板の向こう(対象的知性)におかれた「説明仏教」なのです。人間の限界として、「説明」これは分別心(知性)なのですが、時間と空間を前提にしなければ、説明という行為は成立しません。だから説明すればするほど、「生前と死後」、「娑婆と浄土」、「阿弥陀とわたし」という2元論に陥っていきます。知性も仏教を理解する道筋として必要ではあります。しかし、知性=分別心=すなわち疑情です。仏法を相手の頭に届けようとしているのです。法話の説明をどれほど詳しく覚えても、「なにか遠いお話」です。仏教サロン「すっぴん」にえびの市からも2人の女性が来られますが、中央仏教学院通信教育を4年でても、「もやもやと仏教が遠かった」と言われました。それは教化者側の問題です。説明という行為で仏教が伝えられるという「一度も疑われたことのない説明信仰」から抜け出せていない方々から、どれほど仏法を聞いても「もやもやの雲霧」は晴れません。知識仏教だからです。何回覚えても、何回並べても完成しない欠損パズルです。「今のわたしのリアルな全体」になれないのです。本願寺のお坊さん(特に学者や布教使)は、門徒の方が人生の土壇場で、「自分が語った法話」を思い出してくれるとでも思っているのでしょうか。一体、何を目的として法話を語っているのでしょうか。疑っている自分がいます。

 

■「法話」が、真宗教義の説明でできるのならば、「称名念仏」はいりません。曽我量深が「如来われとなりて、われを救いたもう」というときの如来は、念仏です。その人の身体となった、その人の人生境涯に成りきって、「向こうの阿弥陀」でも「向こうの浄土」でもない、いかなる二元的対象性も消え去ったお念仏です。「如来とわたし」にいかなる隙間も対立もなくなった念仏です。浅原才市は、「念仏は声の声」といっております。

 

■わたしは、自分の法話を覚えて帰って欲しいと思ったことは一度もありません。どんな「いい話」も、その方の人生のギリギリでは何の力にもならないことを知っているからです。本堂を出て靴をはいた瞬間ぜんぶ忘れて帰る、あとは称名念仏のみ。これが一番いい聴聞です。

 

■マルティン・ハイデガーは、「言葉は存在の家である」と言いました。絶対の神といえども、言葉のない世界には自己を顕現することはできません。新約聖書『ヨハネ』では、「はじめに言葉ありき。言葉は神と共にありき。言葉は神なりき」とあります。これは浄土教で言えば、「はじめに名号ありき。名号は如来なり。名号は浄土なり。名号は永遠の言葉の家なり。われ(如来)は念仏となりて汝に顕現す」ということです。称名念仏のない人生には、浄土もなく如来もなく、我という自己も空虚で意味不明の漂流物と化すのです。不安で、孤独で、空虚で、意味不明。自己の存在全体をどこにも投げ入れる場所がない、どこにも帰りつける場所がない漂流者=現代人の心の無明闇を「そのまま来い」と受けとめる大きな永遠の懐は、お念仏しかありません。

 

■本願寺はあと4年で積立基金を食い潰し、確実に赤字団体へと転落します。今ごろあわててます。経営の問題も大切でしょうが、果たして仏法が伝えられている教団なのか、なぜ聞法者が減っていくのか、浄土真宗存亡の生命線を問い直さねば、宗門は沈んでいくことでしょう。

 

■すみません。時候の挨拶だけのつもりで書き始めたら、長くなってしまった。南無阿弥陀仏

 

尼子玄章第2法話集CD完成! 2021/06/01

 

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■「尼子玄章第2法話集」MP3−CDが完成しました。デスクレーベルの作り方と印刷の仕方、すっかり忘れてたので時間かかりました。蓮の絵は1月に描いたデッサンです。乗用車のCDでも鳴ります。第1話・第2話は、昨年2月に隣町・高原町の高齢者学級(皇子原学園)での講話ですので、スローな話し方になっています。「運転しながら」、「料理しながら」の「・・・・ながら聴聞」でちょうどいい内容とテンポだと、自分で聴き直して思いました。CD欲しい方、トップメニュー「ZOOMかくれ念仏」のフォームから申し込んで下さい。材料費・クッション封筒・送料がいるので、1枚1000円にします。
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第一法話集 24話 はこちら。明光寺様が西嘉穂組巡番報恩講のお参詣者への記念品に1500枚製作されたものです。第2集では、第1集に未収録の法話をおさめました。

 

ぶれーめん ミニコンサート 小林市で 2021/06/01

 

■今日6月1日、小林市の高齢者学級に娘:ちひろ(フルート)と有島瑛子さん(ピアノ)が呼ばれて、ミニコンサート(60分)が開かれています。去年10月、わたしが講話で呼ばれていたのですが、急遽体調不良でドタキャンすることになってしまい、主催者には大変ご迷惑をおかけしました。お詫びの電話の中で、「もし代理の講師がみつからなかったら、無償で娘のユニット「ぶれーめん」を派遣しますから、それで責任をとらせてください」と担当の方の話しましたら、しばらく間をおいて「よろしくお願いしたい」というご返事でした。娘と瑛子さんには、「しっかり演奏してきてください。えびの市、高原町、次々と毎年声がかかるようになるから」と、わたし(マネージャー)が送り出しました。そして、今年も出演のチャンスをいただいたのです。ありがとうございます。あさ10時からの開演でしたので、もう終わっている頃です。わたしのsonyのハイレゾ録音機を持たせました。ジャズ・クラッシック・ポピュラー・童謡など、高齢者の方々に喜んでもらえたはずです。アンディ・ウイリアムスの「ムーンリバー」も演奏曲です。ピアノソロなど演奏曲目はもっとおおかったのですが、前半は録音を忘れていたそうです。いまは孫かおる君と帰りを待っている時間です。

 

Windows   Android   WMA Mac   MP3
歌の翼による幻想曲  メンデルスゾーン 4.00 歌の翼による幻想曲  メンデルスゾーン
浜辺の歌 1.00 浜辺の歌
ふるさとの山に向かいて   石川啄木 2.30 ふるさとの山に向かいて  石川啄木
ミニコンサート 小林市 6月1日 23.06  ミニコンサート 小林市 6月1日

メンバー紹介 & プレゼント「音楽の小包」 

 

南高梅 完熟のとき近し2021/05/31

 

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■朝、南紅梅の木の下にいって、自然落下した梅をジップ袋で塩漬けしています。手でもいで収穫ではなく、少しでも長く枝になったまま完熟させたいのです。今年の南高梅は実が大きいです。ゴルフボールまではいかないけれど、ゴルフボールを一回り小さくした感じまでふくらんでいます。やっぱり日光が良く当たる木の実がふくよかで大きいですね。

 

■今日は午後1時から斎場でのお葬式でした。近頃は、お通夜がわたしの当番で、お葬式は住職がいくというスタイルをとっています。息子は夕方、2人の孫のお風呂入れがあるからです。あおい(女児5才)、かおる(男児1才半)のお風呂入れは毎日一騒ぎです。これも2世帯同居のにぎわい。

 

仏教サロン すっぴん5月例会

 

■今日5月30日(日)13:30〜15:30、天神町ギャラリィー212さんで、「すっぴん5月例会」でした。オーナー子島さんご夫妻、えびの市から淳子さんとみほ子さん、曽於市末吉町から仙之助さん、そしてわたしでした。とても深い話し合いができたと思います。

 

■玄章HPアミダネットのサイト内を大掃除して、「@トップページ」、「Aカテゴリィー分け」、「Bカテゴリィー内メニュー」、「C個別記事」と4階層に整理し、重複する記事は削除しました。前よりも見やすくなったと思います。そして、福岡県飯塚市明光寺様の巡番報恩講で作っていただいた「尼子玄章法話集CD24話」には収録されていない「玄章法話21話」のCDを8枚作ったので、ご参加の皆様に差し上げました。明光寺様にも贈ろうと思っています。このCDはMP3方式で録音してありますから、普通の音楽CD(WAV方式)では鳴りません。最近の乗用車のCD機器ではSDカードもMP3方式も鳴ります。また家電屋さんでsonyでもどこのメーカーでも数千円のCD機器は「MP3対応」となっています。音楽CD(WAV方式)もMP3方式もどちらも読み込める機器が売られています。

 

■次は、「大無量寿経の根本問題」にテーマを絞って、ZOOMで一通り語ったCDを作ります。どなたかZOOMの「大無量寿経講話」に参加しませんか。アミダネットの「ZOOMかくれ念仏」を使ってお申込みください。淳子さんはビワの実を丁寧にむいたゼリーを、みほ子さんは灰汁巻きを、仙之助さんは北海道のチョコレートを持ってきてくださいました。ありがとうございました。

 

■今日のお参りは、9時(住職担当)9組33名、10時(わたし担当)7組50名でした。お寺はコロナでは死にません。若い方もいっぱいお参りされていたので、「健康って何?」、音声法話「仏教への招待」上から2番目の法話を若者向けにアレンジして30分語らせていただきました。ずしんと聴いてくださったと感じました。physical フィジカル、 social ソーシャル、mental メンタル、spiritual スピリィチャル、この4つの健やかさ、 安らかさ、明るさ、が健康です。「健康」という言葉の語源は、中国の古い書物『易経』の「健体康心」にあります。ずしんずしんと響いて聴いてくださったので、わたしも相当突っ込んで語れました。2021/05/30 gensho

 

音楽の贈り物
■娘:尼子千懐(ちひろ・フルート)と有島瑛子さん(ピアノ)はユニット「ぶれーめん」を結成しています。今日は門徒ホールで練習していましたので、sonyのハイレゾレコーダーで録音しました。アップデータは、WMA方式とMP3方式に密度を落としてあります。コロナでコンサート活動は休止していますが、市役所のロビーコンサートなど各地に呼ばれています。音大から帰省した頃はクラシック中心でしたが、クラシック・ジャズ・ボサノバ・童謡などなんでもこなしています。メンバー紹介 & プレゼント「音楽の小包」 

 

■3曲目は、2016年秋、娘が宮崎女子高等学校音楽科時代の同級生に声をかけて開いた「歌曲の夕べ」に、東京から森山由美子さん(ソプラノ歌手)も参加してくださって歌った曲の一つ。詩:石川啄木、「ふるさとの 山に向かいて 言ふことなし ふるさとの山は ありがたきかな」、「やはらかに 柳あをめる 北上の 岸辺目に見ゆ 泣けとごとくに」。娘がこんなコンサートを開くとき、わたしは音響&照明係です。

 

■ジャズの演奏は、わたしが提案しました。「A列車で行こう」などスイングジャズもいいですね。キャロルキングの「You’ve Got A Friend」、カーペンターズの「青春の輝き」も好き。娘は、ナット・キング・コールの歌声も好きになりました。ネットに「@ELISE」という楽譜検索・楽譜通販があることが分かったので、2曲購入しました。YAMAHAにも「プリント楽譜」というサイトがありました。リクエストです。

 

【 玄章法話2021 専徳寺様 春の永代経法要 】

 

■5月6日〜7日、専徳寺様(鹿児島県曽於市末吉町)の春の永代経法要に招かれました。約60分の法話をさせていただきました。コロナ禍で全国のお寺の法座も自粛がつづいています。2020年1月24日〜25日、常楽寺様(鹿児島県日置市吹上町)の報恩講、2020年9月28〜30日、明光寺様(福岡県飯塚市)の秋彼岸法要(ZOOMによるオンライン配信)以来のライブで、わたしにとってはリハビリトレーニングになりました。京都の野間さんのお姉さん・弟さん夫婦もお参りされました。方言まるだしの法話ですが、アップしました。2021/05/08 gensho

 

【音声法話の聞き方】
■ ウィンドウズ WMA形式 と マック MP3形式 で配信します。
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第1話  仏法をわがものとせよ。 05/06  66 第1話
第2話  忍力成就して衆苦を計らず。 05/07      74 第2話

 

ビワの実がうれてきました。

 

■雨降りの毎日です。いかがお過ごしですか。昨日、コロナワクチンの接種ネット予約ができました。7月10日、山田総合センターです。でも身体に合うのか不安もあります。

 

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■プランターのイチゴが元気に育っています。葉の色艶がいいので、おいしいイチゴが実ることでしょう。

 

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■南高梅もふくらんできました。完熟まで待ちます。晴れの日がほしい。

 

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■ビワが熟れてきました。今年もとうとう摘果ができませんでした。樹高を低くしないと作業ができません。それに摘果の時季はもっと早いのではないでしょうか。調べてみます。鈴なりになっていて、実は小さいけれど、味は甘く深いです。

 

ネットの「農家が教えるビワの育て方」(鶴田 祐一郎さん)によりますと、「ビワは1カ所に大量の花をつけます。そのまま放置していても立派なビワは収穫できないため、数を減らすための摘果作業はビワ栽培において大変重要な作業です。一番重要なのは、開花時期前の10〜11月におこなう摘房という粗摘果作業です。摘蕾(てきらい)とも言われますが、つぼみの段階で先に数を減らしておくことが大切です。販売用のビワをつくるのであれば細やかに調整して残すべきつぼみを選別するのですが、家庭果樹ではそこまでせずに、房の根元と先端を手で引きちぎってしまい(簡単に外れます)、中段の3房だけを残しましょう。」・・・・・・・・ とありました。

 

■ZOOMの会議や法要にソニーのビデオカメラが接続できるようになりました。2台のWEBカメラでは本堂のご本尊やお仏具の金箔は白トビしてしまうのです。次回からはもっと鮮やかな映像が提供できると思います。2021/05/22 gensho

 

オンライン法事、うまくいきました。

 

■5月15日13時、正定寺本堂と神奈川県相模原市のNさん宅をむすんで、お父様の17回忌をお勤めしました。これまでの経験を活かして、ご本尊にUSBカメラ、読経机にUSBマイク(RODE オーストラリア製楽器録音用)を設置。会話や法話をする机(外陣向き)にノートPCともうひとつ液晶画面、USBカメラ(自分向き)とUSBマイク(AKG ドイツ製楽器録音用)、外付けハードデスク、というセットでのぞみました。Nさんご夫婦、妹さん親子との会話もスムーズにできました。法話にはパワーポイント(写真や文字を映す)を使って、相手の画面にお釈迦様の画像や生誕の地ルンビニーの風景もお見せしました。皆さん、とても喜んで下さいました。Nさん(女性)はソニー関連の会社で毎日ZOOMを使って、会社の経営セミナーなど多岐にわたるお仕事されているそうですが、お友達に、「キ城の住職がZOOMで父の17回忌をおつとめくださるの。」と話したら、とてもうらやましがられたそうです。「都会でもこんなお寺は少ないです。」と感謝されました。わたしも、ちゃんと出来てよかったです。

 

■あとは、一眼レフデジカメとハンディビデオカメラを使って、もっと画像の質をあげたいです。いま使っているUSBカメラは安物で、特に金箔を写せません。白トビしてしまうのです。お内陣の仏壇・仏具が緻密に写せないのです。あと、これらのマイク・カメラをスムーズに切り換えるスイッチャーにエイテムミニ(ATEM mini)という機器が必要です。次の機会までにはそろえたいです。
■とにかく、喜んでもらえたので、ホッとしました。本番までの練習に3回お付き合いくださった長崎市のYさんも、ありがとうございました。2021/05/16 gensho

 

南高梅の実がきれいです。

 

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■庭に何本か南紅梅の木があります。植木市で苗木を買って、もう10年以上たちました。春は白花もきれいですが、年数と共にだんだん果実のつきが多くなってきました。今年は特に、果実のふくらみがきれいです。昨日は、徒長枝を伐って、実に太陽光がよくあたるよう整枝しました。完熟してからの収穫です。今日も雨の一日です。

 

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■フラワーショップひとみさんで沖縄ゴーヤーとヘチマの苗を買いました。「サニーレタスの苗、売れ残ったからあげる」ともらって帰って、プランターに植えました。きれいな若葉がでています。パセリも元気です。大きくなったら毎日収獲です。モミガラ燻炭でマルチングしています。雨で土が跳ねて葉が汚れないようにです。

 

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5月15日午後1時 オンライン法事。

 

■今日、神奈川県相模原市のNさんのお父様の法事を、正定寺本堂でオンラインでおつとめします。
■法事の次第は、1) 参拝者入室、2)住職あいさつ、3)喪主あいさつ、4) 読経「正信念仏偈」、5) 法話、6) 茶話会(参拝者相互の会話 住職との会話)、7) 住職あいさつ、8)喪主あいさつ(閉式) 60分〜75分位です。おつとめの「正信念仏偈」は、アミダネットのサイドメニュー「ダウンロード」から、ダウンロード&プリント(A4版4枚)できます。
■5月12日に接続テストもおこないました。Nさんはソニー関連の事業所で、毎日のように講師をスタジオに招き、経営セミナーなどを発信する裏方をされているとのことで、ZOOMにはわたしの何倍もくわしいことがわかりました。心強いです。Nさんの家に妹さん家族も集まってお参りされます。田舎のゆったり時間をお届けしようと思っています。2021/05/15 gensho

 

ケラマツツジの季節です。5月11日

 

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■庭のケラマ(慶良間)ツツジが満開に近づいてきました。正定寺というか山田の土壌は、ケラマに合っているようで、よく育ちます。春一番の岩ツツジ(2月)に始まって、久留米ツツジ、平戸ツツジなどが順々に咲いて、最後を飾るのが慶良間ツツジです。

 

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■庭には何本(数えたことがない)もの慶良間があります。

 

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■門前の慶良間と葉ザクラ。つややかな美しい葉を見せてくれます。お礼肥もあげたので、成長が楽しみです。

 

オンライン法事の練習中。

 

■神奈川県相模原市のご門徒(お母さんはキ城在住)から電話があって、5月15日13時から、お父様のご法事をオンラインでおつとめすることになりました。2020年9月28日〜30日に福岡県飯塚市・明光寺様の秋彼岸法要で、3日間6席の法話を正定寺からオンライン配信して7ヶ月も空白があったので、一昨日・昨日と長崎の友人に相手になってもらって、リハビリトレーニングをしました。本堂のノートブックPCともう1台液晶画面、音楽録音用のUSBマイク2台、カメラ2台をセットしています。カメラは、ニコン一眼レフと、ソニーのハンディビデオカメラを使いたいのですが、スイッチャーが必要で、今回は間に合いません。買ってすぐは使いこなせないからです。明日17:30から、相模原市のNさんとZOOMの接続テストをして、15日のご法事(本番)を迎えます。

 

ZOOMによる読書会を提案したい。

 

■先日、末吉町専徳寺様に呼ばれた時も提案したのですが、鈴木大拙著『日本的霊性』・『浄土系思想論』、大峯顯著『言葉の不思議』などをいっしょに未読・熟読・音読する読書会を提案したいです。一人で読むよりも、語り合うことで味わいが深まると思います。そのため、ZOOM配信機材をもう一段上げたいのです。来年4月には、光ファイバーがキ城全域に配線されます。アップロード速度があがるので、ユウチューブ配信には欠かせません。2021/05/11 gensho

 

5月5日、しずかな雨です。

 

■昨日、一昨日と二日間、ナタネ油粕を施肥しました。石鑿(長さ20cm・径3cm)を枝垂れ桜の幹周りにコンコンと打ち込み、穴を大きくしながら引き抜きます。そして、その穴に油粕を注ぎ入れます。桜の幹周りには12ヶ所施肥しました。岩ツツジ・アケボノツツジ・ドウダンツツジにも同様に施肥しました。この方法だと肥料が雨で流されず、2ヶ月くらいは効くはずです。門前の花壇の花や金柑の根元にも、パラパラと施肥。沖縄ゴーヤ、ヘチマを植え、プランターにはパセリ・レタスを植えたところだったので、今日の雨はうれしい雨です。

 

■「子どもの日」、「子どもが幸せになる未来を考える日」、「子どもの人生を守る大人の日」ですね。gensho

 

イチゴ植えました。2021/04/30

 

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■プランターに、「章姫・あきひめ」(2株)、「ラブベリー」(5株)植えて、モミガラ燻炭で覆いました。元肥と液肥もあげようと思っています。

 

モミガラ燻炭が完成。2021/04/28

 

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■23日夕方からモミガラ燻炭を焼き始めて丸5日目、鎮火して燻炭ができました。燃えすぎて灰になった所もあり、出来映えは50点かな。原材料費500円では、もう大成功のうち。燻炭の使い道は、菜園や花壇の土にまぜて土壌改良。@燻炭を混ぜると土が固まりにくくフワフワ土壌になります。A燻炭の中が微生物の住処になり、土味が豊かになります。もう一つの使い道は、燻炭によるマルチング。施肥のあとで花壇や植木鉢の土を全面覆うことにより、日光が遮断されて雑草が生えにくくなります。雨水は浸透します。(注:モミガラの灰も肥料として使えます。) コメリに行って90リットルのビニ袋買いました。燻炭と灰と分けて収納します。

 

■5月8日に予定しておりました「花祭り降誕会」は、コロナ感染がキ城圏域でも拡大したため中止になりました。

 

燻炭焼き続報。 バラが咲いた。2021/04/26

 

■モミガラ燻炭焼きは、4日目、58時間が経過しました。もう表面近くまで炭化してきましたので、昼から消化にはいります。

 

■25日(日)13:30〜15:30、ギャラリィー212様で「すっぴん 4月例会」でした。子島ご夫妻・牧元氏・宮脇氏・はる代さん・淳子さん・みほ子さん・玄章の8人。淳子さんはわたしにカボチャポタージュを、みほ子さんは「そのまま食べる甘酒」をえびの市から持ってきてくださいました。お二人は帰路に正定寺によられ、「モミガラ燻炭焼き」の現場をみて楽しんでくださいました。

 

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■書斎の南ベランダのまえに咲いたバラ。蕾のときは、中が純白です。

 

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■花冠が全開すると、花弁が真っ赤に変わります。大輪です。

 

モミガラ燻炭焼き、36時間後の朝2021/04/25

 

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■23日(金)の夕方に点火したモミガラの山、36時間が経ちました。ブスブス、ジワジワと炭化していくのですが、山の表面まで火が上がってきたら、水(シャワー吐口)で奥まで濡れるように消します。水に濡れた燻炭が膜となって熱量を閉じ込めます。そして、まだ燃えていない頂上部分のモミガラを、黒く焦げた所にかぶせます。この作業を何度も繰り返して、36時間が経ちました。ハンズマンにイチゴの苗(5鉢)を買いに行きましたが、外出するときも水をたっぷりシャワーします。炭化するとモミガラの体積が3分の1になるようです。だいぶ山が低くなってきました。以前焼いたときは、今朝くらいの段階で薄くひろげて水まいて消火したのですが、今回はこのまま冷ましていこうと思います。

 

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■昨日は、ジーンズの洗濯でした。作業つづきで、土・砂・木片に汚れていたので、坊守さんに洗わすのは気の毒。自分と洗濯機とエマール(洗剤)で洗いました。まず、ポケットの中のゴミとり。洗濯槽での水洗い。それから洗剤洗いをして、干しましたが、もちょっと湿っているので、今朝、書斎の南のベランダに干しました。写真題「朝日とジーンズ」

 

キ城は感染警戒区域に。花まつり降誕会は中止か?

