■ 1月24日〜25日の鹿児島県吹上町常楽寺様報恩講法話

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第1話 『大無量寿経』の時間論  55 第1話
第2話 仏法は無心  一度じぶんのものさしを捨てること  47 第2話

■ 常楽寺様報恩講法話5座より2席をアップしました。

 

 

■素描4:大乗経典の成立(2019/01/23)

 

 釈尊が80才で入涅槃されると、仏弟子たちは釈尊の言葉を残そうと、経典編纂会議をおこなった。結集という。第一回結集には悟りに到達した出家者が集まり、摩訶迦葉(マハーカーシャパ)が座長となり、阿難(アーナンダ・多聞第一)と優波離(ウパーリ・持律第一)が、それぞれ経(経典)と律(戒律)の編集責任者となった。二人が記憶している釈尊の言葉を暗誦して、皆が一言一句間違いないことを承認する形式でなされた。経典が文字化されるのは後世のことであり、経典は暗誦によって、口から耳へ、音から心へ代々に伝承されていったのである。初期の経典は出家者中心の教えであったが、その後、在家者もふくむもっと大きな救いの乗り物(大乗)の仏教が編纂されていく。大乗経典と言われる経典群の編纂は釈尊入滅後五百年もつづいた。
 「経典成立史」という仏教学のジャンルがある。ここで詳しくは述べないけれども、仏教学者たちは「経典成立」の年代を「どの時・とき」で捉えようとしているかというと、大乗経典が文字化され、序文から巻末までの章構成(品)の順序が確定(固定)され製本された年代をもって「経典成立」とするのが、「経典成立年代」と言われている学説である。たとえば華厳経は、入法界品や十地品は独立した物語(品=章)としても伝承・流通されており、六十華厳、八十華厳といわれるように何度も構成編集も組み替えられている。『法華経』・『華厳経』など大部の経典は、単品の各品(章)の合冊や組み替えを繰り返しながら最終完成したものと思われるから、『八十華厳経』(39品構成)や『法華経』(28品構成)などは、序文から巻末までの登場人物や場面は必ずしも一貫していない。首尾一貫した時間構想で描かれたとは思えない経典のように思う。
 紀元前、いまだ文字化されず、全体構成が確定しなかった時代は、重要な品(章)だけが在家民衆の間では口々に暗誦され、生活の中で尊ばれていたのではないだろうか。インド・シッキム地方に生まれたソナム・ワンディ・ブティア氏(現ネパール国カトマンズ本願寺住職)は、3才の誕生日を迎えた日から得度させられ、朝4時には仏前で父親の隣に座らされ、無本のお経を父の口から出る音声で暗記させられたという。18才の頃までには龍樹菩薩・世親菩薩の言葉(経典)まで暗誦したという。ブッダ釈尊の対機説法の精神を思うならば、経典(言葉)は必ずしも本である必要はなく、時代時代において仏法が「その一人・そのいちにん」の生死を救うてきた事実にこそある。考古学や文献学などの近代西洋文献学的手法をもって、大乗経典は釈尊入滅後に創作された「大乗非仏説」(大乗仏教の経典は釈尊の直説ではない)という独断は、仏法の言葉を遺跡調査か化石年代を調査するような方法論で見ているのである。
 みずからの方法論の反省のない学問は、客体(学問対象)しか追いかけない。みずからに無反省な科学的合理主義とおなじ轍を踏んでいるのである。仏法は、人間の親から子へ、師から愛弟子に、生きた体温のある言葉で伝承された。たとえ短い言葉の伝承であっても、その時その人間たった独りが救われたという救済の事実が、経典成立の今なのである。「大乗非仏説」という学説は一つの見解なのであって、人間救済の真理ではない。大乗仏教の精神は、釈尊在世の肉声のなかにすでに説かれていたとわたしは信ずる。
■詳細はパスして前に進む。

 

 

■素描3:西洋哲学の時間論  (2019/01/22)

 