 

■宮崎県は、新型コロナ感染が県内第4波に入ったとの見解を発表。新たに感染が確認されたのは、美郷町が25人、宮崎市が6人、都城市が2人三股町と延岡市がそれぞれ1人ずつの合わせて35人です。都城市役所でのクラスター関連では、24日の発表で2人増えあわせて16人となっています。このほか、宮崎県は、変異ウイルスへの感染が疑われる患者も新たに7人確認されたと発表し、変異ウイルスの疑い事例は、合わせて41人となりました。都城市と三股町圏域では、区分の指定基準である直近1週間の人口10万人あたりの感染者数15人を下回っているものの、県は、一歩早めの対策として、都城市と三股町を黄色の「感染確認圏域」からオレンジ色の「感染警戒区域」に区分を引き上げました。 

 

■今日は、「4月 すっぴん」です。トップページの下に、年間スケジュールをご案内しました。2021/04/25 gensho

 

門前に花壇完成。モミガラ燻炭も焼いてます。2021/04/23

 

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■2〜3月のがんばりで、門前広場の整備事業が完成しました。駐車場としての機能だけでなく、お参詣の人々、道ゆく人々、学童のやわらぎの花壇でもあってほしい。山からもってきた黒土なので、丁寧にヨモギ・カヤ・草の根を除きました。神柱公園春の植木市(3/20〜4/30)で買ってきた花々を植えました。前列から、ガザニア、ガーベラ、百日草(背丈の低い順)。ガザニアとガーベラは、宿根草で越冬します。百日草は仏前の切り花にもなるようです。3種とも開花期がながく、春から秋まで花が咲きます。石碑は、移転した「山田村道路元標」。コンクリート基礎は、門前掲示板(瓦葺き・総ヒノキ造)の建設予定地。(今度は大工です。)

 

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■山門に向かって右手の広場。ツツジとマーガレット。マーガレットは、矮性の背丈が低い品種。かわいい花が咲いています。

 

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■お隣の田口さんとの境界の植栽。手前から、早生温州ミカン1本、大玉金柑5本、巨峰ブドウ1本。背丈を伸ばさないように育てます。息子は、「ラカンマキの垣根でしょうか?」と言いましたけど、「子どものいる家は、実のなる樹がいいよ」と植えました。この門前植栽は、わが寺で一番日照時間が長く、風通しもいいです。朝一番の日光から夕方5時まで陽が照ります。金柑・ミカン・ブドウは、風通しと日光を好む植物です。垣根にすると剪定作業でまた仕事を増やします。2週間くらいしたら油粕の肥料をほどこします。子ども寺子屋再開の準備でもあるのです。金柑は1.5m置きに植えたので、その間にイチゴはどうかなあ? と思っています。孫たちと収穫したいのです。

 

■あと一ヶ所、写真左奥、門徒庭トイレの下の黒土盛り土。ここにもヨモギが顔を出しています。草取り、整地します。ここには裏山のヤブツバキを3本持ってきたいのですが、2年くらいは山に自生したまま根切り・枝切りして根を張らせます。椿の常緑でコンクリート壁を隠したい。肥後椿やいろんな椿もあるのですが、派手すぎる。長い眼でみれば、ヤブツバキの「当たり前さ」が門前に落ち着きを与えます。

 

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■田舎はいいです。なんでもあります。軽トラックの荷台を空にして、木之川内の段精米所さんに走りました。荷台満載のモミガラ、これで500円。モミガラ運搬用に、写真のように型枠も貸してもらえます。どっさり買って、なんか豊かな気持ちになります。モミガラ燻炭は道の駅で、20リットル数百円で売ってます。商売しようかな?

 

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■モミガラ薫炭の火だねを燃やします。そこら当たりの木や竹を燃やして、煙突をつけたところ。23日の夕方です。

 

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■軽トラックをバックさせて、モミガラを積み上げていきます。中心部の熱で、モミガラの炭化が始まります。軽トラックには、まだ3分の1のモミガラが残っています。(訂正:今朝6:30、運搬用型枠を返さないといけないので、荷下ろしに行ってみたら、まだ3分の2が残っていました。びっくり。モミガラの山の表面が黒く焦げてきた所に、また重ねます。酸素の遮断です。)午前3時、見に行ってきました。じわじわ炭化がすすんでいました。「こんなに一杯モミガラ燻炭つくってなにすんの?」と思うでしょ。花壇を深さ5センチくらいマルチングして日光を遮断し、雑草がでるのをとめようと思ったのです。モミガラを土に混ぜると、炭化層が微生物の住処になり、土壌が改良されます。ヨモギ、ドクダミ、スギナ、カヤは徹底して除きたい。すごい生命力だから、地下茎の数センチの切れ端からでも新芽を出します。まずは小さな内に見落とさずに掘りとって、それでも出てくるときは、葉に25倍希釈の除草剤(ラウンドアップ)を筆で塗ります。菜園に浸食してきたミント(こいつも強力)はこの方法で退治しました。すぐ隣の草は枯れませんでした。今年は、境内の一角ずつ、ヨモギ、ドクダミ、スギナを退治していこうと思っています。もちろん、どれも薬草ですから、一部は残します。

 

■山取りの黒土は、夏まで監視下にあります。何が発芽してくるかわからないからです。
■ああ、よかった。4月に、ひとまずここまでは出来ました。ご苦労さん。                    gensho 2021/04/24早朝

 

無事、4月1日、住職退任。2021/04/19

 

■正定寺第5代住職 尼子玄章は、2021年3月31日をもって住職を退任し、第6代 尼子 鴻志に継職しました。4月13日には、2021年度門徒会総会をひらき、通常議題のまえに、「退任挨拶」と31年間(実質は36年間)のお礼を申しました。

 

■オリンパスのICレコーダーが壊れたので、久しく「音声法話」の収録・アップが止まっていましたが、ソニーの機種に買い換えました。音楽録音もできる上位機種です。また、アップしますので、お楽しみに。裏山の隣の空き地(市の土地)に行ったら、キ城ケーブルテレビの職員さんが、何か測量いています。「何が出来るんですか?」と聞きましたら、光ファイバーの山田基地だそうです。2022年4月から開通するとか。そうなると、ユーチューブへの動画アップも速くなります。

 

■今日から、新しい挑戦はじめました。住職退任で脱力感になっていましたが、少し背筋が伸びました。gensho 2021/04/19

 

山田の春を配達2021/04/10

 

■昨日あさ、裏山のタケノコを掘り、五升炊きの羽釜で炊きました。近くの段精米所さんから60円分米ぬかを買って、柄杓2杯入れ、薪の火力で3時間。今回は、竹の芯の部分の節(ヒラヒラ)は全部切り取ってから炊きました。てっぺんの部分は、節もそのままです。煮終わって、深トレーに取り上げ、水洗い。ジッパー付き冷凍袋に、大体500グラムずつ入れて6個作り、残りは滴水庵の冷凍庫へ。「すっぴん」の会場提供の子島さん、息子さん夫婦、娘さん夫婦、宮脇さん、牧元さん、土屋さんに軽トラックで家庭訪問(配達)しました。昨夜はアチコチの食卓で、山田の春が立ちのぼったことでしょう。

 

■あとは、地鶏ぶつ切りベースの「お煮染め」をつくって、あの人この人、独居高齢者さんに配ろうかなあ、と今朝思いました。もうしばらくは、タケノコ出るんじゃないだろうか。2〜3月にせっかく孟宗竹の伐採で山の整理をしたので、今年のタケノコは整理しながら収穫しています。gensho

 

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■あざやかに咲いたドウダンツツジ(白)とアケボノツツジ(紅)2021/04/08

 

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■枝垂れ桜の支柱工事のため庭石が移動しました。花が咲いているのは奥の庭からの移植です。春は忙しい。

 

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■ 「季節の花 2021春」に、山桜と染井吉野の花の比較を投稿しました。

 

山桜の植え替え2021/03/24

 

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■ 山桜を鉢植えで育てていましたが、一回り大きな鉢に植え替えました。山桜の新芽は、大きく分けて赤芽と緑芽があります。山桜は実生苗ですから、厳密に見比べると一本一本、葉の新芽の色も、花の色・形も違います。葉の新芽が緑芽の樹は、成長すると「白花」が咲きます。白花といっても、純白・黄白・青白・緑白など違いがあります。葉の新芽が赤茶芽の樹は、成長すると白ピンク・濃いピンクなどになることがおおいです。

 

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■ 写真は、山桜の木肌を巻いた茶缶(お茶入れ)ですが、赤芽の山桜の木肌は、つるつるでこんな感じです。今日、3本植え替えました。裏山の古参竹を切って、3本支柱にしました。風で揺れると、根が張れずに枯れるのです。赤芽の山桜です。一夏を鉢で過ごして、根がよくはったら、地植えにします。

 

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■ お箸より細い枝でも、こんなに見事。植木市で幹が直径1cmくらいのものを買ったときは、まだ幼木で、こんな木肌はしていません。年齢を重ねるごとに、樹のうちに潜んでいた個性が現れるのです。花が咲くまでには、あと数年かかるでしょう。一本350円だったので10本買って、値切って300円にしてもらった。目をまん丸にして、葉の赤芽を探しました。今年の植木市ではどのお店も「山桜」の苗は売ってませんでした。4月いっぱいまで植木市ですので、足繁く通うことになります。2021/03/24

 

逆光にかがやく枝垂れ桜  西日を浴びて2021/03/23

 

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■ 3月20日(彼岸お中日)から4月いっぱい、キ城市神柱公園で、毎年恒例の春の植木市が開かれます。昨日はじめて行ってみました。孫のかおる君のお誕生記念樹を探しに。会場を何周もしながら、見ては考えました。ちひろ桜、あおい桜が終わってから咲く、「紅豊」という遅咲き八重の桜にしました。缶コーヒー位の大きい樹もありましたが、低いところから枝が混み合っていて気がすすみません。親指くらいの素直な苗木にしました。今朝、仮にビニール鉢に植えて、家族に近くから花を見せて、花が終わったら定植します。今日は、山桜の赤芽苗を3本掘り起こしました。もう一回り大きなビニール鉢で根をいっぱいださせてから定植します。2021/03/23

 

桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿、と言うけれど2021/03/22

 

■ 枝垂れ桜は、花の時季が過ぎたら、枝の整理をします。大きな枝に上から覆われて日陰になってしまった枝。勢力の強い枝にはさまれて栄養が充分でない枝は自然と衰退し枯れ枝になります。新陳代謝です。枯死する枝を切って、切り口に養生剤を塗布します。切る時は、ノコの刃を熱湯消毒かアルコール消毒しています。大きい枝を切ると、切り口から腐敗したり、雑菌が入って病気枝になるので、なるべく小さい枝の内に整理します。特に若木の時は、上に上に伸ばす枝を残して、脇枝、混み枝を除き樹形を整えていきます。わたしは桜の花も好きですが、清々しい樹形に育てたいのです。山門のちひろ桜はあと数年すれば、もう枝整理も出来ない高さに育ちます。脚立も梯子も届かなくなります。その後は自然にまかせるしかなくなります。それまでに、どの枝にも日光がよく当たるよう、風通しもいいよう、見守っていくのです。
梅は、今年芽吹いた新しい枝に花をつけ、実をならせます。実を収穫する木も、花を観賞する梅も、鉢植えの梅も、枝を切って整理することでいい樹になります。

 

ちひろ桜満開2021/03/21

 

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■ 枝垂れ桜が満開になりました。昨夜の雨でしっとり潤って、いっそう鮮やかです。山門・鐘楼の甍(いらか)の黒と、桜のピンクがよくあいます。この花は長持ちします。来春は、もっと枝垂れの枝を優美に伸ばして咲くことでしょう。花が終わったら、枝の手入れです。枯れ枝をとって姿を整えます。gensho

 

お彼岸花見

 

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■ 山門よこの枝垂れ桜 8分咲きかな? 

 

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■ 五ヶ瀬町浄泉寺様から実生苗をいただいた枝垂れ桜

 

■ 今日は一日、花曇りでした。3月18日〜20日まで、「正定寺春彼岸法要」。午後1時30分始め〜3時まで。お参りの皆様は、お花見も喜んでおられます。2021/03/19 gensho

 

エドヒガン系紅枝垂れ桜 開花

 

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■ 山門横の枝垂れ桜が、3月2日に開花、今日17日はこんな風です。2月に山中造園さんにお願いして、門塀の方向に倒れていた幹をなおしてもらい支柱も建てました。どうぞ、存分に咲いてください。この桜は、福島県三春町の「三春滝桜」(樹齢約千年)の子孫のようです。実生だから立根があります。樹齢も長生きです。2021/03/17 gensho

 

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■ まだ三分咲きでしょうか。支柱と4本のワイヤーにもガードされましたから、台風でも、もう大丈夫です。2月6日から16日まで、まだ樹木が冬眠しているうちに養生工事ができました。安堵しております。

 

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■ 欅風工房の横の山桜です。白花です。薄紅の山桜も咲いてます。山桜は実生ですから、一本一本、花の姿・色・開花の時期がちがいます。早いのは3月初め、遅いのは5月なかばまで咲いてます。山桜は、本当に面白いです。

 

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■ 正定寺の霧島裂罅水(れっかすい)クレソン

 

■正定寺の石庭には、地下85mの岩盤から自噴水が湧き出ています。地下はおおよそ黒土1m、ボラ層4m、シラス層40m、岩盤40mです。岩盤の下に霧島山系の石清水が流れています。石庭の滝口の岩の流れの中に、春になると自然にクレソンが生えてきます。サワカニやカワニナも生きてます。土も泥もない岩の上を流れる自噴水ですから、汚染物質がありません。霧島山のミネラルと太陽光で育ったクレソンです。サラダやおひたしにいかがですか。どんどん生えますから、もらいに来て下さい。ハサミと袋をお忘れなく。
■今日、山田小学校下校中の小2年生3人が「お花を摘んだ」と言って、プレゼントに来ました。「待って、待って」とクレソンを摘んであげました。明日。山田小学校の6年生と担任、計20名が、手縫いの雑巾をもってきます。お礼だそうです。校長先生に会いに行って、「明日、クレソンのお土産を用意しときます」と言いましたら、「子供たちには内緒にしときますね」と笑顔。女性の校長先生です。「山仕事もすみました」と言うと、あの大きな樫の木伐られてしまうのかな?と思ってました」と言われるので、「立派ですもんね。残して子どもたちに見てもらうことにしました」と答えました。「ちょっとずつ整理して、もっといい風景にしますね」と言って帰りました。2021/03/17

 

正定寺第5代住職退任のお知らせ   尼子玄章

 

正定寺第5代住職・尼子玄章は、令和3(2021)年3月31日付けをもって、宗教法人正定寺第5代住職を退任します。4月1日より、第6代住職・尼子鴻志に法灯を継職いたします。本願寺・法務局・宮崎県庁への届け出も完了しました。

 

平成2(1990)年5月16日、正定寺第5代住職に就任して以来、31年がたちました。31年間、私たち住職・坊守をささえ、浄土真宗の教えをともによろこび、寺門の護寺発展にご協力くださいましたご門徒の皆様に、心より御礼申し上げます。先代住職(父)が私に住職を譲ったのは、父68才、私38才の時でした。副住職・尼子鴻志も41才になりましたので、交替にちょうどよい時節が整ったと思い、4年前の春から総代会のご理解をいただき交替の準備をしてきました。退任後は後見人(前住職)としてささえていきます。

 

私の住職就任は、平成2年11月3日・4日、正定寺寺号公称百年記念法要、正定寺本堂・山門・鐘楼大改修工事落成法要、門徒会館新築落成法要とあわせて、住職継職法要をおつとめし、華々しく盛大な祝賀行事の中でのスタートでした。しかし、この度はコロナ禍が大きなブレーキとなり、祝賀行事の見通しが立ちません。第6代住職継職記念法要は、コロナ禍がおちついた頃に、ご門徒の皆様に相談しながら計画していきたいと考えております。

 

住職退任の記念事業

 

住職在任31年の最後に、記念事業として門前の両横の土地を買収させていただいたことは、たいへん有り難いことでした。平成2年当時は、県道に面する車両出入口は、山門正面の間口8mしかありませんでした。これではお寺がもしも火災になった場合の消防車両も1台しかとめられません。31年間ずっとそのことが気がかりでした。県道に面する門前間口がひろく明るくなったことで、駐車場としての機能だけでなく、災害時の町の復興支援活動拠点としても有効です。町の防火水槽(地下湧水)も門前敷地内にあります。

 

そしてお寺の存在感がアップしました。県道3叉路の正面に、山門・本堂・鐘楼・門徒会館が3方向(東・西・南)の通行者から一望できる立地条件のお寺は、県内にほとんどありません。希有です。だからこそ、読経や法話からだけでなく、眼や耳や空気感から届けられる仏教発信のための門前の環境整備もやりがいがあります。できるだけ経費を節約しながら副住職がバックホー(ユンボ)やダンプに乗って、整地作業・環境美化にはげんでおります。仏教が道ゆく通行者の眼に見えているということは、大事なことです。コロナが去ったら、月1度でも門前朝市ができないものか、と考えております。

 

町を元気にするお寺、田舎暮らしがともに喜び合えるお寺、称名念仏が日々の生活にとけるご門徒のお寺、人々が親しく集えるお寺、・・・・になるよう、「正定寺未来図グランドデザイン」は進行中です。

 

浄土真宗の根本聖典『仏説無量寿経』の巻末に、「各各安立 無量衆生 於仏正道」とあります。「すべての人々を、おのおの1人1人そのままに、仏法の中心に安らかに立たせてあげたい」という仏さまの願いです。これが浄土真宗の結論です 
どうしたら大慈悲心の阿弥陀如来の心の真ん中に立つことができるでしょうか。その道は1つしかありません。いつでも、どこでも、どんな喜び苦しみの中でも、「南無阿弥陀仏・なんまんだぶ」を声にとなえるお念仏です。あなたが「なんまんだぶ」ととなえる姿は、阿弥陀さまの永遠のいのちの真ん中に救われている姿です。日々の生活の中で、「なんまんだぶ」とお念仏申しましょう。ともに仏法聴聞のご縁を喜んでいきましょう。私の31年間の変わらぬ願いでありました。合掌 2021/03/01  尼子 玄章                     

 

春到来をつげる白鳥たち

 

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白い鳥が枝に  たくさんとまっている
雨の日もそのままでいる  みじめに羽根を濡らしながら
雨があがって陽が照ると  白い翼は色あせてきた
輝くつやのあるうちに  はばたいて大空に  飛んでゆけばよかったのに
気高く白い木蓮は  もうあせて  急ぎ足で春はゆく  (長谷川きよし)

 

■今日から3月。お裁縫のお話しを紹介します。

 

■ おはようございます。雨模様の朝です。山仕事はお休みします。第一月曜日で、お寺はお休みです。住職在任あと一ヶ月、特別な心境もなく、お念仏申す日々。

 

■ 昨日、メールで長崎のご婦人から、娘さんがミシンで子ども(ご婦人の孫娘あかねちゃん・3才かな?)のリュックやいろんな物をお裁縫されている。「抱っこ紐、抱っこ紐カバー、おむつ入れ、小物入れ、あかねちゃんのリュック、マスク、お財布など」。「今はあかねの着物をミシンで縫おうとしています。昨日、今日と布選びの最終決定につきあいました。昨夜は型紙作りで一人で夜中3時まで起きていたようです。今夜も多分。」(メールの一部を紹介しました。)
 次は、二人で和服の生地を選んで、娘さん(あかねちゃん)の和服を縫われるのだとか、・・・・・・ 聞かせていただいて、とてもうれしいわたしです。子供が生まれたら一才未満児でも保育園にあずけるのが普通な時代です。仕事も大事でしょうけれど、親や家族と過ごす時間よりも、保育園での時間が長い。他人との時間が長い。この30年間は、日本人の歴史でも、今までになかったことです。核家族でおじいちゃんやおばあちゃんとの会話もない。栄松幼稚園の園長を16年間やってきましたが、おじいちゃん・おばあちゃんと同居している園児は、どこか違うのです。語る言葉や態度にどこかゆとり・ひろがりが感じられました。これからの子供はどんな人間になっていくのでしょうか。心配になります。それに、親が仕事で疲れ切って、子供の相手をする余裕がない。子供虐待のニュースばかりが聞こえてきて、悲しい昨今です。まして、和服を夜なべして縫ってあげるなんて、聞いたことがない。こんなお話しを聞くと、ほっとっします。つらいことや、ままならないこともあるでしょうけれど、人生の長い長い眼で見たら、なんと有り難い、時間が流れているなあと、このご家庭の縁側には春のお日様が射しています。3人の息づかいと体温を感じます。この陽だまりを拝みます。なんまんだぶ、なんまんだぶ。2021/03/01 gensho

 

■2月26日 雨です。竹切りもお休み

 

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■境内にも何本か、裏山にもたくさん実生のヤブツバキが自生しています。門前に移植したいと思っています。実生のヤブツバキや山桜は、よおーく見ると花の大きさ、花弁の開き方、色合いが違います。山で特にちっちゃな清楚な花のヤブツバキも見つけました。一本ずつ遺伝子が違うのです。裏山作業で、これを見るのが楽しみです。椿の好きな方は、肥後椿や様々な花を変遷しますが、最後はやっぱりヤブツバキに落ち着きます。春先に幹から30cm位のところで根を切り回しておいて埋めもどし、一夏かけて毛細根を出させてから、晩秋に移植するのが安全です。

 

■1月は日本画の練習って言っていたのに、2月になって山仕事、孟宗竹伐採など始まって、なんだろうこの人(住職)と思っている人もおられるでしょうね。ことの始まりは、
■@ 山門の横の枝垂れ桜(ちひろ桜)の幹が門塀側(南東)に傾いて、門塀の瓦に乗っかってしまったこと。桜開花、葉桜の季節のまえになんとかしなければ、門塀が破壊されそうだし、台風で桜も倒壊するかもしれない瀬戸際が2月でした。幸い山中造園さんが2月9日着工、2月17日までで桜の養生工事をしてくださいました。よかった。間に合った。
■A 山門前のブロック塀の解体撤去、駐車場一体化整地作業を2〜3月で行いたかったこと。太陽建機さんからバックホーを月極(2ヶ月)でレンタルしていますが、農家の総代さんから2トンダンプを借りるには、重機が空いている農閑期の2月〜3月中旬までがよかったのです。撤去処分は無事完了。
■B その門前整地作業の際、植栽も可能にする部分には、山の黒土を入れておきたい。黒土はお寺所有の裏山から持ってきたかったのです。シラスや採石や黒土を業者から買う方法もあるのですが、裏山の片づけもかねてやっています。コロナ禍が去ったら、「子ども寺子屋」を再開して、山での薪拾い、お庭でのカレーづくりもしたいのです。タブと樫の大木があります。子供たちにも見せたいのです。
■C だから竹や雑木を伐採して、ここの黒土を採取することにしました。・・・・・・・・・・ というような事と事との関連のつながりで、こうなってしまったのです。お天気がなおったら来週から黒土運搬がはじまります。竹炭は、そのおまけの発想です。伐採した竹や木は、市のクリーンセンター(焼却場)に持っていけば、有料(50kg=250円)ですが、何か活用法がないかなと思って。お天気がつづけば、レンタルバックホーも10日間くらいはやく返せるかもしれません。ともかく、2〜3月が樹木植え替えの一番いい時季でもあります。時間がしずかに流れています。
■D コロナ禍の県内緊急事態宣言下で、お寺の法座・会議・行事もとどこおっていたなか、無為にすごすのは時間がもったいない。事業項目を列挙して、一個ずつ片づけております。2月1日から業者発注をふくめ4項目が完了、2項目が進行中です。3月末まで、もうちょっとのがんばりです。3月3日に今年になって初めての総代会、6日に年度末役員会をします。少しずつ平常にもどってほしいです。蓮の日本画は、京都花蓮研究会刊行の図鑑など見て学んでいます。

 

■お陰様で、わたしも息子もケガもなく2月を過ごしております。今日のこの雨、栃木県足利市、群馬県桐生市の山火事現場で降ってくれればいいのに。消防隊さん、自衛隊さん、がんばれ。

 

■マキタ レシプロソーJR184DZ

 

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■写真右、マキタのリチウム電池18V電動ノコギリです。ゼットソーというメーカーの竹切り専用刃で使っています。替刃を木工用、金属用、塩ビ管用、解体用などにつけ替えることも出来ます。18ボルト電池2個はインパクトドライバー用3Ah2個を持っていたので、ノコ本体だけ買い足しました。JR184が18ボルト機種では一番軽量で片手で使えます。わたしは、竹を地面近くにおいて、電池側を地面に着地して切ります。本体1.7Kgを持ち続けるのは疲れるので、この方が楽です。もう250回位竹を切りましたが、まだ刃は切れています。山での孟宗竹伐採には、チェーンソーを使いましたが、2メートル位の竹をチェーンソーで切ろうとすると、チェーンソーの回転力で竹が回り始めたり、刃が滑ったりで危険でした。節をのぞいて切った竹は、写真のナタとゴムハンマーで割っています。鉈刃を竹においてポンとハンマーで叩くと、一回で割れます。ポンポコ割れるので、沈黙の作業です。。作業小屋「有楽庵」の中ですから、雨にも濡れません。一日の量を決めて、少しずつ気長にやろうかなと思っています。山門の石塀に使われていた、自然石きり石を再利用して、炭焼き窯にできないか(窯の天井部分は縦に割ったドラム缶で)、なにやかやと雑念しております。今日は曇天で肌寒し。

 

■2月23〜24日  孟宗竹&雑木の運搬

 

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■裏山の作業現場(平地)は市の所有地。山から伐りだした竹・木を置かせてもらっています。もともと何も使っていない土地なんですが、あまり長く置くのはいけないと思い、小刻みですがお寺(幼稚園跡地)に持ち帰っています。孟宗竹の運搬は終わりました。

 

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■MAKITAのレシプロソーも届いたので、竹節の両端で切って、ナタで6分割に割って板状にしています。長さをそろえて束ねて立てて、2〜3ヶ月は、このまま乾燥放置。竹炭にしたらどうかな? と思ったのです。炭焼きは5月頃かな? ドラム缶で炭焼き窯つくって、なるべく密に詰め込むには、節は邪魔です。節がないと割りやすく、節をけずる手間もはぶけます。どこかの道の駅で、板状竹炭うってました。竹炭は、浄水・消臭など色々使い道があるようです。
■レシプロソーの使い道もだんだん覚えました。いちばん楽に、ノコ刃にも無理をさせない方法は、腕もつかれません。
■原稿書いたり、本読んだり、漬け物つけたり、木を伐ったり、・・・・・・・・ まとまりのない、気ままな日暮らしですが、本人は身体の流れていくままにまかせております。夜、ちょっと焼酎飲むとバッタンキューで、熟睡です。
■昨日、アマゾンから届いた鈴木大拙の『浄土系思想論』(岩波文庫)と『日本的霊性』(角川ソフィア文庫)を、息子にプレゼントしました。3月から「すっぴん」を再開しますが、ここに来られる若い僧侶の方々にも読んでほしいです。宗派教学、娑婆と浄土、凡夫と仏の2元論教学で、浄土真宗は現代人を救えるでしょうか。学者さんや勧学さんの問題ではなく、「われ一人の全体的究極的な救い」の問題です。ご門徒に法話する材料を読書するという学びではダメですね。「使える 使えない」という法話のネタ探しではなく、自己の仏法のバックヤードをどん欲にどこまでも拡げていく挑戦者であってほしいです。2021/02/24 gensho

 

■2月22日  土・日の山仕事でくたびれたあ!

 

■わたしが孟宗竹と雑木の伐採をしている現場は、お寺の南西側の裏山です。孟宗竹のほかにイチイ樫・椎・タブ・やぶ椿・野生のサザンカなどが自生しています。この裏山の(お寺とは)反対側はキ城市の所有地(旧山田小学校教職員住宅跡)です。この住宅跡に隣接して、山田小学校があります。作業現場から60mで教室ですから、チェーンソーのエンジン音が響きます。だから土・日はおもにチェーンソーでの作業を行い、平日は斧での刻みや運搬をしています。昨日は、門徒会長の利明さんも手伝ってくれたので、はかどりました。でも、夕方はさすがに疲れて、手指が硬直してつりました。明日には新規購入したマキタの電池式レシプロソーJR184DZが届きます。小枝はこの方が伐りやすいです。

 

■『自己とは何か』 名古屋で分身が生きていた

 

■2月17日今朝、名古屋市の高木さんという男性からお電話をいただきました。高木さんは、愛知県碧南市浜寺町の清澤満之記念館(西方寺内)で定期的に開かれている法話会に参加されておられるそうです。友人から尼子玄章著『自己とは何か〜清澤満之の言葉より』(2012年出版)をすすめられ読まれたとのこと。コロナ禍で記念館の定例法座もお休みのなか、年末から自宅にこもって読まれたそうです。「自分も80才も過ぎたので、家族や有縁の者にもすすめたいから、10冊送ってほしい」と言ってくださいました。清澤満之記念館に集われる法友の間で、わたしの分身(著書)が生きていたなんて、うれしいです。さっそく、今日、ゆうちょレターパックでお送りしました。ついでに『尼子玄章法話集 CD』も1枚謹呈いたしました。高木さんは京都の六角会館で、一度だけ大峯顯先生の講話を聞かれ、「もっと早く大峯先生に会っておけばよかった」とおっしゃいました。

 

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■今日は、庭師さん2人、クレーン屋さん2人が来られて、ちひろ桜の前の8トンの大石を移動、据え付けました。ちひろ桜の倒れも直され、支柱でささえられました。今日で山中造園さんの仕事も山場を越えました。ご苦労様でした。

 

■人間の心は三階建ての家  感性・知性・霊性

 

鈴木大拙は、仏法を語るうえで、人間の心のはたらきを三層構造で言っております。わたしは、現代人を仏法(本物の宗教はどれでも)に導くには、この視点はとても的確だと思っています。昨日・今日10時のお参りたくさんでしたが、試みに法話で語ってみました。三層構造とは、「感性・知性・霊性」のはたらきです。これは互いに連関し、おぎないあい、活動しています。

 

自己の深遠  仏教を知ろうとするならば、仏さま(対象)を詮索して知るよりも、お浄土があるかないか向こうを調べるよりも、まず真っ先に自分の心が自分でも知らないくらい深い、不思議なものであることに気づかねばなりません。仏教という知識体系(対象・仏教書)を読んだり、聞いたり、覚えたりするよりも、自分の不思議に気づくことです。自分の心(頭)でも知れない、届かない、どこまでも深い自己があります。われらの心は、宇宙誕生以前、生命誕生以前、如来と衆生、生と死、迷いと悟りが分かれる前の一如の世界、無限深層の記憶世界と生まれながらにつながっているのです。そうでなければ、無常を感じることも、死を恐れる感情も生まれようがありません。久遠の昔の法蔵菩薩の因位の世界も、われらの今ここの限りない深みであり、時間も空間もありとあらゆる区別・隔ても超えた深淵世界からの声が、不思議にもわが心に届くのです。その自己のことを煩悩といい、生死といい、無常といい、罪業といい、迷いといい、空しいといい、有為転変といい、表層の言語表現をもって表現しようとしますが、そこには無意識底に清浄・永遠・解脱・解放・絶対の愛が暗示されていなければなりません。永遠への欣求がない感情からは、「無常感」は生まれようがないのです。無条件の絶対愛が無意識底にないところでは、罪業深重の自覚など現れようがないのです。われらは自己葛藤の自己であります。なにもかも矛盾のうえに築かれた絶対矛盾の自己であります。人生を生きるとは、この矛盾智を旅すること、自己を旅することに他ならないのです。

 

1) 感性  ここでは、ひとつの譬えとして、わたし(自分)の心は、3階建ての家だと思ってください。一番上の三階の部屋は感性です。心の一番外側です。この部屋には五つの窓があります。五感です。眼で見て感じ、耳で聞いて感じ、鼻で匂って感じ、舌で味わって感じ、肌で触って感じます。私たちが春の訪れを知るのも、この五感のはたらきです。せっかくの人生ですから、感性も豊かなほうがいいに決まっています。季節を感じ、自然を愛し、あらゆる美しさに出会えることは幸せなことです。しかし、感覚は一瞬一瞬過ぎ去って、とどまることはありません。昨日食べたお肉の味は、もうこの口にはありません。去年の菜の花の香りも、もうこの嗅覚にはありません。すべては流れ過ぎていきます。感性(感覚)の世界だけで人生に落ち着きや安心を得ることは出来ません。美醜・好き嫌い・快不快、たえず変化し続けています。

 

2) 知性 2階の部屋は知性です。わたし(主体)がもの(客体=対象)を知り、覚え、分析し、判断するはたらきです。科学・医学・福祉・政治・経済・社会生活・道徳も、この知性で行われています。仏教ではこの知性のことを「分別智=分別」といいます。知る者(主体)と知られる物(客体=対象)、見る者と見られる物、の関係です。そして、見られる物(それは自分自身が対象であるときもある)は、かならず「分けられる」=「区別される」=「差別される」ものであります。「生と死」、「善と悪」、「原因と結果」、「目的と手段」、「価値と無価値」、「有用性と無用性」、「成功と失敗」、「有・無」、「大・小」、「長・短」、「多・少」、「前・後」、「軽・重」、「優・劣」・・・・・・・・ われらの頭脳空間は、これらの差別構造で構成されています。分別智は、対象智です。すべての事象を自己の外に置いて、対象として認識するのが知性だからです。

 

われら現代人の人間性に貼り付いているありとあらゆる「付属物・属性」、それは学歴・功績・地位・名誉・財産・性別・年齢・健康・家族・友人等々も、差別・区別構造のうえにあります。また、知性のはたらきは、見られる物(それは自分自身が対象であるときもある)を「かぞえ、はかり、くらべ」、数字や値段や記号に置き換えます。そこに、安心や満足や自己充足を見出そうとするのですが、われらの心から「不安・空虚・孤独・渇望・不満足」の影が晴れることはありません。楽しみの元は、苦しみの元と表裏だからです。われらの人生は、いつ崩れるかわからない薄氷の上を歩いているのです。

 

このように、知性のはたらきは、まず見る者(主体=自己)があって、見られる物(客体=対象)を知るはたらきですから、当然、見る者(主体=自己)も見られる物(客体=対象)も、相対的・有限的であるものが対象になります。相対的ということは、「生と死」、「善と悪」、「原因と結果」、「目的と手段」、「価値と無価値」、「有用性と無用性」、「成功と失敗」、「有・無」、「大・小」、「長・短」、「多・少」、「前・後」、「軽・重」、「優・劣」・・・・・・・・のように、「かぞえ、はかり、くらべ」られるという対象です。これらの対象はすべてこの世の物ですから、現世的・有限的であり、人生の場面場面における「その場しのぎ」であらざるを得ないのです。

 

そして、知性のはたらきの特徴は、時間と空間を前提にしなければ、まったく成り立ちません。アインシュタインの相対性理論も、宇宙物理学もそうです。医学も、人間の肉体を物質的検査対象として、CTやMRIや血液検査やレントゲンで検査しています。科学という知性も、科学の生命観も、この世は時間と空間の中にあるという大前提の中で営まれています。

 

この知性が、集団社会を形づくるときに、人や物、自分と他者を、人間が作りだした様々な基準で分別し、管理することが行われます。学校、会社、社会、宗教団体、人間が集まるところはすべて管理社会です。この管理社会が都市化すればするほど、集団が大きくなればなるほど、人間に生まれながら備わっていた大地性が喪われていきます。大地性とは無限の生命との一体感です。宇宙全体とたった独りの自己が、無心に向き合い、抱かれるという自然体験が感じられなくなります。管理社会がすすめばすすむほど、人間の心は枯渇します。自分が自分である理由がわからなくなるのです。いつも、人と自分を比べ、いつも人からの評価を受け、いつも人から見られている自己は、「自分のままで穏やかでおれる、自己大肯定の場所」を、この社会の中でどこにも見つけることができません。
この「感性と知性」が産みだした人間社会総体が、「俗世間=娑婆世界=苦海」なのです。知性は、われらが人生を生き、社会生活を営むうえで必要なことですが、ここには「お前のままでよい」という大安心の場所はどこにもありません。

 

■ また、知性で仏教を受けとろうとする限り、この頭はどこまでも煩悶憂苦を繰り返すことになります。相対的有限的智恵(それは分別智・対象智・科学智・計算智・物質智なのですが)、「まず時間あり」、「まず空間あり」、「まずこの肉体の生命あり」、「まず我という心(=我執)あり」を大前提にして、絶対・無限の根本の「一・いち」をつかまえ、計ろうとしても、まったく見当ちがいになるよりほかありません。サカズキで大海を汲んで計ろうとするようなものです。この分別知性で仏教の教相を語ろうとすれば、阿弥陀仏は、説明だらけの観念の産物に成るよりほかなく、浄土は死後の西方十万億仏土の彼方に仰ぎ見て、想像するしかありません。この考え方そのものが「分別・知性」の産物(妄想)であり、「俗世間=娑婆世界=苦海」の構造そのものを引きずっているのだから、脱出不可能の迷路を回ることになるのです。

 

■ 人間が宗教心を求めるようになるのは、「無常感」や「罪悪感」からだと仏教学者は言いますが、そればかりではありません。人間が感性と知性の満足のために作り上げた世界は、価値と能率と快適と便利を追求する延長線上に、「幸福」とか「満足」とか「安心」とか「自己実現・自己充足」を見出そうとするのですが、どこまで行っても我欲の世界です。足元は「欲」というコンクリートで固められていて、草も生えず、水もしみず、この下から聞こえて来る永遠の声は閉ざされ塞がれています。自己の全存在が、プラスティックコーティングされて、窒息しかかっているのです。ああ、自分はなんと乾いた、不確かな、荒涼たるコンクリの上を歩いて来たなと、悪寒に襲われ、存在の足元に亀裂が走ること、「存在の亀裂」、これが起こらねばわれらの眼は覚めないのです。「存在の亀裂」が起こらなかった人生は、生まれて、眠ったまま墓場に行くのです。

 

3) 霊性 しかし人間の心には、誰にでも今のまま、生まれながらに「第3の部屋」があります。「霊性」です。今日、わたしがお参りされた皆様に、「わたしと一緒に、お手元の正信念仏偈を声をだしておつとめしましょう。おつとめが始まりましたら、どなたからでもお一人ずつお焼香をして、南無阿弥陀仏と声にお念仏してお参りしましょう」と申しましたら、皆さんそうされましたね。その時、「損か得か」、「そんなことして何になるか」、「お金でももらえるのか」と思われた方はおられないでしょう。損もない得もない、価値も無価値もない、仏さまとの取引そろばんもない、計算も「かぞえ、はかり、くらべ」もない、まったく静かな心でスーッと拝まれた、そのあなたのその心です。ほんの一瞬だけれど、あなたの心の一番底から仏心が出られたのです。「あなたが仏さまを拝み、あなたが仏さまから拝まれている」、この上ない純粋感情が現れたのです。なんにも着飾らない「すっぴんのあなたの心」です。そこには「生と死」という区切りの壁さえありません。何十年も前に亡くなられたお母さんのお姿を想い、昨日のことのように鮮やかに懐かしく「なんまんだぶ、なんまんだぶ」とお念仏されたあなたの心は、時間も空間も超えて、生も死も超えて、楽々と手を合わせてお母さんに会われたのです。何と尊い、何と不思議な心ではないでしょうか。それは、あなたの頭脳が作り上げた工作物(分別心)ではなく、仏(阿弥陀)さまからいただいた、純粋宗教感情です。あなたの口から永遠の命の親・南無阿弥陀仏が声となられて、「よかった。よかった。あなたもお念仏がでる年をとられましたか。よい年のとり方をされましたねえ」と、あなたの心で無限の父母が、阿弥陀さまがお念仏を聞いて喜んでおられる。たった一声のお念仏で、生死の壁も、十万億仏土のへだても、一瞬で超えてしまう「極速の一念」、これが称名念仏です。一声のお念仏に阿弥陀仏の本願がこもり、本願が円満成就しています。称名念仏の今、ここに、わたしのままがゆるされ、認められ、大肯定されている本願救済の場所があります。あらゆる罪業、差別、因果、生死、苦悩もそのままに、われを縛る牢獄も縄もない独立自在人は、絶対矛盾を大地として、そのままに悠然と立つのです。天上天下唯我独尊、「I am good」、この心を霊性といい、超ともいうのです。仏の正道に各各安立するのです。これを安心立命と申します。

 

■ われら人間は、心の知性の床(底盤)を突き破って、無限に深く広い、如来から賜りたる心(霊性)に出会わねば、人間存在の本望を遂げることはできません。それは唯念仏申す、このこと一つに尽きます。お念仏は目的でも手段でもありません。原因でも結果でもありません。南無阿弥陀仏が、南無阿弥陀仏と申して、南無阿弥陀仏がそうそうと聞いている、不思議のままが円満成就している、我と仏は「不一不二」。ここから先は説明も理解も捨てればよろしい。念仏申さるべし。わが身、わが人生を貫通して、いつでも、どこでもお念仏申す生活をしてみるのです。われというどうしようもない存在現場を、日々あるがままにお念仏の鍬が耕すのです。なんまんだぶ、なんまんだぶ。今日の10時のお参りは2組、この法話をもっともっと砕いて語らせていただきました。何人もの方が喜ばれて、「今日はありがとうございました」と口々に言って下さいました。「極楽は、自分の心の底から聞こえて来る」と聞かれたのだから、これほどいいお寺参りのお土産はありませんね。  2021/02/15 gensho 今日は坊守の誕生日&釈迦の涅槃会

 

■追伸:今日2月15日は、庭では山中造園の庭師の親子さんがご苦労の末に、ちひろ桜を起こしてくださいました。「門前に貼り出した枝が重すぎてチェーンブロックでは引っ張り切れない、枝を何本か切るしかないかも知れない」と言われ、わが子が伐られるようで心を痛めておりましたが、無事、直立できました。「ああー、よかった」。時々現場を覗きながらの原稿執筆でした。 

 

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■13日、今日は小雨。庭では梅干しに漬ける南高梅が開花しています。今年は蕾がいっぱいです。11〜12日と裏山で伐採した孟宗竹と樹木の整理をしています。樹木は薪に、孟宗竹は竹炭にと思っています。節を削る手間を省き、竹節部分は炭にせず、平板炭にしようと思っています。午前と午後の1時間の作業。チェーンソーの振動で手肩が疲れるので、無理なくやってます。小枝や葉は、門前作業のダンプが空いたら、焼却処分場(クリーンセンター)に運びます。午前中、小雨だったので、下記の原稿書いてたら、長くなってしまった。『浄土系思想論』で大拙師は、何カ所も、本家の真宗教学者や教団人がみずから固定化し、みずからの足を泥縄的に縛ってしまった「教学」または「教学の方法論」を指摘しています。同感です。教学だけでなく、教団そのものも、ますますセクト化、宗派化して浄土真宗を小さなお城にしてしまった。南無阿弥陀仏はそんな小さなものではない。「なんまんだぶつ」の声のある処、いつでも・どこでも・だれでも、大宇宙の中心です。生もない、死もない、永遠の真ん中に満ちてあふれず、在る、有る、ある。

 

鈴木大拙の映像&音声  鎌倉 松ヶ丘文庫より

 

鈴木大拙著、『浄土系思想論』(昭和17年 72才)、『日本的霊性』(昭和19年 74才) を1月からほぼ毎日味読しております。何度目の再読でしょうか。いま68才のわたしは、これからも毎年、この2冊を熟読玩味することでしょう。大拙師と同じ74才の春に読めば、どんな念仏風光が見晴らせることでしょう。有り難いことです。大拙師は、真宗教学者の目線からではなく、「宗教経験の事実」に重きをおいて、「南無阿弥陀仏=称名念仏=聞名=往生=浄土=阿弥陀」が、「凡夫と仏」、「娑婆と浄土」が「二であって一」、「一であって二」という浄土教理解を繰り返しのべています。・・・・・・ おそらく、ではありますが、本願寺教学にしても大谷派教学にしても、宗派教学からは妙好人(ふっきれた独立自在人)はでないと思います。宗派教学は、親鸞聖人の身を通して起こった宗教経験を、後付けに概念化したものであって、どこまでいっても「説明」という範疇を超えられません。「説明」は物事を、時間にしても前後、空間にしても娑婆(此土)と浄土(彼土)、人格的には主体(わたし)と客体(阿弥陀)、またはその主客の逆であっても、対象的二元的に分けて分別せねば成り立ちません。変なたとえですけれど、「スルメ」と「味つきサキイカ」をどれだけ合体させても、「活きたイカ」にはなりません。けれども、教学者も本願寺布教使も、この「後付けの説明」をしたら、伝道教化ができると勘違いして、全く方法論に反省がありません。ほぼ無自覚なのです。その人自身の求法の始まりが、自己の全身を挙げた宗教的救済への欣求からではなく、親鸞教学の「後付けの構造的理解=教義」を習得し、門徒になめらかに説明できるようになりたい、という第一歩からだったからかも知れません。「本願他力」、「悪人正機」、「往生浄土」を板書して説明しても、それは法話ではありません。聞法者にスルメを食べさせても、「活きたイカ」(比喩)には成りません。最初から真宗教団という池の中にいた魚と、大拙師では、浄土教を見晴らす立脚地がまったく違うのです。しかも大拙師は、浄土教はインド仏教でも中国仏教でも完成せず、日本の鎌倉時代の法然上人と親鸞聖人の人格をへて、完成の極致に到達したと絶賛しているのです。