 本稿は、「時間とは何か」という哲学的問題には立ち入らないで、ひとまず進めることにしたい。
 西洋哲学では、ギリシャ哲学のアリストテレス『自然学』以来、哲学者が論考してきた難問中の難問が「時間論」なのである。これらを詳細に学んだわけではないけれど、おそらくどの哲学者の時間論も成功しているとは言えない。 時間を考えるにあたって、一つは自然科学の時間がある。われわれの一日も24時間という世界基準の約束事の中で流れている。AからBへ、以前から以後への事物の変化・移動の間を運動の数として数えるという仕方で、自然科学の時間は考えられている。確かにそれも「時間」である。しかし、それは見る主体(自己)が見られる客体(自然)を観察や計測の対象としている外部の時間である。
 だが、われらの存在内においては、見る主体(自己)の精神の中にも時間が流れている。人間の記憶するという営み、考えるという営みも、AからBへ、以前から以後へと変化し移動しているのであるが、この精神(魂)の時間はどう考えたらいいのかとなると、たいへん困難な問題である。
 「時間とは何か」という問いの設定そのものが、そもそも解答不能を当初から起こしているのである。われらの自己の全存在から、そして自己の内外の宇宙の全存在の「このまま」から「時間」だけを分離して、自然界の事物ならば客体化して、精神(魂)の問題であるならば概念化して考え、単独の問題設定にして論述しようとする在り方、それそのものが、初めから不可能な設問形式なのである。魚が「海とは何か」と考えて、思考不能に陥るようなものである。魚は、自己がいまどこにどのようにして在るのかがわからないのだから、問いの組み立てができない。人間もまた然り。
われわれは存在が時間であり、時間が存在である。精神が時間であり、時間の中にしか精神も記憶もない。だから、本稿では、「時間とは何か」の論考はしない。本稿が進むにつれて、もっと別な角度から、「このまま、いま、置かれてある自己」が語られていく中で、「時間」が語れていけそうな気がしている。

 

 

■素描2:時間論からの試み (2019/01/21)

 

  『大無量寿経』の時間論という論題をかかげてみた理由は、この経典では二つの時間が垂直にクロスしているからである。
 一つは、われわれの実人生の生活時間のように過去・現在・未来と生老病死の順に流れている時間である。
  上巻の冒頭、「われ聞きたてまつりき、かくのごとく。ひと時、仏、王舎城耆闍崛山のうちに住したまひき。大比丘の衆、万二千人と倶なりき。一切は大聖にして、神通すでに達せり」の言葉のあとに、大比丘衆一万二千人の方々の歩んでこられた人生の履歴書がまったくブッダ釈尊と同じであったと、法座に来集した聴聞衆が讃えられている場面は、八相成道と言われる釈尊の生涯を特色づける八つの時代が説かれている。 (1) 兜率天 (とそつてん) から下る下天 (げてん)、(2) 母マーヤーの胎内に宿る託胎 (たくたい)、(3) 母の右脇から誕生したとする降誕 (ごうたん)、(4) 法を求めて家庭生活を離れる出家 (しゅっけ)、(5) 悟りのための種々の障害を破る降魔 (ごうま)、(6) 悟りを得ることである成道 (じょうどう)、(7) 鹿野苑における最初の説法である転法輪 (てんぼうりん)、(8) クシナーラーで大往生をとげる入涅槃 (にゅうねはん) の八相の時間は、ブッダの人間誕生から入涅槃(肉体の死)までの生老病死80年の水平延長の時間である。
 その記述につづく発起序といわれるブッダ釈尊と阿難の対話は、シッダールタ太子が29才で出家されて、35才で成道、釈尊の仏教教団が生まれた。阿難も出家して釈尊の身のまわりのお給仕をつとめるようになって年月が過ぎた。そして「今日」が訪れるのである。「今日世尊」と5回にわたってブッダの名を呼び、その威容功徳を讃嘆する場面である。ここにはわれわれの人生と同じ、年月の時間が流れている。

 

 もう一つは、超時間・超空間の阿弥陀如来の世界から、われら生死流転の衆生を喚び照らす垂直降下の還相廻向の時間である。
 この二つの時間概念が大経上巻の初めから織りなしながら、「大無量寿経」は語られているのである。

 

 

■素描1: 『大無量寿経』の時間論  (2019/01/20)

 

 親鸞聖人が『顕浄土真実教行証文類』の教巻の冒頭で、「それ真実の教を顕さば、すなはち『大無量寿経』これなり」といわれた浄土経典は、阿弥陀如来の本願が説かれた経典の中でも『仏説無量寿経 巻上・巻下』曹魏天竺三蔵康僧鎧訳をさしている。
 この『大無量寿経』(以下、大経と記す)読解にあたって「時間論」を試みてみたい。『大無量寿経』に出会って四十数年になるけれども、この経典の文章構成は、他の大乗経典と比較しても独特であると思いつづけてきた。浄土真宗本願寺派の教学がわかりたいというより前に、なぜ大経記述者は、このような文章構成と記述文体を構想したのか、その核心を読解したいという想いから離れられなかった。親鸞聖人以後、一体どれだけの人が大経の全体像を読めたのだろうか。第十七願、第十八願がありがたいと部分の点描を学んでみたところで、巨大な黒マグロの大トロ中トロに舌鼓を打ったにすぎないのではないだろうか。最初からパック入りの刺身であって、巨大マグロの全身なんか見たことも見ようと思ったこともない既製品仏教の奴隷で死んではならない。そんな浄土真宗は自己保身に膠着した宗派仏教であって、世界宗教の名告りをあげる資格はないのではなかろうか。


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