 

■仏法に遇うということは、直接、無媒介に、仏法がその人の全人生を貫通することです。比喩的に言えば、その人の五臓六腑を貫通する。その人の歩んできた喜怒哀楽の全境涯が大肯定され照らされるという、宗教経験の事実がその人の人格の最深部から発露することです。時間も空間も超えて、無媒介、無対象に「南無阿弥陀仏がその人に成る」ことです。宗教経験は、一人ひとりの個己(わたし)を場所として成り立つのです。この独りひとり違う、成り代われぬ個己のことを「生死」ともいい、「宿業」・「罪悪」・「煩悩」・「不安」ともいうのですが、一個一個の言葉を覚え振り回しても、混乱するばかりです。ともかく「われ宇宙にたった独りの自覚」のことです。そのわたしを場所として、南無阿弥陀仏が南無阿弥陀仏に成る。南無阿弥陀仏がとなえて、南無阿弥陀仏が聞く、ここには時間の移動も、空間の移動もありません。極速の一念です。称名念仏です。これをお渡しすることを法話というのです。時処諸縁を嫌わない称名念仏ひとつをお渡して、「あなたの全人生、全人格をくぐらせなさい。我がものにしなさい」とわが身を通すことをおすすめするのです。わが人生において、わが身を貫通した念仏が「味に成る」ことです。

 

■おそらくですが、宗派教学としての浄土真宗は衰退していくでしょう。その現象は、少子高齢化とか時代や社会が変化していくことから起こるのではありません。少子高齢化も人口減少もコロナも、それは社会環境の問題です。根本原因ではありません。根本原因は、本山教学者・布教使がみずから選び、その道をよしとして歴史的伝統的に固め挙げてきた来た立脚地それ自身にあります。わたしは、その体臭を20代の頃から感じていました。「説明信仰=スルメ信仰=観念の偶像崇拝」、「言葉の管理社会=僧侶の集団依存体質=自分自身の直球の言葉の不在」、「大衆蔑視=形を変えた大衆迎合=○○運動」、「教団の運営方針やスローガンの伝達を布教伝道と思っている共同幻想」です。自己の最深部をえぐらない借り物の言葉が、人に伝わるはずがありません。人間が欲しいのは、そんなものではありません。時代がどのように変わろうとも、科学・医療・福祉・環境がどのように発展しようとも、人間が欲しいのは、本当の自分自身です。社会や団体の管理の網を突破して、天地の真ん中で、本当の自分自身に、「I am good」と言いたい。「天上天下唯我独尊」です。そのことが成り立つには、自己がそのまま、如来の絶対無限のまったく無条件の大慈悲によって包容され、認められているという宗教体験的事実があらねばなりません。本当の自己は、如来の大慈悲心を場所として、大安心を得ます。如来は、独りひとりの具体の「自己」を包摂し、各各安立に立たしめる大地(如来)以外に、活動の場所はありません。相即相入、不一不二の場所的自覚(すなわち霊性)です。

 

■宗教的救済の本質は、「その人がその人全体を引き受け」、「その人がその人の今を全肯定し」、「その人のままに南無阿弥陀仏に成る」という経験の事実です。その宗教経験の最深部には、宗派的管理も評価も、門主も学者も住職も及びません。介在者は一人もおりません。ただ一面の南無阿弥陀仏です。なぜ、「永遠の大生命」は他の何物にも成らず、名号(言葉・念仏・その人の声)に成られたのか、「ああ我一人を救いとげるためであった」、「わたしを、わたしという牢獄から、瞬時に解放する、最速・最善の道は、阿弥陀みずからが声となってわたしに成る」という正覚であったのですね。

 

鈴木大拙著、『浄土系思想論』(昭和17年 72才)、『日本的霊性』(昭和19年 74才) は文庫本でも購入できます。仏教の森に入ったのはよかったけれど、何が幹で、何が枝か、霧霞に巻かれて見通せない、もやもやしている人におすすめです。仏法に入信してゴールインではなく、仏法の森に迷い疲れて絶望して、仏法に遇うのです。法然30年、親鸞20年は仏法の森の暗夜の苦闘でした。50才でも、60才になっても、仏法の森の中の迷いを誤魔化さず、問い続け苦しみ抜いた人こそ本物です。真の仏法は人間60才あたりから始まるといってもいいのではないでしょうか。なんまんだぶ、なんまんだぶ。2021/02/13 gensho

 

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■2月9日から山中造園さんが来てくれて、庭石の移転、門塀に倒れかかった枝垂れ桜の引き起し工事が始まりました。この桜は、福島県の三春滝桜の子孫のようです(筆者推定 樹種 エドヒガン系ベニシダレザクラ)。一人娘ちひろが山田中学校入学の春に、神柱公園植木市で山中造園さんから買って記念植樹したものです。購入の時にビール瓶位の幹回りでしたが、年々成長して、町ゆく人々が立ち止まるほどの見事な桜になりました。わたしは、「ちひろ桜」と呼んでおります。幹直径40cm、樹齢推定50年でしょうか。枝の重みで門塀(南東)側に倒れ、門塀の瓦にあたるところまできましたので、タイムリミットの2月中に工事をすることに決しました。そのためには、10トンの大石も移転しなければならず、2月10日(昨日)クレーン車がきました。写真は、クレーンがきたついでに、境界を超えて隣接地に伸びてしまった樹木の枝を伐採してもらっているところです。

 

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■門前駐車場を区切っていた石塀を解体撤去、産業廃棄物として持ち出し完了(2月9日)した風景です。副住職がよく働きました。2月1日に、バックホーを建設機械リース会社から借りて着工し、10日間でここまできました。見事なもんです。今後は、埋め立てて、左の門前と同じ高さにします。植栽部分ももうけ、わたしが山仕事している裏山から黒土をダンプで運びます。今はその準備の伐採(山仕事)です。

 

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■ちょうど機を同じくして、山門隣の旧田口商店(薬品・衣料)の解体が始まりました。この更地に、同じ班の段さんの家が移転(新築)します。寺橋の河川拡大工事による移転です。うしろには、お寺のクレーンが見えています。
■こんな時は、自分一人の山仕事はできません。現場に付き添って監督しています。門前の現場も、「ちひろ桜」の現場も無事すすんでいます。工事価格見積もりも、工事工程も打合せができましたので、あとは「おまかせ」できそうです。孫娘あおい(5才)誕生を記念して植樹した枝垂れ桜「あおい桜」にも、この際支柱をつけてもらいます。孫長男かおる(1才)の記念植樹もこの春には考えねば、そうだった。そうだった。
■孟宗竹を伐っていると、「このあとどうしようか?」と考えます。ただ焼き捨てるにも、野焼きは世間の目が厳しいです。荒川石油スタンドに行って店長さんに相談して、石油ドラム缶2個を入手できないか相談しました。これを加工して炭焼き窯を作り、竹炭にしょうと思ったのです。できれば販路も開拓する。さっそく10日朝、ドラム缶2個がやってきました。「無償!! ありがとうございます!」。わたしの頭と身体が追いつけないくらい、現実は速い。でも無理せず、一つずつ一歩ずつすすみます。2021/02/11 gensho

 

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■「おじいちゃんと花と音楽」 画用紙・水彩 あおい(5才)

 

■土・日と山門前の門塀解体・撤去工事はつづいています。ブロックと自然石材を割って離して、自然石は残して再利用します。門塀の頭に乗っていた瓦は、志和池の最終処分場に運びました。石材と切り離したブロックは、産業廃棄物で出します。土・日、わたしはの山仕事は休憩しました。
■孫娘あおい(5才)が、「おじいちゃん、お絵描きするって言ってのに、忘れたの?」と遊びたそうです。山仕事やチェーンソーのメンテナンスでしばらく相手してなかったのです。土曜の午後、お絵描きしました。真ん中の顔は、いがぐり頭のおじいちゃん。あおいは、おじいちゃんの頭をうっとりとなでるのが好きです。とくにバリカンで0.8mmに切りそろえた髪をなでるのがいいみたい。大きい顔のおじいちゃん、その右の小さい顔のおじいちゃん。お顔の右隣は向日葵とチューリップ。左隣は音楽です。花と音楽好きのおじいちゃんを描きました。 おじいちゃんの頭は音楽であふれているみたい。日曜日の午後に、色を塗り足して、これで完成という。1月21日の絵よりも色使いが強く明るくなってきました。
■わたしの絵筆も使ってみたいようです。「筆は穂先がイノチなんだよ」と使い終わった筆の水洗い、穂先を整えてしまうことを教えています。「イノチ」という言葉の使いどころも、いずれ習得することでしょう。
■今日、白菜漬け物にニンニクと刻み唐辛子を入れて、「キムチ」の漬け込み。キャベツの漬け物、高菜の漬け物の漬け直しもしました。2021/02/07 gensho

 

■昨日のつづきで、チェーンソーのエンジン燃焼のための吸気口を掃除します。どうも、ここが粉塵や油膜で通気が悪いみたいです。一発でエンジンがスタートする時と、なかなか始動しない時があります。プラグの汚れか、吸気フィルターの問題だと思います。■やっぱりエアフィルター汚れてました。3台とも掃除しました。

 

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■メンテナンスの終わった3台。エアフィルター、点火プラグの清掃、内部の木粉(油ではりついていた)などの除去。ガイドバーのレール洗い、チェーンのオイル洗いまでしたので、とても滑りがよくなりました。手前から,MAKITA ME230T、ハックスバーナー・ゼノア G2200T(枝打ち専用)、この2台は脚立や梯子に乗って片手で枝打ちにも使えます。ハックスバーナー・ゼノアG3401EZ(直径30cm位の樹木もOK)、・・・・ わたしの体力ではこの辺までがいいです。MAKITAには、竹切り専用チェーン(むとひろ製)がついています。竹切り用は、普通の刃の倍のピッチで、刃がついています。

 

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■山仕事よりも解体した山門塀の撤去・最終処分場運搬をさきにすすめたいので、午後からは息子の手伝いでした。石材は再利用もあり得るので、仮置きしています。夕方、雨になりそうなので、16時で終わりました。2021/02/05

 

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■2月4日。今朝一番に、門塀の瓦を高崎町最終処分場に運ぼうと、前日から軽トラックに積んでいましたが、行ってみたら2020/06/30をもって業務を終了したとの告示でした。あとは志和池町の最終処分場(水・日 営業)しかありません。帰って来て、瓦は載せたまま、チェーンソー3台の掃除にとりかかりました。ゼノアG3401EZ(35cm・33.4cc)、ゼノアG2200T(25cm・18.3cc)、マキタME230T(25cm・22.2cc)です。おもにG2200Tで作業しました。マキタは汚れがひどくリタイア中でした。1台1台を解体し、油まみれの木片をのぞき、灯油をつけた筆で丁寧に掃除しました。今回、竹切り専用チェーン(むとひろ製 25F-60E)を新しく買ったので、マキタに装着しました。替え刃はオレゴンを使ってきたのですが、この「むとひろ」、なかなかのしっかり者の替え刃のようです。2400円と他社よりも安価でしたが、性能は優れているような予感がします。孟宗竹をバンバン伐りまくってきたので、チェーン刃に竹の繊維が焼き付いて、灯油ではとれません。古鍋に入れて10分間煮沸しました。とれました。チェーンの汚れも除き、ガイドバーの溝(チェーンが滑るレール)も洗いました。これで、機械にも無理をさせないで作業できます。古鍋で煮沸しながら、ガスレンジのフードを見上げると、換気扇の吸入窓口の網4つがベトベトのゼリー状になって、ほとんど空気が通らなくなっています。深さ5cmのアルミ角トレーに灯油を入れて、半日間で、油膜を溶かし、次に洗剤につけこみました。このネットは明日5日に、フードに返します。2月4日、山作業なし。機械手入れの一日でした。

 

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■孟宗竹と雑木を伐採しました。孟宗竹伐採は、ガイドバー25cmの小型チェーンソーを使いましたが、午後からの樹木伐採にはパワーのある35cmガイドバーのチェーンーで伐りました。写真右側に雑木が倒れています。竹も雑木ももう少し整理すると、奥に巨大な樫の木、タブノキが見えてきます。林に日光が射し込むようになると、ヤブツバキが花芽を持つようになります。歩きやすい林にしたいのです。2021/02/03

 

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■土地を区切っていた門塀を倒しました。基礎部分の石材も割れずに倒れたので、山門階段などの石の修理石材としてストックします。

 

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■区切りがなくなって、門前が広々して気持ちがいいです。ここで、正定寺門前朝市が出来る日が来ないかなあ。明日午前中に、高崎町最終処分場に、撤去した塀のセメント瓦を運搬します。処分するものは早く済ませた方が、あとの作業効率がいいです。2/3現在

 

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■孟宗竹の伐採がすすみました。伐った竹を移動させてまとめて、細切れ(40cm位)にする作業は後まわしにして、伐採範囲を拡張しています。軽トラックやユンボも進入できるスペースを、山に確保します。ベースキャンプを作るのです。2021/02/02

 

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■門前では副住職が、「山田村道路元標」の撤去にかかりました。県道に立っている原票なんですが、キ城土木事務所に相談にいき、「お寺の駐車場入口の真ん中になってしまうので、移動・撤去をお願いしたところ、現在は使われていない原標で、そちらで移動・撤去されてもかまいません」という回答でした。わたしは、「ここが山田村の中心だったことを示す歴史遺産ですから、壊さずに取り外し、別の位置に立て直しますがいいですか?」と交渉し、了解を得ました。土をはぐってみると、ものすごいぶ厚いコンクリートで根元が固められていていたので、ハンマードリルで根元に穴をあけ、周辺も掘削して、石のみを鉄の大ハンマーで穴に打ち込む「石割」をすることにしました。二人がかりで、朝から2時までかかって撤去完了、見事に直線で割れました。

 

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■門前向かって左の掲示板建設予定地に移動しました。石材店に持ち込んで、根元をきれいに直角にカットしてもらい、御影石の土台石もつくってもらい、歴史遺産で残します。明日2月3日からは、いよいよブロック壁の解体にかかります。2021/02/02 gensho

 

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■昨日伐った孟宗竹を40cm位で全部カット。今日は、ほぼ一日作業でした。山への進入路が出来てきたので、昨日よりは作業がはかどりました。写真:右奥の竹が昨日より減っているでしょ。枯れて倒れていた竹も引き出しました。息子は、ヤンマーのユンボ借りてきて、今日から正面駐車場の整地作業を開始しました。山仕事と土木作業は関連しているんです。門前右駐車場(1月29日の写真)を正面駐車場と統合して段差もなくすのですが、植栽部分には、山の黒土を入れておきたいのです。シラスや採石では植物は育ちません。黒土を買うのではなく、自前の山からダンプで運搬します。@山の進入路整地作業ができます。A駐車場の植栽部分の黒土養生ができます。・・・・・・ この黒土掘り・運搬の下準備を兼ねて、山の一番右側の段差が少ないところから、ユンボ進入口を作っているのです。2021/02/01 gensho

 

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■お寺の裏山(西側)の雑木林の孟宗竹・雑木の伐採整地作業を、今日開始しました。まずは、作業のための進入路を作ります。草木を払って、孟宗竹を一本一本切りました。倒れきらずに木の枝にひっかかった竹は、ロープを使って軽トラックで引き倒しました。作業の場所から100mで山田小学校の校舎です。授業時間には、チェーンソーなどの作業機械は使わず、手仕事ですすめます。今日の作業時間は、14:00〜17:00でした。2021/01/31 gensho

 

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■2〜3月に土木工事・造園工事をおこないます。門前右の土地(右の電柱までのブロック屏)を購入したので、門前広場(兼駐車場)を段差をなくし拡張します。造園工事はちひろ桜(枝垂れ)の養生です。総代さんから2トンダンプを借り、土建リースからバックホウ(ユンボ)も借ります。2月1日着工です。写真は、1月29日現在。

 

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■門前につきだした白いブロック壁を撤去して、右手の土地に盛り土をして一体感をもたせます。駐車場としての実用性だけでなく、植栽もして景観を大切にしたいと思っております。

 

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■朝、鉄工所にいって側溝升の鉄板蓋の製作依頼。設計図を確認。それから、山田総合支所(地域振興課)にいって課長さんと話しました。お寺の裏山(南西)は、市の所有地と隣接しています。裏山の孟宗竹の駆除や土地の整備のため、市の土地から工事をしなければなりません。課長さんと市職員2名の方と現場で打合せし、快く了解をもらいました。今はコロナで活動停止していますが、子ども寺子屋を復活し、薪拾いや山遊びもできるよう、雑木林に進入路を作りたいのです。少しは黒土を門前に運搬して、拡張した土地の植栽部分に投入します。(手前が市の土地 もと山田小学校の教員住宅地)

 

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2021/01/29現在 
■市の土地側から見てお寺所有地の右端から4m位の竹&木を伐採。ほかに市の土地側へ倒れおおいかかっている木を伐採して、風通しのいい雑木山にします。明日から山仕事にかかりますかな? ただし、大きい樹木の伐採は危険だから、手出ししません。まずは通路づくりのための伐採になります。gensho 

 

■今日28日、お参り・法話10時3組。なにやかやの雑用。「聞かれた言葉・U」、原稿もすこし書いたけど、今日のアップはなし。

 

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■お母さんとお庭であんよの稽古が始まった。

 

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■01/27 一輪ほどのあたたかさ

 

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■01/26 白梅が開花しました。 

 

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■有楽椿(別名:太郎冠者)も花いっぱいです。昨日は、市内の山中造園緑化さんにいって、オヤジさんにうちの枝垂れ桜を養生してもらうよう依頼しました。娘の中学入学の春に、ここから買い求めた桜です。大きく成長しましたが、門塀の方に枝が張りすぎて幹が傾きました。2月いっぱいまでに起こして支柱をつけ、3月の開花を待ちたいのです。

 

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01/24 今日の白梅。蕾がふくらんでいます。

 

■ 日本画について  昨日、日本画の画材、「明礬・みょうばん」、「三千本ニカワ」が届きました。最初、500CC入りの液体ドーサを買ったのですが、1本1100円程度するので、最初から自分で原料を調合してドーサ液を作ることにしました。明礬と膠(ニカワ)をお湯で溶いたドーサ液を和紙の塗って絵具の線のにじみ止めにします。(初心者なので知らなかった)その調合割合で、自分の描きたい紙質に整えるのだそうです。日本画は、チューブ入り絵具もありますが、本格的には岩絵具の粉末と膠を混ぜたものを一色一色水で溶きます。だから、スケッチの稽古だけじゃなく、紙質や絵具を自分で調整するという技法も基礎にあるので、まだまだ道は長いのです。本堂壁画はやっぱり日本画の岩絵具だろうなあとは思うけど、キャンバスや紙に描く分には、油彩・アクリル絵具・水彩・パステル・水墨・・・・・・・・ なんでもいいのです。知らないことだらけだけど、「恐れない」のが玄章流です。やってれば、なんとかなるさ。なんとかならなくても、それもいいさ。やっただけは、何か眼が開かれる。

 

■ 今日の法話 24日9時のお参り5組14人(副住職)、10時のお参り7組26人(住職)でした。「正信念仏偈」のおつとめのあと、『正定寺門徒手帳』32ページ、「親鸞聖人のご生涯」を皆で音読。30分の法話をしました。音読のまえに、まず、「皆さんの家の仏壇には、誰がおられるか知っていますか?」、「何かわからないままに拝んでいませんか?」と問いかけ、「中央がご本尊の阿弥陀如来=南無阿弥陀仏、右が浄土真宗の開祖 親鸞聖人、左が本願寺八代宗主・蓮如上人ですよ、今から読むのは、右側の親鸞聖人の物語ですよ」、と前置きしてから朗読しました。最後に、「万行円備」・「全徳施名」の仏さまのお名前(名号)を声にとなえる「称名念仏」を日々の生活のなかで称えることをおすすめして、終わりました。『正定寺門徒手帳』第三回改訂版を考えておりますが、ご家庭のお仏壇に関すること、お仏壇に親しみがわくように、もっともっと書き足したいと思っております。たとえば、世界史上いちばん早かった蓮如上人の「正信念仏偈の開版」、「御文章の文書伝道」、「平座の実行」。当時ヨーロッパでは人口の三割しか文字を読めなかった識字率に対して、550年前の日本の農民は「正信偈」を読み、「御文章」をありがたく理解していた。わたしは、お参詣の若い方々に、もっと自分のご先祖に誇りを持って下さい、と語っています。

 

■ お坊さんの法話って何でしょうか? わたしは、仏法を聞いたその人が、人生のどんな境遇・場面に出会っても、即座に、いま、すぐ、今日からでも、自分一人でも、考えなくても、思い出そうとしなくても、できること、わが身一つでできること、すなわち称名念仏をおすすめし、お渡しすること、ただこの一つだと思っています。あとは、その人が、日々お念仏を繰り返すうちに、わが身に刻まれ、わが身に納得していくことです。だから、わたしは、自分がどれほど心を込めて話したことであっても、「覚えてほしい」、「いざという時に思い出してほしい」などと思ったことはありません。人間生活の現実では、そんなことは起こらないのです。自分と自分に降りかかった境遇で精一杯。七転八倒のさなかに住職の話を思い出す人など万人に一人もいません。いえ、いなくてもいいのです。「なんまんだぶ なんまんだぶ」の声にとなえる称名念仏は、阿弥陀様の直々のお説法です。「お前を救うぞ。お前の全部を受けとめ抱きしめているぞ。お前には限りない明るい未来が約束されているぞ」という如来大悲の音が念仏です。となえる声が仏音、となえる心が仏心、となえる身体が仏の光明につつまれているのです。今日お参りされて、もう二度と仏縁がない人もおられるかも知れない、そう思うから、「お寺参りのお持ち帰りは、お念仏ひとつ」と申しております。考えてもごらんなさい。三日前に食べた晩ご飯の中身、覚えていなくて日々の生活に何の支障も起こりません。忘れて、忘れて、日々いのちは新しくなっているのです。念仏生活が、そのまま往生浄土、そのまま住不退転(念仏の声の中に住む)、そのまま信心決定、そのまま本願成就です。さらり、さらりと、捨てて、忘れて、ただ、なんまんだぶつ なんまんだぶつ。 2021/01/24 gensho 

 

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あおいの新作。「アリさんたちの町」 左の赤い屋根は3階建ての学校。一番上は、カランコロンと鳴る時計台の鐘。右の桜色は、桜並木。下にはオレンジのアリさんたち。右下の紫の屋根は、左からあおいの部屋、おばあちゃんの部屋、おじいちゃんの部屋、たたみの部屋。空には、チョウチョとトンボ。カラスだけあおいの希望でジジが描きました。カラスの下のオレンジは、カラスがくわえて持っていこうとねらっているドッジボール。

 

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1月17日のあおいの絵、「ひまわりとチューリップ」が描き足されました。ひまわりの黄色、チョーチョの青が濃くなり、ひまわりの口元が笑顔に変わりました。ジジが描いたアリさん(下段)にも家を描いてくれました。「ああ、よかった。これでアリさん、寒くないよね」

 

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■梅の蕾がふくらんできました。うちで一番早く咲く白花です。いつもは大寒から桜の季節にかけて気持ちが清々しく盛り上がってくるのに、コロナのせいで様々な活動計画が立たず、気分も沈んでいます。淡々と季節に運ばれていく草花に元気をもらいたい私です。気分一新、早春へ。2021/01/21

 

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■お茶室の花としても好まれる有楽椿(太郎冠者)も蕾がいっぱい。

 

■新春手習い始め 玄章
■2021年、どんな一年過ごそうかなあ、と年末から想いめぐらしてきました。人が集まれない。人と人が熱を出し合う企画・行事が出来ない。この閉塞感をどう破ったらいいのか。色々自分のこと、陶芸・木工DIY・写真・原稿執筆・読書 等々・・・・・・ あるのだけど(それはそれで地道に進むこと間違いないのだけど)、お寺が明るくなる、ご門徒に喜んでもらえる何か? なにか? と思っているうちに「仏画に挑戦してみたら?」と浮かんできました。1月5日から「手習い始め」で、デッサンしてます。花は花、蕾は蕾、葉は葉、と分けて習作を繰り返しているうちに、なにかもっと向こうが見えてこないか・・・・・・(未体験ゾーンですから)、ただそう思って手を動かしています。自戒の言葉、「頭を捨てよ!」。『手で考え 足で思う』(陶芸家 河合寛次郎)

 

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■ じいちゃんの部屋にあった画架(イーゼル)を見て、「これイスに座って描くんでしょ。やってみる」、・・・・・・ なんでもとりあげられるジジ。夕方風呂上がりに一枚描いたアオイ。紙の上段は「うんどうかい」のかざり(万国旗)だそうな。

 

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■ あおい(5才・年中組) 画用紙8切 カラーペンシル&水彩&黒フェルトペン  ひまわり(画面中央) チューリップ(ひまわりの両脇) 太陽(画面左上角) 猫とアリの家(画面中央下段) 2021/01/17

 

■ごごに、「じいちゃんの部屋でお絵描きする」というので、横で付き合いました。サクラカラーペンシルに緑・黄緑のトーンが幾種類もあるので、「いろんな緑で描いてみる」と、じいちゃんの影響かな。水彩の絵具がつきすぎると、キッチンタオルで吸い取らせて、「こうするとうすい色になるよ」といいます。私の描き方を見てたんですね。紙はキ城の文具店で買った学童画用紙8切。「お金で買った紙だよ。いっぱい描いてごらん」というと、うれしそうに次々描きます。幼児の絵は、「アリさんの家はどんな家かな。窓がいくつあるの」と、二人で物語を作りながら描くと、手がすすみます。画面下段のアリ(黒)と、画面右のチョウチョ2匹(黒)はジジです。「昆虫には足が6本あるよ」と話ながら描きました、われながら下手!
■わたしは、今日は蒲生和紙にドーサを引きました。試しにワトソン水彩画用紙にも、ドーサ引きしてみました。明日は、紙裏にドーサ引きます。

 

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鹿児島県姶良市蒲生町上久徳  蒲生和紙工房の全景

 

■今日16日は、宗祖親鸞聖人御正忌命日、本願寺報恩講の御満座です。蒲生和紙工房に行ってきました。片道90分位かな。7〜8年ぶりです。京都の画材店で日本画の和紙を見たら、900mm×1800mm(いわゆる3・6版)が18000円位です。それだけの価値あるものなんでしょうが、ちょっと今は手がでません。工房の小倉さんと色々話して、630mm×1000mmを12枚(一枚600円)、ほか何点か買ってきました。帰ってみたら画材店からドーサ液・ニカワ液・平筆など届いていました。これでお買い物はおわり。随分まえに弟からもらっていた「水干顔料」(粉末60色)もニカワがあれば使えます。ワトソンも、蒲生和紙も使いながら、慣れていきたいと思います。

 

■昨日・今日の習作には、パステルを使っています。ワトソン(画用紙)がどの程度パステルのすり込み描きにつきあえるか、試して見ます。水彩筆のこすりによる紙粉のめくれには、ドーサ引きが効くかもテスト。

 

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■ ワトソン(中目)  変型A4 パステル&水彩  習作no.14   「蓮葉のコンチェルト・V」2021/01/15〜16 gensho 

 

■ワトソンの紙質がまだつかめないので、パステルも使ってみました。パステルのすり込みには強いみたいです。パステルのソフトな色調で、軽快な明るい蓮葉の表情になりました。写実性よりもデザイン画ぽくなりました。明日は、蒲生和紙工房で「色々試してみてください」とご主人からもらってきた和紙にドーサを引いてみます。

 

■和紙も画材もそろってきたし、あとは一歩ずつ課題をクリアして、スケッチを重ねます。1月も半ばまできたので、絵描きだけでなく、@3月までのお寺の環境整備(構想をまとめる)、A裏山の孟宗竹の駆除、B『大無量寿経』の原稿執筆、・・・・・・ などもバランスよくすすめていこうと思ってます。

 

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■ ワトソン(中目)  変形A4  水彩  習作no.13 2021/01/14

 

■蓮の葉芽と蕾をスケッチしてみました。よく観察すると、これまでいくつも見落としがあったことに気づかされます。京都の画材店で買った水彩画専用画用紙(ワトソン 極厚 中目 全紙木綿繊維70%含有 788mm×1091mm)が届きました。水彩画・パステル画向きの紙です。上の絵は、ワトソン4切(280mm×380mm) を半分にカットして使ってみました。画用紙にも表裏があるんですね。しばらくは、紙のにじみ具合や綿繊維の腰の強さなどを試したいと思います。今までは、あり合わせの書道用手漉き和紙に描いていましたが、この紙の繊維の吸い込みの速さ、にじみ具合も捨てがたいです。そういえば、鹿児島県蒲生町にも手漉き紙を作る若夫婦がおられたのを思い出しました。行ってみようかな。午後3時30分、今日はちょっとドライブ、桜島を見に行きます。gensho

 

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■今日は、国分の海岸で桜島スケッチや写真撮影ができる場所探しに行きました。桜島はうすいもやがかかっていて、山肌のディテールが見えませんでした。錦江湾の海岸線で、車の駐車もできるポイントをいくつか探したいと思っています。2021/01/15 17:30頃撮影

 

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■手漉き和紙  A4  水彩  習作no.12 「蓮葉のコンチェルト・U」 2021/01/13 gensho

 

■12日と13日、2日かかりました。構図は、下絵は大きな蓮葉4枚と花・蕾の位置を決めるだけ、色塗りの段階で、葉の数が増えました。シルエット調に蓮葉を描くのもいいかなと、アイデアが浮かんだので、ぼかしの階調にしました。花が枯れて茎が分厚くなった花托(かたく)も描いてみました。蓮は、花・蕾・葉・茎・花托・光・泥湿地、・・・・・・ いろんな構成要素がありますが、すうーっと伸びた茎の背筋のよさも魅力です。
■今日、ワトソン(水彩画用紙4切)が届きました。全紙の紙や画材(ニカワ・ドーサ・平筆)はまだです。この書道用手漉き和紙は、にじみが強く、線描きのコントロールはむずかしいです。しかし、蓮葉の影になっている背景の色合いをだすには、紙の潜在力が活きてきます。画材が全部とどくまでは、スケッチは休憩かな。背中と腰が疲れた。 

 

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■手漉き和紙 A4  水彩 習作no.11 「蓮葉のコンチェルト」 2021/01/11 gensho

 

■「蓮」の習作がつづいています。蓮葉が風にそよぐメロディがあります。一つひとつ大きさや向きや形がちがって、なんだか緊張感もなくゆったりたたずんでいる蓮葉の姿にひかれます。注文した画用紙がまだ来ないので、奈良市三条の一心堂から送ってきた書道毛筆カタログにはさんであった「書道用和紙 見本紙」に描いています。紙から習うことも多くて、この「出雲路」という和紙はにじみがきれい。腰が強いです。 「松のことは松に習え、竹のことは竹に習え」画家 佐藤勝彦 

 

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■手漉き和紙   変形A4 水彩 習作no.10  2021/01/09 gensho      

 

■今日、京都の画材店に画用紙を発注しました。日本画専門和紙はまだハードルが高いし、練習なので、水彩画専用画用紙「ワトソン」にしました。絵具は、あおいの幼稚園教材と、10年以上放っておいた、「吉祥」です。何本か固まってなくて使えました。手元にまともな紙がないので、書道用で残っていた手漉き和紙を裁断して描くと、よくにじむのでちょっと苦戦。むしろ、にじみを使ってみた。蓮葉の描き方のけいこです。 

 

■日本中さむいですね。コロナの猛威も激しさをますばかり。紙は、全紙と四切(3種類)まとめて多めに注文しました。木綿繊維70%の紙なので、木炭やパステルでの素描でも紙がささくれません。いろいろ試みできると思います。絵具と絵筆(とくに平筆)はまだ。もう少し、手を動かしてみてから、買い足します。昨日の習作か今日の習作、いずれかを葉書に印刷して、「1月すっぴん コロナ休会のお知らせ」を出します。月曜日かな。 

 

今日のトライ  蓮葉スケッチ と 煮豆真空パック 01/08

 

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ハガキ大画仙紙 水彩 習作no.9

 

■気分転換に蓮葉をスケッチしてみました。彩色は、あおいの幼稚園の水彩絵具。あおいはすっかりジジの書斎に幼稚園教材道具を持ち込んでいます。午前中は、あおいに好きに描かせながら、横で「北海道産 白花豆 大地の豆」を、カセットコンロ極細火でコトコトしました。夕食後、あおいの置きっ放しの「お絵描きパレット」使わせてもらいました。

 

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■小豆と白豆の煮豆真空パック作ってみました。冷凍庫へ。明日は「紫花豆」に挑戦。白花豆は最初ちょっと火が強かったみたいで、煮崩れ防止に、もちょっと火加減します。今夜、水につけます。小豆・白豆・紫花豆で練習してみて、最後の挑戦が「黒豆」です。お正月には間に合わなかったけれど、母の技と味に挑戦してみます。寝る前は毎夜、ベッドで大拙さんの『浄土系思想論』読んでますが、何度読んでも、面白い。いろいろやること多いね。01/08 gensho

 

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四切 パステル 習作no.8 01/07

 

■あり合わせの紙・パステルで描いてみた。パステル用画用紙がないので、紙質の腰がもろいです。ネットで買い直します。蓮花の横幅350mm。色を加えるとなおむずかしい お盆の供物菓子か盆提灯の絵みたい 深みも品もない。もちろん不合格。何を描き込んで、何をはぶくか、悶々? あしたにつづく。色々やるしかないのです。

 

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ハガキ大 水墨 習作no.6  A4  水墨 習作no.7   2021/01/05

 

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■今日のあおい お絵描き
今日は、「使った筆は最後に真水で洗って、穗先を拭いてととのえ、筆置きにおく」、これだけ教えました。字を書いたり、絵を描いたり、好きにしていましたが、墨を摺る手つきも、筆をもつ指先も、教えていないのだけど、昨日よりよくなりました。昨夜のままにしておいた絵具皿も、勘で知ったのか、筆をジャブジャブつけてます。面白い人。

 

■キ城市内のコロナ感染拡大で、外出がだんだんむずかしくなりそうなので、デサキデポに行き、絵具少々・絵筆・紙・パレットを買ってきました。画材専門店ではないので品薄。あおいの横でパッケージを開いていたら、絵具「顔彩」を見て、これで描きたいと興味丸出し。(これは蓮の花弁用なので)、「また今度ね」と誤魔化しました。すぐにも幼稚園の絵具・絵筆セットを持ってきて、「やろう、やろう」というので、明日にしました。明日色つけする墨画作品を4点選んで、お片付け。筆を洗わせ、不織布で拭いていると、「筆は仲間で分けて置く」というので、素竹の芯、色つき芯、幼稚園水彩筆、細書き筆、・・・・・・と自分で分けて置いていました。「この子、センスあるかも?」と思いました。このあと「室内カクレンボ」6回でグッタリ。3時のおやつに、自分で炊いた北海小豆のぜんざい(お餅は本堂お下がり)食べました。今夜は「北海道産 白花豆 大地の豆」250gコトコトしています。小分けして、真空冷凍パックにするのです。まあまあ、いい一日でした。なんまんだぶ、なんまんだぶ。01/07

 

■ あおいの冬休み 書き初め 5才

 

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■今日は、あおいの「書き初め」でした。「お正月に、おじいちゃんの部屋で字を書こうか」と誘っていたのですが、午後から初めて少しだけ手ほどきしました。紙はお寺の印刷物のウラ紙。筆・硯・墨・文鎮は、わたしの普段遣い。@墨は摺ったら、墨置きに置く。A筆は使ったら筆置きにお休み。B紙は文鎮で押さえる。C手は墨で汚れたら、こまめにウェットティッシュでふく。 ・・・・・・ 今日の注文はこれだけにして、「書く」ことは、絵でも模様でも字(?)でも好きにさせました。だんだん乗ってきて、「あ・お・い」の文字やお花の絵を書きました。

 

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■わたしの持っている硯や文鎮や筆が珍しくて、小声で、「今度はあの大きい筆で書きたい」。文鎮は最初紙の上だけでしたが、自分で「こやって、下も押さえると動かないよ」と置きました。「もうほかに、ないの?」と聞くので、東北・南部鋳造の亀の文鎮。カエル模様の文鎮も引き出しから出して見せると、喜びました。「あ」と「お」の字は、グルッとまあるくまわすところを、2周やってます。・・・・・・ 見ていると、なかなか様になっていて、「まっ、それもいいかあ」と、あおい姫の花押だろうよと、そのままにしました。お花の絵の上は、「あ・お・い」のサインです。落款には、自分が持っているゴムスタンプを持ってきて、赤トンボ(上下向かい合い)を自分で選んで押しました。

 

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■左から、「笑っているお花」、細書き筆で。中央「ひまわり」躍動感がいい。右、「ひまわりの顔」 お猿のスタンプで押したのは花びら。

 

■キ城市・三股町、コロナ感染拡大。宮崎県が「感染急増地域」に指定。キ城市郡医師会病院で感染者発生。宮田眼科で感染者一人(病院休診へ)。市内スポーツクラブでクラスター感染。県立高等学校部活でクラスター発生など、たいへん厳しい状況になってきました。小・中・高は7日から17日まで休校となりました。・・・・・・ どうぞ、皆様、外出を自粛し、感染拡大をおさえて、平常な生活をとりもどしましょう。(「ヘルスセンター」を「スポーツクラブ」に表記を訂正しました。) 注:日々刻々と、宮崎県内の新型コロナ感染症の感染状況が変わっていますので、アミダネットでは厳密・正確な感染拡大状況はお伝えできません。正確に知りたい方は、宮崎県ならびにキ城市のホームページでご確認ください。

 

■追伸: 今日は、年末に買っておいた「北海道産 北海小豆」500gをことこと煮ました。4〜5回に分けて、「きび砂糖」と「沖縄あら塩」をいれ、やわらかく美味しく炊き上がりました。筆はもとの場所に置く。墨は使ったらお休み等々、言っておいたので途中からは、小豆を煮ている火加減を、タイマー見ながら台所と往復。三つの作品(?)はぜんぶほったらかしの時にできたもの。しばしば小豆炊きの火加減を見に行きながらの、「文字書き遊び」でした。2021/01/06 gensho

 

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■あおいの冬休み 去年のカレンダー(紙ウラ)でお母さんと作ったスゴロクで遊ぶ。トランプも描いて自作。「じいちゃんスゴロクしよう」というので3ゲームしました。

 

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■あおいは「桃太郎」のお話が好き。「おとうちゃん、ぼくもかまってよ」とかおる。

 

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■「なもあみだぶつ」  正定寺 2021年 元旦会

 

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■元旦会 「正信念仏偈」の勤行  kaoruも「まんまん」。

 

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■本堂東庭に咲いた「有楽=太郎冠者」が咲きました。春を知らせてひっそりと。

 

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■元日の霧島山 16時  元日も2日も冠雪はありませんでした。写真を撮っていると軽トラックが止まりました。マスクを外し顔を見せて、「霧島の写真を撮ってます。車ここに止めていいですか?」と声をかけると、門徒のご夫人でした。畑に白菜をとりにきた様子。「時々、写真撮りに来るので、またここに車止めていいですか?」と許可をもらい、隣の耕作していない畑も門徒の方の所有ということが分かり、なんだか安心しました。定点ポイントができました。

 

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■霧島の裏側、えびの高原、韓国岳は冠雪のようです。カメラ持つ手が冷たかった。

 

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■初日だまり 

 

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■縁板ほっこり 2021/01/01 gensho

 

雪はなく、おだやかな晴天のお正月になりました。
旧年中は、たいへんお世話になりました。
波乱の一年になりそうですが、今年も心と心、気持ちと気持ち
支え合っていきましょう。    2021元日  尼子 玄章

 

 

■大晦日ですね。12月31日午前10時 外気温2度

 

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■今朝10時の霧島。冠雪かと思っていましたが、寒風でした。

 

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■12月29日、午後からえびの市の松林さんを訪ねました。ロングドライブがしたくて、霧島山麓を南麓(山田町)から高原〜小林〜えびの(北麓)へと走る山麓ロードの向こうに松林さんの家があります。住所をみてそう思った。以前よく白鳥温泉に通った道です。「干し柿が出来ました」という声に誘われて、ドライブがてらお訪ねしたのです。午後に急に連絡をして、到着するとカボチャのポタージュスープで迎えてくださいました。仏法のあれこれ話は尽きないのですが、来年からの「すっぴん21」が楽しみということで、帰路につきました。いただいた「干し柿12個」は、書斎の南ベランダの軒下につるしました。「食べるのがもったいない」、こののどかな風景を、お参りの門徒にも楽しんでほしい、そう思って。

 

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■ほんとに、食べるのがもったいない、きれいな出来映え。やっぱり、霧島おろしの澄み切った寒風が仕上げているんでしょうね。淳子さん、みほ子さんの「すっぴん・えびの2人組」にも、金子大榮師『意訳歎異抄・師訓領解』(写本)を渡しました。来年の仏法対話がもっともっと弾むように。

 

■鏡もち出来ました。ぼた餅も出来たよ! 12月30日

 

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■今朝10時から餅つきでした。愛子さん、昭美さんが手伝いに来てくれました。わたしは時々見ていただけ。

 

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■セイロ(ガススチーマー)で餅米が蒸されています。ぼた餅に入れるカライモ(黄金金時)も蒸しました。

 

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■ぼた餅は、わたしのリクエスト。報恩講のお供えにカライモ1俵いただきました。子供の頃、お供えの鏡餅を作った後ののこりで、あんこ餅。そのあとの細切れの餅とカライモを蒸してぼた餅作ってもらいました。きなこ(砂糖)をまぶして食べたぼた餅の味が懐かしい。

 

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■山田では、昔はどの家でも、餅つきの順番が決まっていました。一番目の鏡餅はお寺へお正月参りのお供えもの。子供の頃、モロフタで何杯も本堂までお餅を運んだものです。お寺の子供の正月の仕事でした。二番目は地域でお守りしている里寺様(阿弥陀様・親鸞様・蓮如様)へのお供え。三番目がわが家のお仏壇。四番目が床の間。五番目が白餅(食用)。六番目の残りであんこ餅、ぼた餅でした。「はやくあんこ餅食べたい」と子供がせがむと、「まだまだ、仏さまが先」と怒られたものです。正月15日を過ぎると、里寺では「餅わり」といって、供物の餅を「ぜんざい」や「お雑煮」で門徒にふるまい、鏡餅も分け合ったものです。念仏共同体が生きていたのです。「伝統文化とは、順番です」というのが、私の自説です。順番が伝承されず、分からなくなったのが現代都市型物質文明。順番とは、「食べ物である餅」が「食べ物以上の聖なるとおとい意味」を持つと言うことです。「順番」が消えていく世界が「世俗化」です。「神聖なるもの」の消滅です。順番が見えなくなると、心の落ちつきの整え方(作法)を失います。形式や順番には、深い理由があって「家風」や「地方文化」を伝承していく上で、大切なことだと思います。
■そして、食べ物と宗教的情操は深い関係があります。先に書いた、地域の里寺の伝統ですが、里寺が報恩講をつとめるにしても、「お正月餅・餅わり」をするにしても、古老だけではできません。一家の長としての古老の威厳が保たれ、妻や息子夫婦や地域の協力がなければ、門徒に振る舞うお雑煮もお煮染めも用意できません。これらの伝統が生きていたのは、昭和50年代までだったと思います。これ以後、農家の生活形態も変わってきます。女性も外にでて働く時代に変わります。老人たちも女性に遠慮して、里寺の裏方を頼めない状況がでてきます。・・・・・・・・・・ それは世の流れ、仕方のないことだったのですが、経済的に豊かで、便利で、お金と能率中心というトレンドが破壊していったものは、「貧しい豊かさ」だったと思います。

 

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■ぼた餅もできました。「うれしーい」です。今日午後から、コープに行き、「北海道産あずき」、「黒豆」、「白花豆」、「紫花豆」を一袋ずつ買って来ました。年末になると、母がいそいそと台所に立って、豆を煮ていました。ゆっくり、ことことと煮る、こまめに鍋をのぞく・・・・・・ ことは、家の中でもわりかし時間のある年寄りの仕事なのかなあ、なんて思ってみたりしています。今年、母の味を求めてみます。ぼた餅にちょこっと小豆あんをかけたら、アオイは食べるかな?とも思って。・・・・・・ ひまなお正月になりそうだから、薪か炭火でことことと。今夜は小豆を水でもどします。それと、明日は「豚のブロック三枚肉」を買って来て、「カレー醤油漬け」も母の味。gensho

 

■松ぼっくり 研究編 12月28日

 

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■ ジジの書斎は、孫アオイの幼稚園になりました。オモチャを持ち込み、遊び相手をさせられています。

 

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■ マツボックリが乾燥してひらくと、中からうすい種子が出てきます。ジジの精密機械用ピンセット(先端が尖っている)で、摘まんで出す、種子を紙皿にためる、ことを教えると、黙々とやりはじめました。ジジはしめしめと年賀状を書きたいのですが、一緒に研究???するよう言われます。次は「カクレンボ」です。ジジのふとんの中に潜って隠れたり、納戸に隠れたり、・・・・・・。すぐに見つけてはいけません。いつまでも見つけないのも失礼です。頃合いの演技が大事。今度はジジが隠れる番です。疲れたあー。でも、面白かった。明日も、この部屋はかき回されそうです。アオイは、「おやすみなさあーい」と大張り切りで2階に上がっていきました。フーッ。まだまだ、明日からはカルタもトランプもあります。長い冬休みになりそうだなあ。gensho

 

■松ぼっくり探し 実技編 12月27日

 

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■今年最後の日曜日。10時のお参りはたくさんでした。本堂にストーブ7個焚いて、窓開け換気もして、お勤めしました。「コート脱がなくていいですよ」と声かけしないと、寒くて参拝者が可哀想。子供たちまで家族総出でお参りされたので、法話は、「まず年末のお仏壇のお掃除の仕方」から始めました。(写真:赤松のりっぱな幹が見えます。)

 

■お参り終わって11時。昨夜、「明日、マツボックリ拾いに行こう。遠足の支度しとくんだよ」、と娘と孫娘に言っておいたので、自分もジーンズにバックパック姿になって、3人でRAV4で御池野鳥の森公園へ向かいました。娘と孫を、入口駐車場にいったん降ろして、赤松の樹の下まで先に行って、先日拾っておいたマツボックリをアチコチ置きました。自然に、でも見つけやすいように。駐車場に帰ると、「赤松さんに実を拾ってもいいと許しをもらってきたよ」と言って、親子を乗せ現場へ。・・・・・・・・・・・ アオイは、ジジが用意した以外にも、たーくさん拾いました。赤松のマツボックリは、黒松よりも大きく、チョコレート色で艶やかです。アオイ、ご満足、リッチな気分にひたっていました。でも、御池はお寺より標高も高く、ジーンと寒かったあー。

 

■松ぼっくり探し 12月23日

 

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孫娘あおい(年中組 5才)が、宝物のように松ぼっくり一個を見せた。探してもないので、母(娘)がイオンで一個50円で買ったとか。12月25日からの幼稚園冬休みに松ぼっくり拾いに連れて行こうと思い、心当たりを散策。まず境内、ない。あるけど黒松の小さい松ぼっくりが枝の上。山田支所運動公園、・・・・・・ ない。高原町御池キャンプ場へ車を走らせる。県道から入り込んだ道なりに、赤松の高木を発見。あった、あった。拾って帰って、「確保」。湖畔のキャンプ場までも降りたが、黒松の大木の根元には落ちていない。老木になると繁殖能力が落ちて、実をあまり付けないのかも知れない。もとの場所に帰って、草藪の中から30個くらい拾った。あおいが幼稚園の通園バスで帰ってきた。一個だけまだ閉じた実を見せた、赤松の実はつややかで大きい。(大王松があればもっといいのだけど)。「秘密の場所があるんだけど、いつ行くね」と聞く。「ワー、すごい。冬休みに行く」と言いました。娘には、ジジが軽トラックで先に行って、元あった赤松の根元に見つかりやすいように置くから、車でついてきて、親子で拾うようにと、秘密の打合せ。・・・・・・・・・・・・・・・・・ 冬休みが楽しみだ。「おじいちゃん、忘れたの。あおいと陶芸で、またお皿作ろうって言ったよ」、「ハイハイ、覚えていますよ、冬休みにじいちゃんのお部屋で、粘土遊びしよう」と、約束済み。孫に言われると、身体の調子は忘れて、ホイホイと動ける自分でした。  追伸:空気の乾燥で、喉の奥から咳き込むので、粉末「龍角散」を買ってきて、何度か口にふくんだら、喉のせわしさが楽になった。「喉風邪」でだるいのだけど、孫のおかげでいい空気が吸えました。冬休みには、「お習字」も教えたい。私の習字も、ばあちゃん仕込み。「もう、いくつ寝ると、冬休みぃー ♪?」 gensho

 

■ 疲れる夢。風邪で身体が重く、夕方仮眠。「どこかの高校で講演を引き受けている」、モニャモニャ、「何か人権教育でやってくれって?、追加注文?」、「えーっ、そんな予約いつ受けたっけ?」。「明日? ええーっ、いやだあ、しんどーい」、ーーー モニャモニャ ーーー 夢から覚めた。「ヒロシです、なんでも屋じゃありません。夢まで追いかけて来ないでください」

 

■ 12月20日、キ城組九ヶ寺報恩講の一ヶ月が終わる

 

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残照きりしま・W 12/20 16:40 柿の木の姿が好き カメラ・レンズ「V」に同じ 

 

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残照きりしま・V 2020/12/19

 

■ 昨夜、ユーチューブで鬼海弘雄さんの対談を見た。たまたま出会った番組。鬼海弘雄という名前は、藤田一咲著『ハッセルブラッドの日々』で出会った。ハッセルブラッド500C/M(スウェーデン製)・プラナー80mm(ドイツ製レンズ)一本で、『ペルソナ』というポートレート写真集を出した傑出した世界的な写真家。私には、ハッセルブラッドと鬼海弘雄は、ふたつの名前がわかちがたくリンクし記憶にあった。東京・浅草・浅草寺、そこで出会った人の風貌を撮影する。撮りたいと思える人に出会えるまで、「待つ」。時には一枚もシャッターを押さない日が2日も3日も。撮りたい被写体にしかカメラを向けない。シャッターを押さない。撮りたいと思えた人に出会っても、1人3カットまで。被写体のバックは、いつも山門の白い漆喰壁。曇り空の自然光で、その人の中の「その人」を撮る。演出は一切なし。一日2人撮ったらご機嫌良く「養老の滝」で一杯飲んで帰宅の電車へ。「こんなお金にもならない写真を何十年も」。鬼界氏曰く、「写真は如何に写らないかがわかったとき、初めて写真が始まるんです」、「写真に出来ることは、時間を超える。時代を超えて残る、ということじゃないでしょうか」、「写真は撮るよりも、撮りたい人を待つ、その時間がほとんどです。撮るときは、特にポーズを要求するのでもなく、4〜5分で終わるんですから」 ・・・・・・・・・・・・・・ この人から紡ぎだされる言葉を聞いていて、70分以上も見とれ、聞き惚れてしまった。私の若い頃は憧れの的であった高嶺の花、ハッセルブラッド(6×6 中判カメラ)もメイドイン:ジャーマニィーのレンズも買えた。フィルム写真からデジタルカメラへの時代移行で、中古の価格が下がったからだ。カメラは時々さわり、その重みを手にしている。
■ 製造中止の時に備えて、モノクロフィルムも印画紙も「買いだめ」がマイナス18度の冷凍庫に貯蔵してある。フィルム現像道具もプリント引伸機も、40代まで使った機材が今も生きている。
■ だけど、本当に撮りたいものがない。心の底から燃え上がるような「撮りたい物」、本気でカメラを向けたいものがない。ずーっとそうだった。
■ ある秋の日、本気で撮りたい、「カメラに自分を写し込めたい」気持ちが産まれて来た。車で10号線を走っていて、一つのさびれた店舗を見たとき、プツンと心のスイッチが弾けた。「撮りたい」。日に日に育っていく孫の姿に、スイッチがはいった。そして、夕暮れの霧島と柿の木のシルエット。なんだか心が騒ぐので、今日も見に行った。(5時、あと30分前でないと斜光に間に合わない、ダメと時刻を確認しただけだった。)今、頭の中では、撮影の時刻、構図、機材のプランが動き始めた。

 

■ 「えーっ。今までもアミダネットに一杯写真アップしてたじゃない。あれは何だったの?」と言われるかなあ、と後で思ったのだけど、私にとっては、「やっぱり、デジカメは、デジカメなんだ」、「はやく、かんたんに、写りすぎる。そして、はやく去って行く ・・・・・・ 」、「やっぱり、何か違うんだ」。フィルムカメラで、6cm×6cmのフィルムサイズで、単焦点レンズ、三脚だと、行き当たりばったりに撮るわけにはいかない。シャッター押すまでの時間の方が長い。昨夜、鬼海さんのお話聞いていて、「撮りたくならなかった」、「ああ、それでよかったんだなあ」と、自分にそう思えた。自分がゆるせた。楽になった。
■ 残照きりしま・V の構図だったら、マミヤRB67に、セコール127mmの画角かもしれない。マミヤはもっと頑丈で重い。やってみようか、何かが始まった。とにかく現場に通わねば。gensho

 

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■ 孫kaoru君のお昼寝。

 

■ 12月17日、2日続けて朝は氷点下

 

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■ 玄関の前に植えたコナラ(小楢)、葉の厚みがあるだけに紅葉の色調も複雑。

 

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■ 夕陽の杉木立。

 

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■ 残照きりしま  夕方、郵便局に投函いこうと思って空を見ると、何か今日のこの光線、「何か行けそうだ」と感じて、D3を持って軽トラに乗った。投函するとすぐ、山に向かって走り出した。「ああ、この柿の木が呼んでくれていたのか」。

 

■ 正定寺 親鸞聖人報恩講 お陰様でした。
本願寺宮崎別院輪番さま、組内法中さま、総代さま、組長さま、仏教婦人さま、門徒の皆々様のおかげにより、コロナ禍の困難を克服しながら、「親鸞聖人報恩講」の3日の法要をおつとめすることができました。ありがとうございました。今朝は、風邪気味でのどが痛く、身体もだらだらでした。昼下がり、山田小学校の児童数名がお寺の庭を横切って下校していくので呼び止めて、報恩講のお仏前のお下がりの「おもち・らくがん」をあげました。「何人の家族ですか」と聞いて、4人家族に4袋という具合に手渡し、「お母さんに見せて、お雑煮にしてもらって食べるんだよ」と言いました。

 

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■夕食前、アオイ(5才)が、おじいちゃんの書斎に遊びに来ました「おじいちゃん、カルタしよう」と言ってくれるので、ア行〜タ行までのカルタをしました。今度は、お寿司の絵合わせの「神経衰弱」という、新しいオモチャで遊びました。2勝1敗でアオイの勝ちでした。明日もするとうことで、カルタとオモチャを置いて2階にあがっていきました。「お休みなさい。遊んでくれて、ありがとう」。2020/12/16 gensho

 

■ 正定寺 親鸞聖人報恩講 2日目 12/13

 

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■ 親鸞聖人御一代 『御伝鈔』の拝読、今日は、親鸞聖人29才、比叡のお山を下りられ六角堂に参籠、夢のお告げを受けて吉水の草庵に法然上人をおたずねになる一段でした。
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■ 本日の御講師・本願寺宮崎別院・吉川ご輪番のご法話。
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■ お参りされたご門徒の方々、寒い中ようこそお参りくださいました。12/13 gensho

 

■ 正定寺 親鸞聖人報恩講 始まる!
■ 令和2年12月12日(土)朝10時 、 13日(日)朝10 時 (法話:宮崎別院ご輪番)、 14日(月)朝10時 昼1時半 (一法座は、勤行25分・法話45分) の4法座です。

 

 おつとめ「正信念仏偈」のあとは、「御伝鈔拝読」・法話(45分)となっていますが、明日の法話は本願寺宮崎別院ご輪番です。ZOOMによるオンライン配信もしております。1日目が一番たいへんで、無事みんなが軌道に乗って運営できて、ホッとしております。gensho

 

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■1日目が始まりました。例年は、午後の法要があって七法座ですが、今年はおとき会食がありませんので、午前中のみとしました。ともかく、寺族・総代・組長・婦人会・壮年会が話し合い、心をひとつにしておつとめしております。

 

 

■ 12月11日 報恩講前日

 

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■鐘楼前のドウダンツツジ 最後の燃焼深紅。「秋色」の写真と見比べてください。赤さが濃くなっていきます。

 

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■玄関前のコナラの紅葉。深紅まで変化するかなあ。

 

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■総代さん方の直前準備・点検 駐車場のライン引き、堂内の点検。法座進行の打合せも。総代さん、明日からよろしくお願いします。

 

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■青森県の山口さんから毎年贈られる昆布。今年はコロナ感染予防のため、お煮染めの調理はしないので、「ヨロコブ」のお供え。わたしが干瓢で巻きました。20年以上前のこと、正定寺報恩講が終わって数日たった日曜日、沢山のお参りがありました。読経も法話も終わって帰っていかれる方々のなかで、報恩講特別懇志の貼り出しを見上げている方がいます。「これは何ですか?」と聞かれたので、「12月14日までの3日間、浄土真宗を開かれた親鸞聖人のご恩に報いる報恩講が勤められ、そのご懇志です」と言うと、「野菜や米・花まで貼り出すお寺は初めてです」と言われるので、「報恩講のおとき(仏前の会食)の食材に門徒の方が持ち寄ってくださるのです。うちのお寺でそろわない食材は、豆腐・こんにゃく・昆布だけです」と言いましたら、即座に、「私は青森県の自衛隊に勤務しています。来年からは毎年、昆布はわたしが受け持ちます」と山口さん。翌年から12月1日には必ず、青森県産の昆布一箱が送られてくるようになりました。青森・福井・東京・埼玉・神奈川・大阪・高知、・・・・・・ 全国各地からのご厚情に支えられて、仏前の果物はみなそろってしまいます。ありがとうございます。なんまんだぶ、なんまんだぶ。gensho 

 

■12月9日(水)  11月18日に平和リースから借りていた足場を、今日返しました。@本堂外陣(参拝者席)の蛍光灯ランプを新品に9ヶ所総入れ替え、A落語の照明(トップライト 1灯500W)の電球交換、B外陣中央読経所へのダウン照明の増設(門徒ホールにあったダウンスポットを移転)、C本堂高梁の上のほこり掃除(掃除機)、D読経所蛍光灯器具(故障)の撤去、・・・・・・ 高所作業が安全にたくさんできました。
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平和リースさん、足場さん、ありがとう。たたみ面から天井まで5.1m、助かりました

 

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ライト増設で、舞台照明ぽくなりました。年度内にもう一度、照明プランを練り直して、サイドからの照明を増設します。舞台照明は光源を見せないことが大切です。出演対象だけに効果的に照明をあてる、そのプラン設計です。光量コントローラーもあるので、これと連結します。電気やさんのコンセント工事が必要です。その時、もう一度、足場を借ります。花祭り降誕会や、いろいろな表現活動に使いたいのです。若院の華活けも明日で終わりそうなので、明日は、ゴミ棄てです。報恩講の準備着々。12/09 gensho

 

■12月7日(月)、定期検診で町内の病院で血液検査でした。肝機能も血糖値も全部基準値内におさまって、先生(同級生)から満点の合格点をいただきました。早速、正月は共通の友人が帰郷するので、「飲もう」と主治医が診察室で誘うのです。昨日まで、「絶対、禁酒!」って言ってたくせにー。「いい年なんだから、若者が大声で話す、うるさい居酒屋はやめて、お寺でしんみり飲もう。おでんは鍋で買ってこよう」と打合せ。医者と坊さんの飲み会って質素でしょ。これが豊かなのよ。でも、正月も飲みません。せっかく節制の甲斐あって、復調したのだから。

 

■12月6日10:00 キ城市千町・錦晃寺様報恩講に招かれ法話。ご住職のおじいさん道法先生・おばあさんふじこ先生には、栄松幼稚園(正定寺の幼稚園)の園長時代に大変お世話になりました。そのお導きなんだと思います。現住職と出会うことになって、今日の日があります。とても親しみを感じるご門徒の皆様とのご縁でした。「仏法は、頭で聞く知識ではないんです。わたしの身体・わたしの人生・わたしの喜怒哀楽を、わたしのいのちの底から通す、南無阿弥陀仏の仏さまの声を称えてとおすことなんです。通ってくださることなんです。」そう話させていただきました。お寺参りのお持ち帰りは、「ただ念仏申せ」、このこと一つ。有り難いご縁でした。なんまんだぶ。gensho

 

■12月5日 9:00〜11:00 仏教婦人会による報恩講清掃作業。「ありがとうございました。」 法事にお参りして、攝護寺様報恩講(御満座・5日目13:00)にお参りして、帰ってアレコレ。16時過ぎ、西陽が射してきたので、また柿の木を訪ねました。残照01。道路越し200mm望遠で。

 

■ 12月4日 キ城市立白雲小中学校からご来寺。生徒7名・先生8名。13:30〜14:45まで、お参りくださいました。参拝記念品は、『言葉はひかり 一日一語』(gensho自作の言葉集)の日めくりカレンダーをあげました。午前中は3.5mの足場台に登って、舞台照明のライト交換。お寺に舞台照明? って思われるでしょうけど、毎春恒例の「お祝い寄席」で使います。音響係・照明係も仏壮がします。ライトスタンドもあるのですが、あらかじめ天井配線で、基本的な照明は仕込んでおいた方が準備が楽です。それに満員御礼のときは、ライトスタンドの三脚の足を拡げるすきまもないのです。今はやってないけど、仏婦や仏壮や地域の方々との素人演劇活動という構想も持っていて、PA音響とともに舞台照明にも、若い頃から興味があって、何やかや機材を揃えてきました。4m以上の高所で梯子だけの両手作業はもういや。平和リースさんのタタミ2畳の足場台があるうちに、ライト交換やメンテナンスやります。明日も寿命の尽きた蛍光灯器具を外します。本堂外陣(参拝者席)の蛍光灯ランプ全部交換できて、舞台照明のメンテもできて、明日は本堂欄間の掃除機かけ(総代・仏壮)。これだけできて「****円」のリース料安い。安全経費ですね。けど、やっぱり高所は緊張します。夕方、どーっと疲れたあ。明日は、仏教婦人会ご奉仕の日。報恩講のための屋内清掃。コロナがどうなってもやることはやるだけ。今日のテレビ報道で、キ城地方にもコロナ感染者3名。鳥インフルエンザも市内高崎町の鶏舎で発生。ひしひしと迫っております。晩ご飯はブリ大根、ほっこり暖まって寝るだけです。gensho

 

12月3日
■明日、宮崎学園白雲小・中学校の生徒7名・先生がお参りに来られるので、自作カレンダー『言葉はひかり』を増刷しました。マイパソコンで作った「日めくりカレンダー」をプリントし、7部231枚ずつ穴を開けます。そしてリングを通して完成。今日は13部作りました。カレンダーは、amidanetのサイドメニュー「ダウンロード → 言葉はひかり」で見れます。
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報恩講モード
■12月1日朝9時から総代さん・組長さんのご奉仕で、報恩講の仏旗・幟を立てました。仏教壮年会の皆さんには、本堂の蛍光灯のランプ交換をお願いしました。平和リースから足場を借りていたので、安全に作業ができました。皆様、ありがとうございました。

 

すっぴん11月例会
■ 今日11月29日(日)は13:30〜15:30まで、「すっぴん」でした。子島ご夫妻とハジメさん・ハルヨさん、えびの市からジュンコさん・ミホコさんの常連に加えて、市内のお寺のご住職:信さん、末吉町の僧侶:仙さんとわたしで9人。とても弾みました。来年が楽しみ。12月は20日(日)です。

 

■ 秋色 
秋色は「斜光」がいのち。朝日が昇って、斜光がひかり、かげる時、冬の始めの呼吸が聞こえます。「秋色12」は、カリンの実。カリンのコンポート作ろうと思って、窓辺の天日で追熟させています。「秋色21」は、セイタカアワダチソウ。「22」は、収穫されたソバの天日干しです。

 

■ 今年の言葉。「デジタル庁創設」、「レジ袋廃止」、「新型コロナ」など、いろいろな言葉がおどった一年ですが、これらに通底する文明潮流をひとまとめにすると、「いのち隠し」、「いのちの全体性が隠される世界への滑り落ち」ではないかと思います。そんなこと、チラホラ書いてみようなかなと思って、メモしときます。『大無量寿経の根本問題』、第二稿、ようやく手が動き始めました。大乗経典の成立史を学問的に言い出すと、問題点が広がりすぎて、ちょっと手に負えない。だから、後にまわす「考察」と、今の問題意識を直裁に書くこととを整理しないと、足が進まない。文献・資料を駆使して学術論文を書こうと言うのじゃないから、まあ気楽にやります。今日は「すっぴん 11月例会」です。2020/11/29 gensho

 

■ 11月24日 正定寺 報恩講会議
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■毎年、11月24日は報恩講会議です。11月21日アソカ寺報恩講から12月20日広済寺報恩講まで一ヶ月間つづくキ城組内九ヶ寺報恩講の中で、一日だけ空き日の24日に、正定寺門徒会では「報恩講会議」をおこない、「報恩講ご案内」・「正定寺報 蓮華座12月号」・「新年度カレンダー」を門徒全戸に配付します。上の写真は、報恩講三日間の運営について「説明・提案」する福森利明門徒会長。

 

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■会議終了、帰りに各地区ロッカーから「仏旗」を持ち帰ってもらい、12/01〜12/14(御満座)まで37地区の門徒地域に「仏旗」を立てて、法要を知らせます。

 

■女性の右手にカラフルな「仏旗」。コロナ禍で、おとき会食中止など様々に制限のある報恩講になりましたが、こじんまりとでも仲良くあたたかく、正定寺ならではの報恩講をおつとめしようと思います。総代・組長・仏婦幹事・婦人部長の出席率もよく、いい滑り出しになりました。

 

■『大無量寿経』について、「第2章」を書き始めて、立ち止まっている。大乗経典は、直接、釈迦牟尼仏陀(シッダールタ・ブッダ)が語った言葉ではない。仏陀入滅後、三百〜五百年後に釈迦の遺弟に届けられた言葉である。そのことから、釈迦存命中の出家者生活を色濃く残す原始仏教(小乗仏教)側からは、「大乗非仏説」、すなわち大乗仏教は釈迦牟尼仏陀その人の直説ではない。後世の仏教者の創作文学であるという主張が起こってくる。この主張は、ある面、事実と言えば事実である。しかし、そう主張する原始仏教の側も、釈迦入滅後三百年後ぐらいに、『法句経』・『スッタニパータ』等々の原始経典は文字化されたのであって、それまでは暗誦による口伝であった。このような史実を追いかける方法論もあるのだけれど、いったい「宗教の言葉」とは何なのか、という全く別次元の問題が残されている。そんなことを考えながら、日々が過ぎている。2020/11/24 gensho

 

■ 正定寺報恩講のお知らせ2020/11/05

 

■ 12月12日(土)午前10時〜12時
      13日(日)午前10時〜12時
      14日(月)午前10時〜12時  午後13時30分〜15時

 

■ 講師: 寺内にておつとめ

 

■ 11月4日13時30分より、正定寺お内仏間において、総代会&仏婦幹事会を合同で開催し、今年の報恩講の運営について話し合いました。コロナ感染症対策 もあり、大変困難なかではありますが、上記のようにおつとめする方向で、意見が まとまりました。さあ、今年は今年の、精一杯の「報恩講さま」に向かって、足並みがそろいました。前進です。

 

■ 今年は、仏教婦人会による「手作りおとき」は、調理いたしません。 お参詣を、門徒地区ごとに集約し、「事前参加申込制」にして、持ち帰り弁当(外注) をおくばりします。例年7法座が4法座になり縮小しましたが、門徒会の底力で、心を 込めて親鸞聖人のご苦労をしのび、報恩感謝のお参りをいたします。

 

■ 『仏説無量寿経』の根本問題  を執筆中! 

 

■ 原稿を書き始めました。浄土真宗の根本聖典、『仏説無量寿経』に出会って、45年。 かかえてきた疑問・推論から見えてくる経典誕生の謎を、一章一章書いていきます。18〜20項目くらいのテーマを書き出しました。生活の身体のリズムを、世の中から隔離して、スローライフにして、降りてくる言葉を待っては書き留めています。第4楽章「普賢菩薩と文殊菩薩」(草稿)ができました。
  「第5楽章 霊鷲山に集った一万二千人の聴聞衆とは、誰のことか?」に取りかかっています。18章のうち、心がおのずと向いた章から書いております。現在の権威在る(?)、真宗教学は、パック詰めのデパ地下お刺身です。布教現場でも、せいぜい「第18願」(阿弥陀仏の本願)を語るだけ。中トロが数枚並んだ「お刺身パック」 には,マグロの全体像はありません。「往生浄土」とか「往生浄土の人生 の始まり」と言って みたって、死んでいく向こうの話。話している本人が、「往生」が他人事なのです。2000年前の経典の全体を手にとると、わからないことだらけ。考えることの面白さがここにあります。親鸞聖人の宗教観の骨髄は、「現生正定聚不退転」です。「即得往生 住不退転」です。それが、現代の言葉にならねばなりません。「現代の言葉」と言っても、表現上の言葉をお釈迦様の古代インドや、親鸞聖人の鎌倉時代の言葉を、現代に流通している言葉に言い換えるという作業ではありません。むしろ、管理社会・能率社会・経済優先社会・競争社会・人も物も使い捨て社会、そして人間存在が記号化され数値化される虚構社会の中で、「自分が自分を発見し、自分を満足し、自分を生きる」、そのことが覚醒しないような「往生浄土」などというものは、もはや何の意味もないのです。往生も成仏も、「いま・ここ・わたし」が明らかになっていくこと以外にはないのです。 

 

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■ フィルムカメラ撮影のリハビリ始めました。フィルムカメラへの愛着から離れられなくって、ハッセルブラッド・マミヤRB67・ニコン・コンタックス、時々なでておりましたが、秋です。涼しくなって動いてみたくなりました。デジタルカメラ(フルオートマティック・ニコンD3S)全盛の時代に、マニュアルカメラをおそるおそる手にしています。被写体は5才のあおいちゃんと10ヶ月のかおる君。そして昭和の遺産のような古い商店のたたずまい。何度か失敗しないと戻れないと思うけど、やらないかぎりリハビリはできない。買いだめしたフィルムは冷凍庫にあります。

 

■ 9月の明光寺様お彼岸法座(昼座・3日間)をやってみて、ZOOMによる「経典講座」がやれそうな気持ちがしております。『仏説無量寿経』をあらためて開いてみたいのです。2020/10/16 gensho

 

■ お彼岸連休ですね。 2020/09/19
■ おはようございます。秋めいてきました。明日から正定寺秋彼岸です。夜更かししたので、まだぼんやりしています。

 

■ 明光寺オンライン秋彼岸会 予告 2020/09/18
■ 今朝は未明から雷雨でした。福岡県飯塚市南尾:明光寺様(中尾流一住職)のご依頼により、今年の明光寺様秋彼岸会はZOOMによる法座を開くことになりました。9月28日・29日・30日三日間の昼座のみ。午後2時〜4時くらいまで。接続テストもしてみました。正定寺秋彼岸会は、9月20・21・22日三日間、午後1時半開始3時頃まで。どちらもZOOMで配信します。ご希望の方は、当サイトのサイドメニュー「正定寺ZOOM彼岸法話」のところに申し込んでください。メールアドレスとお名前を送ってくださると、法座のURLを送信します。

 

■ 今朝は早朝から曽我量深師の若い頃の著述『曽我量深選集 第2巻』を読んでいました。本当にすごいです。曽我先生の「原始人の念仏」が聞こえてきます。昨日は終日、入矢義高先生(京都大学中国文学)の『自己と超越』を読みました。中国唐代の禅問答の言葉遣いの考察です。中国唐代(またはそれぞれの時代)の禅匠たちは、日常語・俗語も交えて自由闊達に火花を散らしました。その問答の言葉の禅門のお坊さんたちの漢文の読み間違いを指摘されています。禅問答には当時の俗語・日常語・方言もあって、必ずしも仏教語でない場合、まったく違う意味に解釈されて来た言葉もあります。入矢先生は、問答の宗教的意味の解釈にいきなり入るのではなく、その時代の言葉のままをまず突き止め検証し、そこから問答の解読をするという方法を提示しています。研究の当初では禅仏教界(僧侶)からの反発もあったと聞きます。柳田聖山師と入矢先生を中心にして編纂された『中国 禅の語録 全20巻』(花園大学 日本禅文化研究所刊)において、おおくの校正がほどこされました。入矢・柳田の出現によって、中国の禅籍の旧来の読解が変わったといっても過言ではありません。この本も通読3回目です。

 

■ 暑さが少し峠を越えましたので、読書の意欲が戻ってきました。8月は、ただだらだら避暑で過ごしましたが、書斎の掃除をして、読書・執筆・陶芸・木工の生活に戻ろうと思います。正定寺と明光寺様のお彼岸では、新しい角度からの法話に挑戦しようと思っています。

 

■ 禅問答つづき 「麻三斤」
■ 中国禅の巨匠は唐代に生まれました。自由闊達な問答で、互いの境地を磨き研鑽しました。禅問答というのは、今日でも一般的には「何が何だか分からない会話」を言うことが多いようです。唐代は、まだ禅が公案禅としてパターン化してはいませんでした。禅では経典を用いて宗派教学を学ぶということには重きを置かず、むしろそのような「説明仏教」を拒否したのです。それが時代が下がるごとに、古き禅師たちの問答エピソードが「禅の語録」にまとめられ、その問答の謎解き「公案禅」が主流になってきます。「父母未生以前の自己とは何ぞや」、「祖師西来の意とは何ぞや」、「仏法的的の大意とは如何」という問いの形も決まってきたのです。

 

■ 「麻三斤」という公案があります。僧、洞山に問う。「如何なるか是れ仏」(仏とは何ですか?) 洞山いわく、「麻三斤」  ・・・・・・ とても有名な問答で、『碧巌録』・『無門関』・『空谷集』などの語録にも取り上げられているのですが、何を答えているのか、わたしも正直分からなかったのです。禅僧ではない入矢先生は、ごく控えめながら、「麻三斤」が仏教界でどのように取り上げらっれてきたか、ここでは問わない。・・・・・・ と言いつつも、中国でも、日本でもお坊さんたちの問答の、「麻三斤」の意味ははっきりしなかったのではないか、という含みの物言いをされています。『禅の語録』に金科玉条のように祭り上げられた死語は、もう生命体ではありません。浄土真宗のお説教も、死語となった仏教語の羅列がなんと多いことか。「お前のはらわたから、活きた言葉で物を言うて見ろ」。サキイカと スルメと イカの塩辛と ゲソの刺身を いくら組み立てて繋ぎ合わせても 生命体の烏賊にはなりません。生きて泳ぎません。でも説法者は、あちこちかき寄せてきた「イカ」(知識)を60分つなげたら、活きた烏賊になると思っているのです。退屈! 

 

■ 私(入矢先生)は以前から、「麻三斤」は麻糸か麻布の量のユニット(単位数量)ではないかと疑っていた。そうしたら、禅文化研究所での研究会で京都大学の吉川忠夫氏が、私のこの類推をヒントにして見つけ出された基本資料を提示せられた。唐の玄宗勅撰の法典集『大唐六典』巻三の租庸調(税)の徴収法の原則を説いた一条である。「課戸は丁ごとに粟二石を上納する。・・・・・・中略・・・・・・ 布を上納するものは、「麻三斤」を追加して上納する。・・・・・・ では、製品化された麻糸三斤とはどのような重さ・量なのか、という当時の古文書・法律書を解きながら突き詰めていくと、「僧侶一人一着分の衣の布」だと突き止めた。

 

■ 僧、洞山に問う。「如何なるか是れ仏」(仏とは何ですか?)  洞山いわく、「麻三斤」 (お前さんの衣一着分の材料はちゃんとそろえてあるぞ」・・・・・・ と言うことになる。・・・・・・ ところが質問者は自己の外に「仏」を探しているから、答えの意味が分からない。禅問答のすれ違いはよくここに起こる。「仏」という概念の説明を求め、頭の中を知的な偶像で満たそうとする質問者と、「仏か。お前だよ」と言っている師匠。「麻三斤は、お前が着ずして、誰が着る」 ・・・・・・ それは決して説明という形をとらない。  ・・・・・・ お前のような奴(ロバ)は出直してこい、と突き放すだけ。

 

■ こんな言葉が、禅仏教伝来以来、日本でもなんとぞんざいに扱われて来たのだろうか。いやこれは仏教全体に言えることなのだろう。用心・用心!

 

■ 台風10号 風雨がだんだ強くなってきました。 2020/09/06
■ お昼になって、もう一回り、見回って来ました。風に飛ばされそうなものは室内に、倒れそうなものは倒して伏せました。池の自噴水も止めました。山門の扉を開放して、門柱にロープで縛りました。キ城は、今日18時ころから明日3時頃までが一番強そうです。総合福祉センター「けねじゅ苑」はもう避難者でいっぱい、町体育館にも避難者が行っていると、息子が報告しました。やっぱり10号は怖いですね。

 

■ 台風10号対策 2020/09/05
■ 午前9時〜10時20分、「総代・組長会」でした。台風前なのでテキパキ短時間で終わりました。15時から三菱プロパンガス発電機のエンジンオイル交換して小1時間の試運転もしました。プロパンガス発電機は、ノンストップで100時間、2200ワットを出力します。100時間経ったらエンジンオイル交換です。厨房:滴水庵の分電盤のレバーを九州電力側から発電機側に切り換えると、一棟全部の電気が流れます。停電時はここのコンセントから自宅電源に取り入れます。すると自宅冷蔵庫も動き続けます。家族には各自ランタンを持たせています。あとは強風で飛び散りそうなものを室内にいれます。(滴水庵は災害時の炊きだし拠点です。)今年中に自宅用非常電源も検討します。

 

■ 防災ロウソク「お念仏のともしび」は、元仏婦会長の鈴子さん(88才 独居)にも届けたら、たいそう喜ばれました。ちょうど、懐中電灯などの用意をされているところでした。さっきお寺の隣人の利見さん(92才・独居)見に行ったら留守で、息子さんが連れていったみたい。一安心。真向かいの洋子さん(80才・独居)にもロウソク持っていったら喜んで、こうなったら停電が来てくれたらいいのに、と笑顔。

 

■ 皆様にお願い 寝室には懐中電灯などの他に、雨具・雨靴・または運動靴も入れておいてください。もし、木の枝などが窓に飛んできてガラスを破った場合、室内でも素足では歩けません。雨戸を閉めるか、ガラス戸のカーテンを閉めて洗濯ハサミで数カ所止めるかしましょう。カセットコンロのガスボンベ、買い足しましたか。今回の停電は長いかもしれません。高圧送電線の復旧工事をなんども見ておりますが、一箇所の復旧に作業車数台、10数名の作業員でやってます。被害が大きいと、人手が足りないのです。では、もう少し、防災対策してきます。gensho

 

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■ 防災ロウソク 「お念仏のともしび」完成! 2020/09/04
■ロウソクの芯を色々試してみましたが、木綿の太めの芯、木片を金具で自立させる方法、やってみて、現段階では木片に落ち着きました。この方法だと、芯が自立しているので、一度に10個くらい作れます。炎の姿もきれいです。

 

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■台風10号が来ます。九州にとって一番危険なコース、最大規模の台風です。昨年の台風で一番停電の長かったのが夏尾町上馬渡地区(高齢者門徒6軒)で、10日停電、電話不通15日間でした。送電線が山林を通っているので、復旧工事が進まないのです。その隣が下馬渡地区(門徒10軒)。この2地区に今日のうちに一軒に2個ずつ「お念仏のともしび」を届けに行きます。鯖の味噌煮缶詰(空き缶)に「お念仏のともしび」のラベルを貼って、ハガキサイズのメッセージも作りました。灯火は10数時間もつはずですから、2晩はもちます。9月6日が危ないですね。鹿児島・宮崎・熊本・佐賀・長崎・福岡のラインです。皆様、早めの防災対策を!

 

■明日午前9時から予定通り「総代・組長会」をします。「仏教婦人会役員会」は8日に延期。台風10号通過のあとは、電話連絡網を使って被災状況調査を行います。今日は、午後から防災ロウソクくばりとLPG発電機のオイル交換、わが家の台風対策をします。gensho

 

■いま15時20分、上馬渡と下馬渡に「お念仏のともしび」を届けてきました。上馬渡は門徒数6軒ですけど、3軒は施設入所などで不在だったので、一軒4個にしました。下馬渡10軒は一軒2個。10日間も停電でなにもしてあげられなかったこと、何故かというと、送電線の系統路が違うので、停電日数がばらばらで被災状況を把握できなかったからです。県外の被災地には支援物資を送ったりしているお寺が、地元でこの不始末です。一年間心に刺さった刺がやっととれました。また前進です。2020/09/04正定寺ダーナ事業50年

 

■ ZOOMで遊ぼっ!2020/08/28
■ オンライン会議ソフトに「ZOOM」というのがあります。正定寺では今夏、ZOOMを使っての初盆法要をお勤めしました。キ城出身のNさん(東京)とその兄弟(千葉県松戸市)・(三重県伊賀市)・(福岡県大牟田市)・(キ城市)・(正定寺本堂)を結んで、お父上の初盆をお参りしました。それぞれのパソコン・アイパッド・スマホの画面でお互いを映しながら、会話もできました。コロナが様々にわたしたちの社会生活を分断しています。お寺も次の一手を考えなければ、行事も法座もできません。先日、飯塚市明光寺様(中尾ご住職)に電話をしまして、「今年の秋はコロナで、秋彼岸法要はお休みでしょう?」とおたずねしました。毎年招かれて出講していますが、この秋も行くのか、行かないのか、確認したかったのです。住職は、「ZOOMで法話してもらえませんか」と依頼されました。「あっ、いいですね。それなら全国どこからでもお参りできますよ」とすぐ了解しました。日時がまとまったら、このアミダネットでもお知らせします。

 

■ ズーム会合(オンライン上)に参加するには、ズーム無料版ソフトをダウンロードしてください。すると、会議日時のURLを当方からメールしますので、そのURLをその日時にクリックするだけで参加できます。・・・・ ソフトがなくても、URLが分かれば、不特定多数の方々が、誰でも、どこからでも参加できるのですが、それでは、法座が整然と保てなくなる危険性もあります。
ZOOMインストゥール

 

■ 実験的に接続テストもしますので、メールください。gensho

 

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■ 復活した「ビアレッティ」 エスプッレッソマシン。右のアルミフィルターにコーヒー入れて直火で沸かすだけ。ガスコンロなら一番小さなレンジ。写真はキャンプ用固形燃料で。お湯が沸騰し始めるとゴボゴボっと蒸気の圧力でコーヒーを蒸らし、上の容器に吹きあがってきます。そのときの香りのいいこと。ゴボゴボの音がやんだらエスプレッソ完成。左は2〜3人用。真ん中のカップは、娘が小学一年生のとき飯塚の中尾徹昭さん(明光寺住職)と明光寺ご一行のスリランカ仏跡旅行に誘われていった山上のホテルの朝食にでたデミグラス(ホテルのマーク入り)、あまりの可愛さに、ウエイターさんにお金を出すから分けてほしいと懇願。「ノーノー、これはホテルの備品、売り物じゃない」、「そこをなんとか」の応答の末に、ウエイターさんはくるりと体をひるがえして行ってしまった。知らん顔で帰って来た手には新聞紙で包んだ何物か、指で口をふさぐ仕草をしながら、「黙って持っていけ」の合図。もちろんお金は受けとらなかった。・・・・・・ いろんなことしてきた自分ですねえ。いま見ても可愛い。「ビアレッティ」も可愛いでしょ、特に1人用が。あまり高くもないから、ご購入いかがですか。「BIALETTI」、ビターな独り時間をごゆっくり。2020/08/26

 

■ テントを洗う。2020/08/24〜26
娘がまだ幼稚園時代だから33年前かな、親子3人のキャンピングテントと日よけの幕(タープ)を買って使ってました。ヨーレイカというアメリカ製ともう一張り。あれから30年、しまったままでしたが、葵たち親子4人の夏遊びに使えないかなと思い、取り出してみました。少し汚れている。カビ臭い。捨ててもいいかなとも思いましたが、厨房の流し台で中性洗剤で洗ってみることにしました。テント内幕・フライ外掛け・タープ日よけの3種類です。雨水の浸透を防ぐ防水膜は劣化していて、みなフニャフニャに剥げました。川に流さないように、細かな目のネットで全部受けて回収し、手もみでゆっくり洗いました。葵たちの夏遊びや、来年の「夏休み子ども寺子屋」の子どもたちの秘密基地にできたらと思って、もう一張りも洗います。子どもは、「ここは秘密の基地だよ」という言葉にワクワクするものです。寝泊まりするだけがテントの使い道ではありませんね。洗剤に一晩つけ込んで、もみ洗い、すすいで日陰干し、これを3度繰り返しました。臭いもとれて、いい感じになりました。破れた所もないし、十分使えそうです。この頃は新品買っても、安いです。でも、わたしにとっては想い出のテント。それと、ほったらかしになっていた、イタリア製エスプレッソマシン「ビアレッティ」、洗ってまた使い始めました。一人用と二人用の2つ。わたしはあまり日頃はコーヒー飲みません。喫茶店に行ったら、ウインナーかカプチーノかエスプレッソを注文します。ビターで薫り高いのが好き。
■ テント(ヨーレイカ)とタープ(オガワ)洗い終わったので、別な場所に置いてあった一番古いテントB(家族キャンプサイズ)も洗おうかと見に行きましたら、ネズミがかじった穴がいくつもあり断念しました。過去も処分していかないとね。けど、ヨーレイカ(アメリカ製)、ogawa(日本を代表する老舗メーカー)を持ってたなんて、昔から凝り性だったんだなあ。1人用テントをまた買えばいいしと、かえって喜んでいる自分。gensho

 

■ 秋の準備です。2020/08/24
■ あおいは機嫌良く幼稚園に登園しました。まずはよかった。しぶっていたけど、先生やお友達の顔みたら気分変わったみたいです。あおいったら、じいちゃんの頭(特にバリカンで0.8mmに刈りそろえたばかり)の手触りが好きで、知らぬ間にうしろに回って、なでなで手触りを楽しんでいます。

 

■ いまちょうど雨雲のした。久しぶりに大粒の雨が降ってきました。庭木も田畑の野菜も疲れ気味。青息吐息ですから、恵みの雨。

 

■ 秋の行事の準備してます。正定寺内のこともあるのですが、毎年秋彼岸会には飯塚市の明光寺様に出講します。どのお寺様もコロナ対策で、法座が開けず困っておられます。今年はお休みだろうと確認のため電話しました。ご住職は、「理事会で相談してのことですが、今年はインターネット・オンラインZOOMでつながって、2〜3日:一日一座の法座をしたらと考えています」とのご提案。わたしは早速賛成しました。それなら、明光寺ご門徒だけでなく、全国各地からネット上にご招待できるからです。試みる価値はおおいにありそう。

 

■ 7〜8月にかけて、キャンプ用品の小物のお買い物してます。テントは2張、調理器具も娘が子供の頃買ったものが、まだきれいにしていますので、涼しくなったら点検して、水洗いするつもり。秋めいて朝夕が涼しくなったら、日帰りでも一泊でも、ぶらぶらしてみたい感じ。 

 

■ 明日24日(月)から孫娘は幼稚園2学期。行きたくなさそうです。

 

■ 浄土教はなぜ出現したのか? 出現せねばならなかったのか?

 

 炎暑の毎日で、室内避難の生活です。日頃からもやもやと考えていること、どこまで書けるか、適切な文献史料を提供できるかどうか分からないけど、その作業は涼しくなってから書庫など籠もることにして、ともかくフリーハンドで書き始めてみます。原稿は、サイドメニュー「仏説無量寿経の根本問題」に連載します。2020/08/20(木)

 

■ 猛暑、避難生活です。2020/08/19(水)
昨日、都城市は39.4度。正定寺ではエアコンのない門徒ホールで35度でした。もう逃げの一手です。エアコン26度にして部屋にこもりっきり。お盆もすんだことだし、何にもしない一日でした。お盆中は、8/8〜8/16までばらけてお参りされ、混雑もなく無事乗り切りました。gensho

 

■ ZOOMオンラインでの初盆法要 できました。2020/08/12(水)
昨日、午後2時から、初めてのオンライン法事をおつとめしました。千葉県松戸市・三重県伊賀市・福岡県大牟田市・都城市・喪主(東京)を結んで、正定寺本堂でお参りしました。1) 参拝者入室 2)住職あいさつ 3)喪主あいさつ 4) 読経「正信念仏偈」 5) 法話 6) 茶話会(参拝者相互の会話 住職との会話) 7) 住職あいさつ 8)喪主あいさつ(閉式)で60分くらいでした。ちゃんとできてよかったと、どーっと疲れました。でも、帰郷できないご遺族にこんな形の法要も提供できて、よかったと思っています。
■それと、厨房「滴水庵」とわが家の冷蔵庫の掃除しました。冷凍室までつるつるに掃除して、気持ちがいいです。氷もさわやかにできています。

 

■ 今日からお盆のお参りです。  2020/08/09(日)

朝9時は6組の初盆お参り。昨日、朝9時から声がするので厨房に行ってみたらトシエさん・アケミさんがお掃除してました。床を全部タワシで洗ってもらってサッパリになりました。今日はゴミ出しの日。掃除に使った黒ずんだ布巾やスポンジも出して、新しい布巾やスポンジで始めます。あとはガスレンジの上の換気扇フード、少し汚れが気になるので、ここをふいて終わりかな。

 

■ 滴水庵のお掃除つづき その3  2020/08/06

■かおる(8ヶ月)とあおい(満5才)は池のベランダにビニールプールだしてもらい上機嫌に水遊び。副住職は門前のブロック積み。わたしは厨房の棚の整理と冷蔵庫の掃除でした。安い冷凍庫買ったので、フィルムと印画紙はそちらに引っ越し。古くなった冷凍食品は処分。未開封のお抹茶はそのまま。一段ずつ引き出して洗ってふいて掃除。棚の道具は、予備のふきんタオル・割り箸・食用油凝固剤などそれぞれ透明密閉パックに入れてゴキブリ対策。そろそろトシエさん・アケミさんに頼んで床掃除・ガラスふきなど大掃除して終わろうかな。昼寝の時間は、寺務所に寝っ転がって楽焼き抹茶茶碗をながめながらウトウトでした。5時で作業終了。

 

■ 滴水庵のお掃除つづき その2  2020/08/05

■今日は、昼休みにお昼寝をはさみ、寺務所にエアコンをかけ、座布団4枚敷いて、楽焼き陶芸の解説書読みながらウトウト。3時〜5時までお掃除してシャワーでした。両方の腕がつり始めたので作業終了。ちょっと疲れた。でも終わりが見えてきた。

 

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■ 滴水庵のお掃除つづき 2020/08/04
■やっぱり中華レンジから始まる玄章流の厨房掃除。鍋に笑顔がないと美味しいものできません。レンジの左側の鍋は、真鍮鍋。小鰺やアラカブの揚げ物でも使ってみたい古道具。この深さに油は5cmだけ。つまり跳ね出さない。あのー、道具は生き物、フライパンでもなんでも自分なりにあい相棒を育てるものなんです。

 

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■2019年、去年は羽釜や鉄鍋などインターネットオークションでよく買った年でした。子供たちに大鍋にいっぱいの具材をいれて薪で焚く楽しさを感じてほしい。右奥の平鍋では春休み子供寺子屋で焼きそば作りました。カレーって材料切ったら煮込むだけですることがない。混ぜたり、かき回したり、ソースかけたり・・・・・・ 子供たちが参加できるレシピがわたしの理想。この平鉄鍋は直径50cm、平鉄板ではないからこぼれない。左手前の鉄鍋は年代物。春はタケノコゆがきで薪釜で活躍しましたが、3連ガスレンジで煮物・揚げ物にも使うつもり。明日は最後のオーブンレンジの掃除と調味料棚の掃除。4時30分で切り上げて、シャワー浴びて寺務所にエアコンつけたら、疲れて寝てた。腰がまだ痛い。そのツケが左足ふくらはぎにきて、カチカチ、パンパン。でもしぜーんと身体は厨房に向かう。ハイハイと、わたしは従う。gensho

 

■ 厨房:滴水庵の大掃除してます。2020/08/03
台風4号が朝鮮半島から北海道に向かっていくそうですから、防災ロウソク作りはもう少し時間がかせげます。明るくてススがでない芯をネットで探しています。■ 前から気になっていた厨房の掃除を昨日から始めました。コロナ禍で3月からお寺の行事が止まり、厨房もまったく稼働しません。行ってみると、レンジ周りも、テーブル面もカビだらけです。油や食材のふきのこしにカビがわいたのです。いつもの順番で中華レンジから始めました。分解してLPGガスのホースまで洗いました。鉄の中華鍋も使わないと錆びたり、モヤッと油汚れが浮いています。特に揚げ物で使う大鍋は、ゴムみたいに固着した油汚れが鍋裏に貼り付いています。マジックリンを泡状に吹きかけて、キッチンタオルをかぶせ、またマジックリンを染ませます。そのまま時間をおくと油が分解されて浮いてきます。(この方法が今日の発見)一番頑固な鍋は明日朝まで置くことにしました。4時半には作業終わってシャワーにしました。小さい中華鍋は、洗って火にかけ、油敷きでうすく油をなじませ、ふきとって吊り下げました。■ トシエさんとアケミさんが手伝うって言っているのですが、レンジ周りの油汚れをゆっくり丁寧に一人でやってから、全体清掃のときに頼むことにしました。いろんなこと考えながら、一人手を動かすことが今の自分にはあってます。それにしても、中華レンジと中華鍋が、ぼくは好きなんですね。コロナ禍で行事はできなくても、災害時には滴水庵は炊きだしに動きます。備蓄物品のチェックも必要です。 gensho

 

■ 暑中お見舞い申し上げます。豪雨・コロナ禍・猛暑の夏、皆々様どうぞ御身お大切にお過ごしください。昨日8月1日は、午前7時〜8時まで夏の奉仕作業をしていただきました。北山田・丸谷地区の方々、暑い中、誠にありがとうございました。梅雨あけと同時に台風発生と聞いて、「非常用ロウソク」の製作を始めました。去年の台風20号で門徒区域の多くが停電しましたが、停電なし、停電1日、3日・4日など町内でも被害がバラバラで住職は全体の被災状況が把握できませんでした。一番長かった地区が上馬渡で10日間。電話不通が15日間でした。山越えの高圧電線が切れて、倒木が多く修理現場まで行くのに日数がかかりました。水道もモーター汲みあげだったこの地区は高齢者ばかりで大変でした。でも、そのことが分かったのは1ヶ月もあとのことで、申し訳ないことでした。そこで、今年から台風・地震・豪雨の災害のあとは、緊急電話網を駆使して、門徒区域の被災状況を調査することにしました。県外の被災地見舞いも大切ですが、まず門徒同士助け合いたいのです。■ 本堂のお参りで灯し、ちびたロウソクを古鍋で煮て溶かし、茶漉しの網でゴミをふるい、古薬缶に注ぎます。鯖の味噌煮缶詰の空き缶は、下馬渡の土屋さん(婦人部)がたくさん持ってきてくれました。深さ5センチの角トレーに水を張り冷ましながら、空き缶にロウを注ぎます。ロウの表面が半カタマリに冷えて来たところに、(写真左)はやや太めの灯明芯をさしました。(写真右)はロウソクを立てました。芯が太い方が明るいのですが、少しススが出ます。この缶ロウソクだと12時間以上もちます。写真左の方法で作業を進めることにしました。まず、上馬渡地区6軒に一軒3個ずつ配付します。百均で下に敷く陶器の皿も、ライターもセットにします。あとは、山奥の地区を中心に配ろうと思って準備中。空き缶の周りには何か言葉を書いて、貼ります。溶かしたロウにどうやって芯を真ん中に立てるか、色々やってみました。ロウをトレーの水で冷ましながら、ゼリー状になったとき立てるのが一番効率的であることが分かりました。水道工事が完成した欅風工房で一人やってます。gensho 2020/08/02

 

■ 水道工事 2020/07/29

 

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 ぎっくり腰の一歩手前で今日はお休み日。昨日は欅風工房の水道工事でした。欅風工房は、内装工事・電気照明工事・水道工事・換気扇取り付け工事がまだ残っています。電気配線・水道配管は建築時にすんでいるのです。昨日は、配管元から水道塩ビ管の立ちあげ、蛇口の取り付け、排水溝への水処理をつなぎました。陶芸すると水が身近に必要です。終わった小道具の水洗いも楽になりました。
 この2連シンクの流し台は池田商会で見つけました。「304」というプロ用高級ステンレスを使った特注品です。大学の化学実験室やホテルで使われる特注品です。それが驚くような値段で置いてあるので店長さんに聞くと、「都城駅前イオンのテナントショップが開店に際して作らせたんだけど、サイズ間違いの発注をしてしまい、納品されてから気がついて、上司に叱られる前にこっそり処分してくれっていう曰く付きの品とか」、ぼくこういう品物によく出くわすんですよね。なんといっても磁石が付かない上質ステン、しかもシンク2連、即決買いました。バケツがスポットはいるちょうどいい深さ、左側の台も1.5cm位の深さがあって、ここは電動刃物研ぎ機が使えます。右側のステンの小棚もなんかの曰く付きの新品。ガスレンジ持ち込んで、鶏ガラことこと煮込みながら粘土遊びができます。後は板壁と思ってましたが、この部分だけは不燃材を貼ることにしました。あともう少し断捨離で片づけたら格段に快適になります。子ども寺子屋が中止になった分、時間にゆとりができました。都城市内でまた、感染者がでた模様。 

 

■ 第4回夏休み子ども寺子屋 開催中止決定。県北・高鍋町のスナックで集団感染が発生。7月26日のテレビ報道で客のなかに都城市在住の20代の女性が1名入っていました。都城市内では感染第1号です。仕方なく寺子屋開催中止と決断しました。今日、開催中止を保護者と山田小学校校長先生にお知らせしました。参加記念品に買っておいた小冊子2册も同封しました。残念ですが、次につながる中止でありたいと思い、子どもと親にお手紙を書きました。お手紙。2020/07/27 住職

 

■2020/07/26 本焼き完成。初めての電気釜シンポDMT-01での本焼き、冷まし時間が長かったあ。小型・家庭用・断熱・保温にすぐれた100V家庭用電源の電気窯なので、1240度の焼成時間が12時間、冷まし時間がなんと24時間かかることがわかりました。小型の窯だから4〜5時間で開けれると思っていたので、待ち遠しかったです。窯元の登り窯(薪窯)だと窯が大型ですから、本焼きに72時間、焼き上がってから窯開きまでに冷まし時間が5〜7日間かかることもあります。これでこの電気窯の特性が少し理解できました。

 

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葵の誕生日記念作品。土は、備前焼きの本場物(10年以上前に買っていたもの)。絵皿が可愛く仕上がりました。絵小皿、上段が絵付けの一回目、わたしも葵も慣れないチューブ絵具で、青絵の具がどばっとでちゃって失敗かなと思ったけど、鯨に見立てて潮吹きさせたら面白い作品になりました。小皿下段左は2回目。葵に好きな色で線と点を描くけいこ。下段右が3回目。ピンクの花びらを厚く塗り、乾かせてから黄色い雄しべを厚塗り。文字はわたしが書きました。うさぎさんとお花のカレー皿。土は古信楽粘土の白系。輪郭を彫って、その凹部分に絵具を埋めて見ました。今朝、窯出しして葵に見せたらよろこんで、下段右の花の小皿に、これに何を乗せるのと聞いたら「チョコ」と答えました。5才児ですね。「漬け物」とは言わないんだ。

 

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上段の小皿4枚は、古信楽粘土の白系。下段のカップと小皿は備前焼きの粘土。そば釉をかけてみました。釉薬の粉末を200グラムに水140ccで溶いてちょっと厚めにかけて、1240度で焼きました。釉薬が窯内で融けて流れすぎると、窯内の棚板と作品がくっついて離れなくなります。作品だけでなく棚板が一枚パーです。用心のためアルミナという粉末(高温でも融けない。栄松幼稚園時代の遺産)を棚板に敷きましたが、うまく止まってくれました。焼き上がりを早く見たいと心がせいたのは、釉薬の流れ具合、融け具合を確認したいのもあったのです。1240度の時間をも少し延ばすか、1250度設定でも良かったかなと思っています。こんな風に、粘土・釉薬の特性、窯の特性・焼成温度・最高温度の延長時間でも、同じ作品が姿を変えます。一回一回、何回も試みて、自分の好みに近づくことに、陶芸の楽しみがあります。でも、第1回窯焚きは成功でした。さすが! gensho!

 

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リハビリのためお茶碗作ったけどゆがんで、壊そうかとも思ったけど、ゆがみが面白いかもと気を取り直して、お抹茶椀にしてみました。備前の粘土にそば釉があうようです。この組み合わせで花器もよいかも、と思いました。

 

今日は、7月の「すっぴん」。行ってみたら、ギャラリィ212の店舗がえらい片付いていました。ここではオーナーのご子息(医者)のお嫁さんが小原流の生け花教室をされていたんですが、教室会場をご自宅に移されて、「すっぴん」に広く使ってもらえるようにという思いやりでした。感謝、感謝。今日はオーナー夫妻とハジメさん・ハルヨさんと5人でした。2020/07/26 gensho

 

■今回の本焼きは、今年の「夏休み子ども寺子屋」で陶芸制作に小学生とチャレンジする、その事前学習ということもあって、「粘土は何を使うか。釉薬は何がいいか。粉末釉薬の溶き具合、焼成温度は?」と想い描いての試みでもあったのですが、頭の中がだいぶまとまって来ました。でも、宮崎県内でもコロナ感染が広がってきていて、寺子屋開催がどうもあやしくなってきています。 

 

■2020/07/25 窯開き: 12時間かけて1240度で本焼きしてますが、1時間に100度くらいで冷めていく設計のようです。午前11時、いま800度です。断熱システムが相当すぐれているようで、200度まで下がるのに、ゆっくりです。この方が急熱急冷よりも窯も長持ちするのでしょうね。初めての本焼きなので、このDMT-01の性能がまだわかりません。どんな色で焼けたか、葵のお皿うまくいったか、・・・・待ち遠しいなあ。

 

釉薬かけがおわり、今日18時スタートにタイマー設定しました。焼成1240度まで12時間、冷ましに2時間で、明日の8時か9時には窯開きができます。窯詰めは高さ9センチの3段にしました。ワクワクです。

 

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■寺務所で葵とお絵描きしました。チューブの絵具を絞りながら描くのですが、力加減がなかなかむずかしく、一番最初の小皿(下段小皿)は、葵が青絵の具をどぼっと出してしまい、はてどう仕上げるかと思案して、ドバッの青を鯨に見立てて潮吹きさせました。2枚目(上段右)で少し慣れてきて、花小皿(上段内側)ですこし要領がつかめました。最後に、お花とウサギのカレー皿を絞り絵具と筆描きで描きました。もう一度窯に入れて、200度で乾燥させてから、透明釉薬をかけて本焼きです。今日は13:30から「子ども寺子屋スタッフ会議」です。

 

■2020/07/24 ひとつも事故なく「素焼き」ができていました。小型電気窯DMT-01の性能がすこしわかってきました。スタート時刻をタイマー予約もできるので、「本焼き 1250度 14時間」だと、夕方6時スタートに設定しておけば、あくる朝8時に窯が開けられるのだと理解しました。これだと寝ている間に窯焚きできるわけです。今日は、孫娘の5才の誕生日。「うさぎさんの皿」にいっしょに絵付けをします。

 

■2020/07/23 窯焚き2回目: 9:30より孫娘と作った作品の「素焼き 700度」を開始しました。1時間に100度のペースとして、夕方には焼き上がります。冷ます時間がいるので、すぐには絵描き・釉薬かけはできません。明日の葵のお誕生日に間に合わせたいのだけど。13:00 300度です。 15:30 500度です。 700度になるのは、19時くらいかなあ。 明日の午前中にお絵描き&透明釉かけ、または「そば釉」をかけます。いまから、DIYハンズマンにタッパーでふたができる容器(水で溶いた釉薬の容器)を買いに行きます。18:00 700度到達 あと2時間は徐々に電力をさげて、120度まで下げてENDです。

 

■子ども寺子屋は、中学生1・2年生女子4名が申し込んできて、28名になりました。今年はコロナのせいで、昨年までに参加した子どものなかで、現在小学生の子に限定して28通参加案内を郵送しました。町内3小学校への公募は3密を避けるためにしませんでした。けれども、子どもや親の口コミで、今年初めてという小中学生にまで広がってきています。28日までが募集〆切です。

 

■2020/07/22 初窯焚き。今回購入した電気陶芸窯:日本電産シンポDMT-01 は炉内寸法H300mm・W270mm・D270mm のマイコン付き小型電気窯です。小型電気窯の中では炉内寸法は最大です。陶芸入門者からプロ作家まで愛用されています。作品の量産には向きませんが、一品もの作陶や釉薬実験にはかえっていいのです。陶芸窯には、薪窯・ガス窯・灯油窯・電気窯・木炭窯があります。電気窯以外は、焚き手が燃料・空気送風・温度を管理しなければなりません。全自動というわけにはいきません。10数時間もの窯焚きが必要です。体力も消耗します。近年の電気窯はものすごく進歩していて、10パターンのプログラムから選んでスタートを押すだけです。あと20パターンお好みのプログラムを自作し登録することもできます。今日は初めて通電して、400度までを5時間かけて窯を慣らす「試運転」です。DMT-01には、200度まで上げる「乾燥」というプログラムもあるので、「試運転」が今日すんだら、葵との粘土遊びの作品乾燥に入ります。自然乾燥でも充分なんだけど、機能を確認するためです。夕方6時までの初窯焚きです。

 

■素焼きしていない乾燥作品に化粧泥を掛け(なまがけ)、一気に本焼きする粉引きという焼き方もありますが、ゆっくり一歩一歩試していきます。

 

■電気窯試運転 4時間経過 17:08現在 396度でした。窯を外からさわってもほとんど熱を感じません。断熱耐火レンガであることと、冷却ファンが回っているからでしょう。窯を焚きながら、蓮の写真撮りにいけるのだから、すごくいいです。ガス・灯油・薪窯だったら、火のそばを離れられません。

 

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■ 7/22 三股町勝岡小学校まえの蓮田に行ってきました。2回目。まだまだ開花が楽しめそうでした。本当は朝早く行った方がもっとみずみずしくきれいだと思います。独り見とれている静かな時間。

 

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白蓮華(古代印度の言葉でプンダーリカ=漢訳:分陀利華)  正信偈の一節「一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏(お釈迦様)は、広大勝解のひととのたまへり。この人を分陀利華と名づく」、お念仏の信心を得た人を、「妙好人、最勝人、白蓮華」と呼んだのです。人生のご苦労の泥田に咲いた美しい華、それがお念仏です。 

 

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はらりと咲いた可憐な姿。花びらに囲まれた蓮台に阿弥陀様はお立ちです。

 

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一面の蓮田。今度は時間も変えて、ハッセルブラッド(中判フィルムカメラ)で狙います。

 

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孫娘との陶芸粘土遊び。じじの作った陶板皿にゼムクリップで作った彫りカンナで葵(あおい もうすぐ5才)が絵を描きました。ウサギと花と太陽だと言っています。凹の部分に絵具を埋め込みます。または、種類の違う粘土を埋め込む方法もあります。象嵌(象眼)という技法です。葵のカレー皿になります。

 

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■ 2020/07/19 今日は13:30から今年度初めての門徒会役員会(総代・組長44名と住職・寺族)です。少しずつ日常に戻していきます。昼食は冷素麺だというので、畑(畑のよこの草むら)にミョウガを探しにいきました。あった、あった。こんなに沢山ふっくらと。

 

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こちらは、住職お手製ミョウガの甘酢漬け。沸騰したお湯で、2分くらいゆでて、熱を冷ましてから、お酢に砂糖をいれて2〜3日冷蔵庫で漬け込みます。口当たりがさわやかな夏の味覚です。お皿は福岡の上野焼き。粉引きです。

 

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■13:30から今年度初めての総代・組長(37地区代表)の会をしました。時々雷雨になるなか、予定どおり15:00までスムーズに会議が進行しました。ありがとうございいました。本日配付の寺報と会議資料を下に置きました。

 

■ 夏休み子ども寺子屋は、7月19日現在、申込み24名です。

 

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7月18日(土)14:00 夏休み子ども寺子屋の工作の時間に、陶芸をします。今日は、欅風工房に、門徒会長と仏婦幹事さん3名集まっていただいて、小皿(玉づくり)とマグカップ(ひもづくり)の講習でした。会長は教職経験者、仏婦3名は山田町立保育所時代の所長や主任保母経験者です。わたしをいれて5名で子どもたちに教えます。7月中に、一度素焼き・本焼きまでをテストします。本番では三密を避けるために3班に分けて、心くばり、目くばりをします。

 

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孫娘あおいとの粘土遊び。7月の5才のお誕生日までに、カレー皿を作ります。

 

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ゼムクリップと割り箸で作った陶芸小道具。これであおいがお皿に絵を描きます。

 

■ 正定寺夏休み子ども寺子屋の参加申込み、現在12名です。今年は3密を避けるため、30名定員としました。調理実習もしません。今日7月8日、小型電気陶芸窯が配達されます。欅風工房を昨日かたづけてお迎えの準備もできました。粘土・釉薬・作陶小道具もすべて届きました。さあ、明るい夏にするぞお。gensho

 

■蓮の季節 三股町勝岡小学校正門前の蓮田2020/07/02

 

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■家から約10q、三股町の蓮田、そろそろ咲いてないかなあと行ってきました。広い一面の蓮田に純白・ピンク・赤、色とりどりに咲いていました。帰り道DIYハンズマンによって、「夏休み子ども寺子屋」の陶芸の小道具作りの材料買ってきました。陶芸専門ショップ(ネット)でも売ってはいますが、どの小道具も12〜3個はいるので、買うのはやめ。自分の作陶イメージにあわせて自作小道具が基本です。

 

■親鸞聖人のお言葉『教行信証』より。・・・・・・〈淤泥華〉(蓮の華のこと)とは、『経』(維摩経)にのたまはく、〈高原の陸地には蓮華を生ぜず。卑湿の淤泥にいまし蓮華を生ず〉と。これは凡夫、煩悩の泥のなかにありて、菩薩のために開導せられて、よく仏の正覚の華を生ずるに喩ふ。・・・・・・ 水も空気も涼しく澄み切った高原には蓮の華は咲かないものです。卑しくじめじめしたよごれた泥田に、泥をものともせず身に引き受けて、蓮は一点の濁りもなく咲きます。これは凡夫が欲と愚痴と怒りの煩悩の泥の真っ只中にありながら、菩薩に導かれて、よくさとりの華を咲かせることをたとえたのです。泥中蓮華、泥が蓮華に転ぜられたのです。阿弥陀如来は、蓮台にお立ちです。「あなたの命の底、苦悩の人生のどん底に、なんまんだぶつと声になって、わたしはここにいっしょにおるぞ」という如来の誓いのお姿です。日々お念仏申しましょう。今日は、蓮が見れてよかった。また行こうっと。合掌 2020/07/02

 

孫娘あおいと陶芸遊び

 

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粘土は本格的備前焼き粘土。大きな深皿はスープ皿。昨日作りました。今日はあおいが割り箸の先で、お花とウサギを描きました。今日は小さなミルクカップ、ひも作りで積み上げます。あおいが、「おじいちゃん、電子レンジで焼くの?」と聞くので、「まあそれに似てるね」と応えました。手を動かしながらの会話が楽しい。明日は、「カレー皿」が作りたいそうです。

 

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手びねりで作るのですが、粘土のなかに空気を閉じ込めないことが大事です。素焼きの段階で、温度が上昇したときに、膨張した空気の逃げ場がなくて、作品が破裂するからです。でも今は細かい注文はしません。あとで、そっと点検しています。

 

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埼玉県の「彩里陶材さん」に、今日、銀行振込しました。樹脂でできた手ロクロ(軽量で子どもや高齢者向き @1,368円 10個)も追加発注しました。夏休み子ども寺子屋では、8〜10人一組に児童をグループわけして指導しようと思っています。密集を避けることと、学年を分けて一人一人に目配りしたいからです。子ども寺子屋の門徒ボランティアスタッフに、教職経験者1名(男性)、保育士経験者3名(女性)がいることも大きな力です。スタッフ全員というより、まずはこの4人に事前学習(マグカップ制作)してもらい、わたしの助手になってもらいます。

 

■ 2020/06/29 今日は、初盆を迎えられるご家庭へのお手紙の宛名書きでした。まだ先なんだけど、コロナの問題もあって、ご門徒もどうしたものかと思案中です。早めにお寺の対応をお知らせします。

 

■サイト責任者 尼子 玄章  浄土真宗本願寺派  宮崎教区都城組正定寺住職

 

 

 

 

正定寺永代納骨処のご案内  ■お墓じまいや種々ご相談をおうけしております。

 

小林市生涯学習 心なごむ講座様からのお便り  1月18日、ご法話のご縁いただきました。

 

 


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